第二話
「……苦労したな」
所要時間は一時間半程度。ドライブにしては適切なレベルだろう。運転時間に主軸を置けば、疲労とはほど遠かった。しかし、道中のてんやわんやたるや、だ。
グレイベアストとフォルビーに追いかけ回されること数十分。前回の反省を生かしたのか。休みの間に職場から武器を受け取っていたらしいピュイが、最大火力をぶっ放した。バズーカはなかなか洒落になっていない。
追い払ったのはいいが、その衝撃で車が道から大幅に脱輪した。キクの魔法でどうにか道と呼べる場所へは戻ったが、そこからの道案内は流石のエミリーでも困難を極めたらしい。
何度か同じ道を往復し、最終的には遠回りして到着したようだ。その間、異世界の物事に不安そうな安井をステリィが励まして、そのたびに桃色のオーラを発生させていた。
エミリーも、俺と同じようにそういった関係に思うところがあるのか。それとも、ナビゲーターとして上手く機能できなかったことへの不服か。機嫌はよろしくないようだった。俺の判断で進んでいたら倍以上はかかったので、十分な働きであったのだが。
到着してからこっち。結晶石がきらめくという洞窟奥への移動中、どことなく不貞腐れていた。
洞窟内には、かつかつとバラバラな足音が響いている。時折混ざる、ぺたぺたという素足のような音はブラックだ。渡會と別れてからこっち、その間の人型の時間を取り戻すかのように、ブラックは四六時中獣状態だった。
先頭を行くのは、そのブラックとキクとピュイ。間にカップルを挟んで俺とエミリー。渡會以来、この列が定番と化してきていた。
探知能力の高い三人が前にいるのは都合がいい。しんがりは危険だが、だからこそ案内役が担うのは当然だろう。ピュイとキクはともに遠距離系なので何かあれば即応してくれるし、エミリーは逃げるのに特化している。心配はしていない。
……逃亡が得意な理由については、あまり考えないようにしている。
俺も身のこなしくらいには自信を持てるようになった。不意を突かれてもどうにかなるのだから、特殊技能だろう。こちらの生活に慣れるにつれ、身体能力は着実に変化してきた。俺強いができるような火力はないが、こうして人は強くなるのだなと体感はしている。
辿り着いた広い空間は、薄暗さからは遠い。
結晶石と呼ばれる虹色に輝く石。それは魔石とも呼ばれているものだ。それが洞窟の壁面を彩り、内部をまばゆく照らしていた。いくつもの虹色が重なり合い、極彩色が地面や天井や壁をも埋める。そこに立つ生物にさえも光は反射し、ひとつの芸術に組み込まれたようだった。
壮観。
キクがそう言ったのも納得の絶景が広がっている。たとえ、魔石に引き寄せられる魔法使いの言い草だったとしても、壮観には違いなかった。
「素敵」
呟いたのは安井だけだったが、全員の代弁であっただろう。さきほどまで不服を貼り付けていたエミリーも、瞳を丸くして辺りを見渡していた。
見開かれたエメラルドもキラキラとオーロラのように輝いている。白い肌も、透き通るようなブロンドも。いつかベッドの上で思った天使、という感想が蘇るほどに神々しい。
俺は周囲の光景にも目もくれず、美しいものを眺めていた。
「なんですか?」
周囲を見渡していたエミリーの視線が、こちらを捉える。途端に小難しい顔になった。
「言いたいことがあるなら言ってくださいよ」
「はしゃいでんな、と思っただけだ」
「いけないんですか」
「仕事中」
「丞さんはなんでそこまで真面目なんですか?」
遊び人のくせに、と言外の愚痴が聞こえる。
現在進行形じゃない。その反駁はするだけ無駄だろうと飲み込んだ。過去のこととはいえ事実で、エミリーをホテルに連れ込んだ前科もある。
「そういうんじゃねぇよ」
正直に言えば、今の『仕事中』は方便の末に出たでたらめだ。見惚れていたのをはしゃいでいるなんて誤魔化したから、こうなっている。そもそも、男漁りに苦言を呈していたのだって、エミリーには似合っていない不安定さが気持ち悪かっただけだ。
決して、真面目であるわけではない。特に理由もなく遊び人になれてしまう性向は、簡単に変わるものではないのだ。ただ、最低限をこなすだけの良識みたいなものがかろうじて機能しているというだけである。
真面目なんてものは、俺からはほど遠い。
エミリーはよく分からないって顔をしていた。俺は苦笑で話を流す。答えとして満足したわけでもあるまい。しかし、俺の相手をしているのが馬鹿らしくはなったのだろう。エミリーは情景の堪能に戻ったようだ。
誰もが感嘆を心の内に秘めているのであろう静謐な空間に
「懐かしいのではないか?」
というキクの疑問が響く。その問いは、洞窟内を一周して戻ってくるほどの時間を要してようやっと相手へ届いた。
「バレていましたか」
そう渋く笑ったのはステリィだ。
「そっちの安井も知っておるのか」
「明かしていますよ」
明朗な答えに、キクが目を点にする。
これは珍しいことだった。魔法使いらしく、というとまるで魔法使いに通暁しているようで誤解になるが。
差し当たって歴戦の魔法使いらしく、キクは鷹揚としているところがあった。テンションの上がり下がりは明瞭どころか億劫なほど激しいが、仰天することは少ない。
話の肝は分からないが、異質な会話が行われていることだけは把握する。ピュイもエミリーも似たような心境のようだった。あいにく、獣状態のブラックの表情は読めないので不明だが。
「どうするつもりじゃ」
「血を飲みます」
その物騒な発言を聞いたキクは、今度は落ち着き払っていた。内心は知らないが、表面上は落ち着いていた。代わりにぎょっとしたのはこちらだ。
どう話がステップすれば、血を飲むなどという物騒な内容になるのか。動線がまるで読めない。毅然と言い放った安井の顔つきから、それが比喩などではないことだけは読めた。
「ドラゴンの血は毒も同じじゃ。三日三晩苦しむことになるぞ」
「分かっています」
「血も薬も用意しておるわけか」
「僕の血を利用すればいいだけですから」
「かつてこの地を統べていたとも言われる竜王の血など、身の丈に合わぬのではないか」
「ステリィの血でなければ、嫌です」
「そもそもの話、ドラゴンになるのはよいのか」
この辺りで、ようよう話に追いつくことができた。
安井は血を飲んでドラゴンになろうとしている。そして、それはステリィのものを利用する予定らしい。
つまり、この麗人はドラゴンということだ。それもこの辺りを統べていたような。ドラゴンは上級モンスターだ。魔力量が並大抵ではなく、へんげをすることができる。
獣人とは違い、完璧な人へのへんげだ。獣人のそれは、生まれ持った特徴であるだけで、持っていない容姿にまでは変身できない。一方で、へんげは自由だ。だからこそ、ステリィは造りもののように整っているのかもしれない。
それにしても何という考えなのか、と安井の目を見る。
澄み切ったどんぐり眼は、
「はい」
と、気の迷いも見せずに重厚に頷いた。
それは、ここまで彼女が見せていた恋人と甘いひとときを過ごす一般的な女性像からはかけ離れて見える。覚悟という装飾がなされていた。
「……駆け落ち?」
呆けたようなエミリーの疑問に、カップルは顔を見合わせてから首肯した。場所柄がそうさせるのだろうか。荘厳な気配漂う肯定に、しれず唾を飲む。
「といっても、私は天涯孤独のようなものなので、それほど大仰なことではないのですけど」
ようなもの。
そこに付随するだろう正確な情報はあえてスルーした。本人が大仰ではないと言うことを指摘するのは、詮無きことだろう。
そこにどんな事情が横たわっていようとも。彼女には異世界の生物と駆け落ちを選択するほどの事情があるのだ。いっときの感情であるのではないか。などと、もっともらしいことを持ち出して、どうにかなるような気配はなかった。
それよりも、刹那に消えたエミリーの表情のほうがよほど真に迫って引っかかる。俺には、そちらのほうが胸を刺された。
「おめでとうございます」
振り絞ったような声は痛切に過ぎた。それは俺が事情を知っているから、そう聞こえるだけか。安井はそれを目礼で受け取った。
天涯孤独。
言葉がぐるりと脳内を回る。ようなもの、なんてものではない。それを実現化しているエルフがここにいる。腹の底が見えずに落ち着かなかった。
そんな心情を知るわけもないキクは、カップルにじっと目を向けている。
「このあと、実行するつもりでおるのか」
「はい。僕の家で」
「……術者はつけんのか」
キクの顔つきは厳しい。単語から察する物騒さと、現実の厳しさは比例しているようだ。ドラゴンになるなどというおおごとが、簡易的なわけもない。キクの緊迫感を察するに、予想よりもずっとリスクは高いのかもしれないと顔が歪んだ。
「つてがありませんから」
「栄斗」
「は?」
まったくの部外者とされていたところを引き込まれて、間が抜ける。
こちらを見るキクの髪色は、決意を示すかのような、意志の強さが反映されたような赤色になりつつあった。
「三日くらい、オレがおらぬとも問題なかろう?」
「はぁ!?」
「魔法使いは術者じゃ」
「待ってください。キクウェテさん。出会ったばかりの人にそんなことはさせられませんよ」
「信用が足らんという話か」
「そうではなく……大変なものであることは、あなたも承知でしょう!」
「無論じゃ」
堅苦しく頷く少女は、違えようのないほどに百戦錬磨の魔法使いだ。映えなんて日本の新しい文化に胸を弾ませる陽気な一面はなりを潜めていた。
「だからこそ、手伝おうと申し出ておるんじゃ。看病するほうも三日三晩付きっきりでなければならんじゃろうが。ステリィ一人でやり通せると本気で思うておるのか」
「それは」
「見通しが甘いと言わざるをえんな」
言下にぴしゃりと直言されて、リスティの背が縮まる。安井も前こそ見据えていたが、眉尻が下がっていた。
準備してきた気持ちは万端だろう。確固たる精神は本物のはずだ。しかし、手段が追いついていない。
それを指摘するだけであるなら、キクの言葉は手厳しいだけの部外者のものだ。だが、この魔法使いは協力を申し出ている。これが気遣いからもたらされる言葉であることは明白だった。
気を塞いだ二人を前に、キクはこちらを正視している。
「栄斗、どうなのじゃ」
思わず、ため息が零れ落ちた。
俺はこの班の副班長だ。班長たるキクが是が非でも行うと決めたのならば、命令してしまえばいい。会社の理念から著しく外れない限りは、俺たちは従わざるを得ないのだから、そうすればいい。決定権を俺に託すのはやめてほしかった。
どうしたものか、と頭を掻いて、もう一度息を吐く。
キクが俺に託すということは、会社や安井たちへ談判をしろということだ。察することができるようになったおかげで、要らぬ厄介ごとを抱え込んでいるような気がした。
「……ステリィさん、安井さん。このままキクが手伝うとして、無条件では受けかねるということでいいですか」
「え?」
正式には違うだろう。
迷惑をかけられない。二人の覚悟に第三者の介入があることが、すわりが悪い。もっと様々な感情が複雑に絡まっているに違いない。だが、今すべきことは仕事だ。キクが俺に任せるというのは、そういうことだった。
「雇ってください。三日間。延長なら優先されますから。他の仕事のことはきちんと対処できるようにマニュアルがあります。心配はいりません」
「ちょっと待ってくださいよ」
「安井さん、どうされますか?」
俺たちが今回依頼を受けているのは、安井だ。日本から異世界の旅。そのツアーコンダクターとして雇われている。ゆえに、声を上げたステリィではなく、安井へ視線を投げた。
「……えっと」
突然のことに動乱しているのだろう。その瞳は、どうすべきかとステリィを窺った。それから、キクへと移動する。キクは微動だにせずに安井を見つめていた。それが手伝いを申し出ていることは、こちらから見ていても分かったくらいだ。安井には、当事者としてより鮮やかに届いていることだろう。
しばらく、洞窟内から一切の音がなくなった。誰一人、身動ぎひとつしない。音鳴りが薄らと空気を震わす。その中に、すっと呼吸音が立った。
「よろしくお願いします」
ぺこりと深く頭を下げた安井に、ステリィが目を見開く。安井はお辞儀からなかなか頭を上げない。その頑なな態度に、ステリィも再び覚悟を共有したのだろうか。
「……お願いします」
ドラゴンにそんな習性はないだろうに。同じように頭を下げる姿に、こちらの気持ちも固まった。
「承りました」
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