第四話

「ブラック!」


 より明確に捉えているであろう相方の名を呼んで、俺は椅子を蹴り上げる。


「ピュイ、避難!」


 それだけを指示して、駆け出した。キクは俺と同じように滑り出している。ピュイは多嶋、それから町の人たちにも声をかけて避難することだろう。こちらでは、町が襲われることなど腐るほどあった。住人も慣れているので、ピュイ一人でも問題はあるまい。

 ブラックは一目散に町外れに止めたキャンピングカー方面へ駆け出していた。

 その方角から聞こえてくる動物の唸り声は、耳に覚えがある。昼間、カーチェイスをした相手だ。どうやらこの辺りに住み着いていたらしい。町の外周に巡らせた柵を越えてこないのは、結界か。

 柵の支柱に施される結界は、町を守るためのものだ。だが、支柱を倒されてしまえば壊れるものであり、絶対的な安全保障はない。無残にも潰された町を通過したこともある。モンスターたちに頭脳があるのかは不明だが、衝動に任せて結界を破壊するものは多い。グレイベアストは、その筆頭だった。

 今まさに攻撃をしかけようとしているグレイベアストに、ブラックが吠えかかる。そして、灯りが打ち上がった。目くらましを兼ねた閃光は、キクの魔法だ。その光の中に、逃げ惑う影が二つ浮かび上がった。

 零しそうになる舌打ちを飲み込んで、喉を震わせる。


「エミリー!」


 こちらを向いた顔が強張っていた。しかし、その足取りは逞しく、山方の手を引いて走り回っている。

 山方は顔面蒼白だ。足も上手く回っていないように見える。それを連れているエミリーは健闘しているほうだ。表情が崩れているくらい些細なことだった。エミリーはじぐざぐに疾走して、こちらへ戻ってきている。

 よく見れば、二人の周囲の柵は崩壊を始めていた。今度こそ、舌打ちが音になる。

 ブラックが逃げてくるエミリーとすれ違って、グレイベアストに挑むように立ち回った。後ろから到着したキクが、炎魔法を放っている。

 しかし、キクの魔法は敵を一発撃破できるような全能の火力を誇る武力ではない。魔法使いによっては戦闘特化のものもいるらしいが、キクはそうではなかった。

 悶え暴れるグレイベアストから距離を取るエミリーは際どい。山方が足を引っ張っていた。客を危機に晒しているのだからこちらの落ち度だが、地球人の持つ危機管理能力も回避能力も微弱であることを思い知らされる。

 窮地に飛び込んでいける自分が異端になりつつあるのは分かっていた。


「丞さん!」


 互いに距離が詰まったからか。エミリーは力を振り絞って、山方をこちらへ放り出してきた。乱暴に受け取って、勢いを殺したまま後ろに転がす。雑な扱いではあるが、擦り傷くらいで済むならば御の字だろう。自分は立ち止まらずに、山方が飛んできた方向に駆け込んだ。

 目の端では、俺たちの大きな挙動に反応したグレイベアストがこちらに向かっているのが見えていた。しかし、足は止まらない。勇猛というよりは、止まったほうが危ない経験則だ。プランナーとして四年間を過ごしてきた時間は無駄ではない。

 キクの連撃に転倒しつつあるグレイベアストを無視して、エミリーを抱きかかえた。軽さに慄きながら、そのまま草原に転がり込む。潰さないように気をつける余力はなく、上から覆い被さるように倒れ込んだ。


「ぐわああああ」


 弱ったグレイベアストの喉仏にブラックが食らいつくのを、薄い視界の中で見る。倒れ込んでくる巨体から離れるために、エミリーを俵のように抱えて転がった。ちんたらしている暇はない。エミリーも分かっているのだろう。俺が移動して離したところから、更に半回転。自主的に転がって距離を取った。

 その場に倒れ込んでなお、のたうち回りながらこちらに向かってくるグレイベアストに、腰に差したナイフを取り出す。蹴り出した地面に銃弾が掠め、心臓が冷え上がった。後方へ飛び上がって、事なきを得る。続けて連発された銃弾は、俺たちを避けてグレイベアストを貫通し尽くした。

 その軌道は町の物見櫓からだ。ピュイか、と新たな敵襲でないことに肩の荷を下ろす。完全に動きを止めたグレイベアストに、脱力してこちらも倒れ込んだ。


「不用意に倒れ込むやつがあるか」


 キクがこちらへ近付いてきたらしい。ひらひらと手のひらを振って、がさつに応える。

 耳に届く魔法の音は、キクのとどめを刺す音だろうか。生き物を消滅させることはできないが、死骸は消滅魔法が効く。つまり、もう不用意な状況ではなくなったということだ。心置きなく、大の字になる。

 切れた呼吸が、なかなか戻ってこない。深呼吸を繰り返して、息を整える。

 他の地球人よりも、格段に慣れている自負はあった。だが、危機一髪には違いない。ずば抜けて運動神経がいいわけでも、果敢でもないことも、誰より自分が分かっている。

 こんな戦闘が日常に組み込まれているなんて、未だに信じられない。


「丞さん、平気ですか?」


 一足先に復活したらしいエミリーがこちらを見下ろしていた。さっきまで必死の形相だったくせに復活までのスパンが短いのは、流石先住民といったところか。

 俺は肘から上だけを持ち上げて、返事の代わりとした。エミリーがその手を取って、身体を引き上げてくれる。上半身を持ち上げると、隣に座り込んだエミリーに顔を覗き込まれた。


「……なんだよ」

「擦り切れてますよ、頬。目には到達してませんか?」


 白魚のような指が血を拭ってくれた。指の腹は硬い。死と隣り合わせの厳しい世界で生きている異世界人のそれだ。そして、その二の腕はグレイベアストの爪痕が残っていた。


「そっちこそ、深くないか?」


 触れてみると、擦過傷に近い代物で、既に血も止まっているようだ。

 ほっとする傍ら、間に合わなかったという後悔も生まれる。女だから、キズモノにどうたら、なんて時代錯誤なことを言うつもりはない。もっと差し迫った生命の危機として、間に合わなかったと思わずにはいられなかった。


「他は?」


 擦り傷は互いにたくさんある。それ以外を尋ねると、エミリーは座ったまま控えめに足を引いた。見逃さずに捕まえようとすると、肩を押して遠ざけられる。


「エミリー」

「セクハラですよ!」

「お前なぁ!」

「パワハラ!」

「怪我を見ようってんだろうが」

「キクさんに見てもらいますから大丈夫です!」

「歩けるんだろうな?」


 こちらには歩いてきたが、今はもう座り込んでいる。俺の怪我を窺うていを装ってはいたが、今となっては疑惑しかない。エミリーは、案の定嘘くさい空笑いを浮かべた。


「見せろ」

「大丈夫ですから」

「エロフのくせに生意気な」

「セクハラ倍プッシュしないでくださいよ!」


 ぎゃあぎゃあと騒ぐこちらを、命拾いした山方が見ていたらしい。その顔がほんのりと上気していたことに気がついたものはいなかったようだ。

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