第三話
目的地に着くころには、日が傾き始めていた。
外灯が行き渡っているとは言い難い異世界の町は、ほの暗い。王都と呼ばれるようなでかい町ならば潤いもあるが、今回の町は大きな町ではなかった。
山方と多嶋の要望は、避暑地のような場所を知りたいとのことだった。こちら側には避暑地という考えもないが、ようなというところから森のそばの町をチョイスして案内している。
その結果、モンスターに襲われる事件も起こったが、二人にとっては旅の思い出になったようだ。録画した映像を見返しては、スリルを思い返している。そんな新鮮な感慨など、忘れてしまったものだ。
何をするにも新鮮さを楽しんでいる二人を、宿屋に案内する。飯屋と一体型の宿は、一見すれば地球と大きな差はない。
ただし、どこも木造建築で、セキュリティなんて概念は薄かった。食堂はまだしも、部屋は薄い扉に硬過ぎるベッドだし、装飾もなく簡素だ。整ってはいても、地球のホテルとは比べるべくもない。
王都で貴族のお屋敷に宿泊するようなことでもなければ、豪華な部屋などは見ることも叶わなかった。この辺りの環境の差は不便そのものだが、二人には旅のエッセンスでしかないらしい。
そして、俺たちにも関係のないことだった。移動にキャンピングカーを使う理由が、ここにある。
そもそも、冒険者や旅人といった根無し草が異世界では業種と成立していた。とても恐ろしい業務形態だが、それはいい。
つまり、日常的に宿を必要とするものが多いのだ。結果として、どこの宿屋も満室になるのが早かった。とりわけ、田舎になればなるほど、宿は取りづらい。比率の問題だろう。
その影響下に敷かれないために、俺たち社員はキャンピングカーでの寝泊まりが課されている。初めは困却したものだが、慣れてしまえばどうということもない。異世界の硬いベッドで一夜を過ごすよりも、車内であろうともベッドという目的で設置された地球産のベッドのほうが、ずっと有能だった。
あいにく、うちの班は班長のキクウェテから番犬ブラックまで異世界人であるので、同意してくれるものはいないが。
とはいえ、こちらでは宿がなければ野営がデフォルトの世界だ。キャンピングカーは重宝されている。キクは特に気に入っているようで、魔法を駆使していくつかカスタマイズを施すほどには、住みやすく改造していた。
おかげさまで、宿はなくとも困らない。食事に関しても、インスタント料理を持ち込めばよかった。それでなくても、キクが料理好きであるため、どこに素泊まりすることになっても難はない。
俺たちはお客様を宿まで案内した後は、キャンピングカーに戻って待機するのが常だ。
しかし、本日はそうならなかった。
「ご一緒しませんか?」
そうエミリーに声をかけてきたのは、山方だ。かけた主はエミリーだったが、全員を含んだ誘いのようで、多嶋も後ろでこくこくと頷いている。
エミリーはこちらを見上げてきた。
そこは班長であるキクに判断を仰いでくれよ、と言いたいところだが、何かと杜撰な班長だ。
エミリーの教育を初期から一手に任されていたからか。エミリーはお伺いをすべて俺に回してくる。勝手な判断をしないことは褒めるべきなのだろうが、いかんせん副班長の荷が重くなっている気がしないでもなかった。
「では、お言葉に甘えて」
飯代は経費で落ちる。心配はない。
俺が答えると、エミリーは山方をロックオンして駆け出していった。零れそうになるため息は、どうにか喉元に留める。
多嶋はキクとピュイをエスコートしていた。やや不格好ではあるが、気遣いは見ていて微笑ましい。ブラックがしっぽを振りながらその後を追った。こちらも最後尾に続く。
前方では、山方がエミリーに腕を絡め取られていた。ぴっちりと密着したそこには、胸が触れているようだ。エロフめ。
黒い短髪から覗く山方の耳が、赤く染まっていた。あたふたと泳いでいる目が、たまにこちらにまで流れてくる。
お気の毒様。
車内では、仕事の最中だった。しかし、今は案内を終えて誘われたところだ。そこまでエミリーの世話を焼くつもりはない。山方に唾をつけようと、俺が関知するところではなかった。山方に口外に助けを求められたとしても、助ける義理もない。
エミリーの男漁り……というとあまりにも言葉が悪いが、誰彼構わず声をかけるのだから、さほど変わりはないだろう。
その悪癖をどうこういう立場に、俺はない。仕事中は上司という立場があるが、一度そこから離れれば特筆すべき関係性はないのだ。交流のすべてにくちばしを挟むつもりはなかった。
エミリーの恋、と呼んでいいのか。とにかく、色事に興味もない。
それに、異世界の恋愛事情は多様だ。一夫多妻もその逆もまかり通る。奴隷にそうした欲求をぶつけることもあれば、インキュバスやサキュバスなんて淫靡な生物もいる。
地球上でも、探せばいくらでも多彩だろうが、こちらの混合具合は少し関わっただけでも地球人にとっては異常だ。異種交配も珍しくはない。価値観が根底から違う。差別するわけではないが、易々と適応できるものでもなかった。
なので、エミリーの悪癖もエルフとしての平常であるのかもしれず、俺は扱いに困っている。だからこそ、業務に影響のない場面では素知らぬ振りを決め込んでいた。山方からのSOSとも取れる瞳も無視して、食堂のテーブルにつく。
異世界の大味な料理にも慣れた。
そりゃ、食に関して好奇心旺盛な国に住んでいるから、落差はどうしてもある。こんにゃくやふぐなんぞ食おうと試みお国柄だ。こちらの調理の大雑把さに驚くことも度々だった。
何せ、焼いて食うのが最も通俗的だ。生食もない。ついでに、肉はモンスターやらのもので、ゲテモノといえばゲテモノ料理だった。
ワニ肉や熊肉を食べるようなものだ。いや、ワニ肉を食ったこともないわけだが。まさか地球のゲテモノを体験するより先に、異世界の巨大トカゲの肉を好んで注文するようになるとは思っていなかった。
今日も、それと硬いパン。味の荒いコーンスープに、炭酸水を頼んだ。他のメンツのメニューも似たり寄ったりだ。
エミリーはサラダをこんもり盛っている。エルフは極力、菜食主義らしい。肉食も絶無ではないが、やむを得ぬ飢餓時に限ると聞いている。また、美味しいとも思えないらしい。
逆に肉食を主食にしているのはブラックだ。生肉に牙を立てている。犬の連れ込み禁止なんて衛生法は整えられていない。こちらには獣人もいるので、区別できないのだろう。まだ会ったことはないが、リザードマンなどもいると聞く。比べれば、犬くらい屁でもないというわけだ。
そうして、腹ごしらえをする。
こっちにも酒はあったが、俺には無関係のものだ。体質に合わない。そのことに不便さはなかった。下戸だからこそキャンピングカーの運転手を任されている面もある。
キクは木製のジョッキをどんどん空にしていた。破天荒な光景だ。何せ、この魔法使いは外見が十四歳くらいなのである。斟酌せずに言えば、合法ロリだった。
キクは外見などを自由自在に変えられる。そんな中で、子どものほうが好都合だと悪賢い理由で外見を固定していた。代わりといってはなんだが、ワンレンセミロングの髪色がしょっちゅう変わる。今はド派手なピンク色だ。
そんなピンク色の女児の隣で悠々とジョッキを重ねているピュイにも、違和感はある。ピンクに負けないほど深紅の髪色も目立っているが、ピュイは異世界ではとびきり目立つ地球のセーラー服を着ていた。
どうやら、女子高生……日本の若者文化に興味津々のようだ。些かズレて、オタク趣味になっているところがあるが、本人がいいのならば俺が関与することではない。
忍者を信じているアメリカ人みたいなことだろう。もしくは、こちらが異世界生物に抱く妄想と変わりない。そのうちに学ぶことであろうから、と実害がない限りは能動的に訂正するつもりもなかった。
ピュイは異世界における普通の人間だ。地球でいう高校のような学校を卒業しているらしい。こちらで学校に通えるとは、もしやお嬢様なのでは? と疑うも、日頃の態度からも、酒を呷る姿からも判別は不能だった。
こちらでは、十五歳から大人扱いになる。集落によって事情が変わる場合もあるらしいが、基本的にはそこから酒も煙草も解禁らしい。正式に遊郭を含めた歓楽街への出入りも認められると言うので、異性も解禁ということだろう。
何にしたって、セーラー服姿の見た目女子高生が酒を飲んでいるというのは如何ともしがたい。現代人として、注意せねばならぬような気持ちになる。
ここだけ切り取られてリークされようなものなら、俺は監督不行き届きになりかねない。たとえピュイが異世界人で成人していると主張したとしても、言い逃れは難しそうだ。
つらつらと考えていると、飯を食べ終えたらしいブラックが足元に丸まってきた。いつもならキクやピュイの元へ行くのだが、飲酒中は別だ。匂いが苦手なのか。飲めない俺を慰めるためなのか。こうしてそばにやってきた。大型なその背を撫でてやると、わふと満足げな息遣いになる。何度か構ってやりながら、食事を続けた。
そのテーブルに不意に影が差し、顔を持ち上げる。そばにはエミリーと連れ立った山方が並んでいた。こうして並んでいるのを改めて見ると、美少女の隣でも通用する山方も二枚目だ。
しかし、一体何の用か。眉を曇らせた俺に、エミリーが口を開いた。
「陸也くんと星を見てきますね」
すっかり気安い呼び方になっている。山方の名前が陸也だとは申込書の紙面でしか見ておらず、音で聞いてもピンとこなかった。
「キャンピングカーより森に寄るなよ」
「分かってますよ。森の民にいらぬ心配です」
「山方さんを危険な目に遭わせるなって言ってんの」
「当然です」
むんと胸を張るのを尻目に、行ってこいと手で空気を払った。
エルフは下着……ブラジャーをつけないので、胸を強調した姿勢を取ってほしくない。どうしたって気になる。だが、エミリーにとってはそれが普通だ。言ったところで首を傾げるだけだろう。見ないに限った。
エミリーは俺のおざなりな態度には文句があるようだったが、許可を得たことに満足したらしい。何も言わずに山方と扉を出て行った。
どうなることやら。
エミリーの男癖が悪い……惚れっぽいのはさておき、山方はどういうつもりだろうかと巡らす。
俺は一目惚れを否定するつもりは更々ない。合コンやらお見合いやら婚活やら。結局のところ、第一印象からお近づきになるものだろうし、ならば一目惚れしようと何らおかしくはない。俺だって、可愛い子には見惚れる。
だから、山方がその気であるのなら、それはそれで構わない。しかし、エミリーのほうが本気かどうか怪しいのが気にかかっていた。
誰でも彼でも、というやり口が不快だというわけではない。趣味に差し出口するつもりはなかった。だが、エミリーのやり方は行き当たりばったりであり、一方で切実さがあるのだ。ちぐはぐさは気持ちが悪い。
山方が翻弄されるような気しかせず、それが気がかりだった。
食堂に入る道中で絡まれていたのと、星空を一緒に見に行くのとでは意味が違うだろう。反対する気はない。これでエミリーの悪癖が収まるのならば、いっそラッキーと言っていいくらいだ。
しかし、引っかかりは拭えない。やはり、エミリーのちぐはぐさが原因だろう。とても地球人の価値にそぐわない感覚に思えて、心配になるのだ。
地球の後輩にあたる山方に肩入れをしているのか。それとも、俺が肩入れをしているのは、遊びと本気の区別がついていないようなエミリーのほうだろうか。
自分が本気の恋愛を知っているなどと言うつもりは毛頭ない。そんなものからは、とてつもなく縁遠いだろう。だが、だからこそ、というのもおかしな話だが、だからこそ働く第六感があった。
何も異世界があるから、超能力的なものを信じようというわけではない。単純な勘だ。それも、どちらかと言えば当てにならないほうが八割の。しかし、これもまたどちらかと言えば嫌な予感、のほうは存外当たる。
半々、と勝手に確率を出して思考を巡らせいると、やにわにブラックが身を起こした。
いつだって異変に一番に気がつくのはブラックだ。キクがそれに追従するようにジョッキを置いて、木製のステッキを空中から取り出す。続くように思考を切り替えられたのは、四年間の賜物だっただろう。
澄ませた耳が、外の騒ぎを拾った。
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