第二話

 座席のヘッドレストに頭をぶつける。天井や窓にぶつからなかっただけマシだ。シートベルトの活躍には頭が上がらない。

 しかし、後部。グレイベアストを相手取って銃撃戦を繰り広げていたピュイは、ただでは済まなかったようだ。


「丞班!」


 床から起き上がりしな叫ばれて、身を縮めた。

 班、は副班長の略らしい。呼称に加えられると、どうも班長らしさがあるので遠慮したいのだが、ピュイはちっともやめてくれなかった。とはいえ、今は呼称にこだわっている場合でない。


「山方さん、多嶋さん、お怪我はありませんか?」

「なんともありませんよ!」

「大丈夫っす」

「オレがいるんだから、怪我なんぞさせんわ」

「キクさんには感謝の念しかありませんよ。丞さん、本当に勘弁してください!」


 助手席にいるエミリーが、胸元を押さえて恨み節を寄越す。心臓に悪かったのはこちらも同じだ。言い訳なんぞできるわけもない。


「……すまん」


 崖からダイビングを決めたキャンピングカーを無事に着地させたのは、キクの浮遊魔法だ。浮遊魔法はほんの数秒間ものを浮遊させる力しか持たない。しかし、そのほんの数秒を利用して、確実に地面へと着地させてくれたキクの能力には感服するしかなかった。

 物理がどうとか重力がどうとか。そういう常識的な知識は、この職に就いて異世界と対峙するようになって軒並みぶち壊された。

 ピュイの打ち身をさっくり治しているキクの魔法を分析しようなんざ、無謀にもほどがあるだろう。


「すげぇっすね」

「魔法って、何でもありなんですね」

「めっちゃスリリングでした!」

「あの熊みたいなのは、もう追ってこないんですかね?」


 スリリングだったと言うわりに、おおらかな感想を零すお客様二人の図太さには呆れる。さっきまでの逃亡劇に懲りている様子は微塵もない。向こう見ずなのは、若さだろうか。

 大学時代の苦い記憶はいくつがあるが、その感覚はあまり思い出せなかった。所詮は地球内に収まることだ。

 この大学生二人組のように、異世界を行脚してへっちゃらなんてことはなかった。この数年で飛躍的に進歩したといえばそれまでかもしれないが、なかなかどうして無鉄砲だ。今どきの大学生が皆こうなのか。動画投稿主の気質なのかは定かではないが、貪欲であることには違いなかった。

 山方は黒縁眼鏡の中性的な青年で、多嶋は筋肉質でごつめの男だ。

 二人はキクをあれこれと質問攻めにしている。教えたがりのところのある魔法使いは、のびのびと弁舌を振るっていた。キクの異世界基準の話に、地球のことにも詳しいピュイが補足を加えているらしい。

 俺も入社した当初は、異世界について諸々の解説を受けた。だが、大まかにゲーム知識と擦り合わせるのが精いっぱいで終わったくらい難解だったのを覚えている。

 難解、というよりは、世界の常識が違っていたのだ。さも当然のように切り出される精霊の存在や魔力や印術など、もしも俺がサブカルを通ってきていなければ、殊の外分からなかっただろう。

 二人の青年は分かるほうなのか。話は盛り上がっているようだ。ピュイの膝の上に抱き上げられたブラックまで、輪に加えられていた。

 取り残されたというと語弊があるだろう。しかし、キャンピングカーの構造上、前部と後部の隔たりはでかい。俺とエミリーは前部に取り残されていた。


「エミリー、道は分かりそうか?」

「丞さんのおかげで鍛えられましたから」

「悪いと思ってるよ」

「まぁ、そちらは森に住んでいるわけじゃないですし、道慣れないのも分かりますけど」


 森の民であるエルフのエミリーは、どんな森でも迷うことはないらしい。

 精霊たちと心を交わし、案内してもらうそうだ。世迷い言にしか聞こえないが、配属三ヶ月のエミリーに、もう十指でも足りないほど救われているのだから、疑義を抱く失礼などしていられない。

 俺の方向音痴による多大な時間ロスに痺れを切らして、上がエミリーを配属してきたまであるな、と最近は思い始めていた。


「案内を頼む」

「仕方がありませんね。今度は安全運転でお願いしますよ」

「追いかけられなきゃ問題ないよ」


 モンスターに追いかけられるなんてものは、数年前まで非日常だったのだ。いくら異世界との交流があるといえど、地球で日常生活を送っているとそう馴染むものではない。モンスターに追いかけられれば、そのたびに度を失う。そういうものだ。


「エミリーさんは、森の道が分かる力あるんですか?」


 いつの間に、団欒から抜け出してきていたのか。前部に寄ってきた山方が、後部から乗り出すように声をかけてくる。エミリーはエメラルドのつぶらな瞳を瞬いてから、こくりと頷いた。


「森の精霊たちはエルフの味方ですから」

「怒らせると怖いってキクウェテさんは言ってましたけど」

「キクさんは魔法使いですからね」

「何が違うんですか、それ」

「エルフは精霊使い。魔法使いとは違います」

「はぁ……?」

「そうですねぇ」


 曖昧な相槌を寄越した山方に、エミリーは言葉を止める。うんうん唸って、解説の続きを探しているようだ。


「魔法使いは内側のエネルギー源……体内に流れる魔力を使うのに対して、精霊使いは外側のエネルギー、精霊に対して働きかけることで魔力を精製して使うって感じらしいですよ。それの何が違うのかまでは、俺たちには分かりませんけど」


 野暮かと思いながらも、助け船を出した。

 山方が感心した顔を寄越すのはまだ分かるが、エミリーまでそんな顔をしているのには微苦笑ものだ。

 当人たちにとって、差は歴然としていることらしい。人に説明することが難しいほどの摂理であるかのように。キクが俺に解説してくれたときも、かなり言葉を厳選していた。おかげで自己解釈の域を出ていない。

 だから、その辺りのジャッジはエミリーに任せてしまおうと思っていたのだが、本人が感心しているものだから正誤の判別はつかないままになった。


「丞浪さんってやっぱり異世界に詳しいんですね」

「自信はあまりないですけど」

「プランナーをやるくらいには、元から興味があったんですか?」

「残念ながら、山方さんたちには及ばないですよ」

「へぇ」

「山方さんは、異世界にご興味が?」


 てんで今更なことを、かしこまったエミリーが聞く。横目にその瞳の輝きを捉えた。丁寧な言い回しとともに、胸騒ぎがする。


「そうですね! 今、一番熱いスポットですし」

「異世界の生物にもご興味がありますか?」


 後部を振り返り、両の五指を絡めて胸の前で組む。手の動きに釣られると、豊満に膨らんだ胸元に目がいってしまうだろう。

 それでなくとも、気にならずにはいられないサイズだ。下品ではあるし、口にすることも視線も自重はしているが、思うことは思うであろう壮大なものだった。その胸元に、透き通った長いブロンドが傾げられた首に連動してさらりと流れる。

 バックミラーに映る山方の顔が紅潮した。


「え、ええ」

「エルフにご興味は?」


 後部に乗り出すように距離をつめたエミリーに、山方がまごつく。戸惑いがあけすけだった。女慣れしているようには見えないし、エミリーは相当な美少女だ。

 エルフの横に長い耳は見慣れぬがゆえに違和感があるが、それすらも造形美として昇華されている。地球人から見ても、非の打ちどころはなかった。種族の壁は、片手間に打ち崩す。

 実際、山方も


「ま、まぁ、そうです、ね」


 としどろもどろになっていた。

 それが、とうにほだされているだの何だの言うつもりはない。だが、悪い気はしていないだろうと手に取るように分かるのが苦々しかった。


「よろしかったら」


 組まれていた指が、そっと後部へ伸びていく。そのもの柔らかな指先が山方に触れる前に、俺はブレーキーを踏んだ。ハンドルから自由になった手を伸ばして、エミリーの両頬を片手で挟んでこちらに向ける。


「よろしくないから、よそ見してんな」


 おしとやかに瞳を揺らしていた顔が、寸秒で不貞腐れた。美少女然とした麗しさは薄れ、幼さが前面に押し出される。


「エミリー・リットロフ」


 含ませるように呼ぶと、


「ひどいです」


 と頬を膨らませて、俺の手を引き剥がした。エロフと呼んで制御したい俺の意図は通じたらしいが、ひどく不満ではあるようだ。


「ひどいのはそっちだろう」

「次のうろのある巨木を右に折れて、二股の獣道を左です」

「急に道案内に復帰するな!」

「見てろって言ったのは丞さんじゃないですか。私を都合のいいナビゲーターとしか思ってないくせに」

「そんなわけないだろ」


 白々しくなった物言いに、半眼が向けられた。気づかぬ振りをして、車を再発進させる。

 半端に放置された山方が、俺たちのことを凝視していることには気がついていなかった。

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