第二話
「クレープって私でも食べられますか?」
「チョコバナナとか苺クリームとか果物が多いし、いけるんじゃないか? クリームは平気だったよな?」
「一応」
「……パフェのときは、結局食えずじまいだったからな。試すか?」
「でも残すのはいけないでしょう?」
この辺りの教育は、しっかり行き届いている。異世界でも変わらない価値観なのだろう。むしろ、あっちのほうが食糧難は緊迫していた。切実な問題として、残す余裕なぞないはずだ。
「食えなかったら俺が食う」
「食べかけいいんですか?」
「いいよ」
今更、そんなものに照れるほど初心じゃない。
エミリーのほうも気にしないらしく、テンションを上げて列に並んだ。昨日も一人で……ブラックもいたが、まぁ一人で過ごしていただろうから、買い物の心配はないだろう。
俺は道端の隅で適当にエミリーの帰りを待った。向かいで綿あめを売っているのに気がついて、足をそちらへ向ける。
姿は見える距離なので、離れたところで問題はないだろう。妙に気にかけてしまうのは、過保護という観点なのか。エスコートという観点なのか。それは考えないことにした。
それぞれ買い物を済ませて合流すると、エミリーは手に持ったクレープにも俺の持つ虹色の綿あめにも瞳をキラキラさせて大忙しだ。異世界人の旅人の興味というよりも、小さな子どものそれだった。
「ほら」
「いいんですか?」
「食べたかったんだろうが」
「贅沢食べですね!」
どこで仕入れた知識なのか。狂喜乱舞のエミリーが、俺が持つ綿あめにかぶりついてくる。横着するなよと思ったが、クレープを両手でしっかりと持っているものだから、受け取ろうという考えに及ばないのだろう。
「ふわふわ! 甘い!」
叫んだエミリーは、じたじたと地団駄を踏んだ。砂糖の塊でこれだけ喜んでくれるのだから、綿あめも本望だろう。
「溶けちゃいますね」
ほわんと呟くエミリーのほうが溶け出してしまいそうだ。柔和な感情表現がよく似合う。思えば、こんな顔を見たのは初めてかもしれない。やっぱりこうして素直に過ごしているほうが、エミリーはモテそうだ。
「クレープも食えば」
「ふふ、本当に贅沢ですね」
異世界じゃ、デザートにお目にかかるなんてのは稀だ。二個一気食いなんて、かなりのレアリティに違いない。貴族でさえ、そうすることではないだろう。こっちでも綿あめとクレープを交互なんて、ただの食いしん坊だが。
エミリーはぱっくりと大口でクレープに噛みつく。食いっぷりが気持ちいい。そうして、んーと再びじたじたする。
「果物もジューシーでとっても美味しいです。甘い!」
異世界では、甘さも制約される。果物も土地によって当たり外れはでかいし、砂糖は質が悪かった。甘味なんて世に出回ることはほとんどない。バナナチョコクリームにしたらしいエミリーのそれは、エミリーからすれば常軌を逸して甘いだろう。
それにしても、ぱくぱくと食べ進めるエミリーは本当にただの食いしん坊だった。万歳である。
「クリーム、ついてんぞ」
「ふへ?」
食べ慣れていないからだろう。間抜けな反応をした口元には、白いクリームがのっていた。ピンク色のそばにあるホワイトというのは、どうもこうして目に映えるのだろうか。ぺろりと赤い舌が拭うように動くも、上手くはいっていない。
取れましたか? とでも言うように見上げてくる顔に、指を這わせた。するりとクリームを掬う。行き場はないのでそのまま舐め取ると、甘い風味が口内に広がった。エミリーが唖然とこちらを見上げている。
「何だよ? 取らないけど」
「そうじゃありませんよ!」
ぎゃんと叫ばれるが、意味が分からずに首を傾げた。
突然騒ぐなんて情緒不安定か。お互い怪訝を浮かべて停止する。それは数秒にしか満たなかったはずだ。しかし、それは十分に珍妙な間であった。
そして、事態を動かすに十分な間だった。
「まーた、女の子を誑かしてんの?」
後ろからかけられた声に振り返る。ただただ置いてけぼりのエミリーが怪訝を深めた。俺はその発言主を見つけて、力いっぱい顔を顰める。
「なんでいるんだよ」
「そっちこそ、休み? そっちの可愛い子は?」
背後からこちらへ合流してくるのは、友人の
「栄斗、紹介して」
「エミリーだよ。後輩」
「大学時代の?」
「職場だよ」
「へぇ。職場の後輩をひっかけるなんて度胸があるんだな、栄斗は」
「外聞が悪いことを言うな」
「違うの? 自分のパーカーなんて着せちゃって、手つきのアピールしてるじゃん」
「そんなんじゃねぇよ」
エミリーは薫の言葉に自分のパーカーを見下ろして、俺を見上げてきた。微妙に軽蔑を含んだような視線に思えて苦くなる。
そんな思惑があるわけもないし、現実に何もなかっただろうが。
「じゃ、本命? 心、入れ替えたの?」
「だから、そういうのじゃねぇって」
「はぁ? 嘘はやめなよ。栄斗がそういうんじゃなくて女の子を連れてるなんてありえない」
「人を何だと思ってんだよ」
眉間を揉んで、どうにか表情をほぐす。そうでもしていないと、強面になりそうだった。エミリーは黙って俺たちの会話を見上げている。黙って、というには聞き耳を立てているようだったが。
「じゃあ、さっきのは何? 女の子の口元に残った生クリーム舐め取っちゃって」
「な、め……? 舐め取ってはないだろ!」
人がキスまがいのことをぶちかましたように言うな。じろりと睨んでやったが、薫は肩を竦めるに留めた。爽やかで整った顔つきでそれをやられると、強烈に胸くそが悪い。
しかし、薫はどこまでもクールだ。その顔で、エミリーを見ると手でそちらを示す追加まで行ってきた。見てみろ、と言わんばかりの仕草だ。従うのも癪だが、無視も難しい。エミリーを見下ろすと、見たことのない気難しい顔つきでこちらを見上げていた。
なんだよ、その顔は。
エミリーはしばしそうして俺を見上げていたが、そのうちに視線を横へとずらした。いや、何か言えよ。読めない視線に異議申し立てをしたい。
しかし、エミリーはもう薫に意識を向けていた。
「丞さんって遊び人なんですか?」
「ちが」
「そうだよ」
「違うだろ!」
「そうじゃん」
「もうやってない」
「もうやってない……?」
しっかり聞き取られて、オウム返しにされる。ジト目で見上げてくるエミリーから顔を逸らして、後ろ髪を掻き乱した。仏頂面にもなる。エミリーの冷たさが身に沁みた。
言いたいことはなんとなく察する。
恐らく、ただ単に遊び人であることを非難しているわけではないだろう。遊び人であったのなら、何故自分の行動を口うるさく止めてくるのだという論も含まれているはずだ。分かってしまうからこそ、冷たさはより一層身に沁みた。
「知らなかったの? エミリーちゃんは」
「知りませんよ」
「大学時代は……っ」
俺は即座に薫の口元を覆い隠した。薫はむぐむぐと呻いているが、まったく手加減などしてやるつもりはない。
「ちょっと丞さん、そんな……苦しそうですよ」
袖を引っ張られて、エミリーに免じて手を離す。しかし、気持ちは収まらない。睨んで言葉は刈り取っておいた。愚かな過去を職場の人間に晒してほしくはないものだ。分が悪ければなおのこと。
「行くぞ、エミリー」
とにかく、このままでは骨身にこたえる。
薫は容易く黙る性質ではない。かえって面白がって、積極的に暴露する可能性すらありえた。勘弁だ。回避するためには、逃げ出す以外にない。敵前逃亡と言われようと何だろうと構わないから、退却するに限る。同行する理由はないのだから、構わないはずだ。
くるりと背を向けた後ろから追いついてくる足音がある。エミリーだろうと決めつけて、歩を進めた。振り返ることもしない。しかし、事はそう上手く運んでいなかったようだ。
「今日はどうしたの?」
「ニホンを案内してもらってるんです」
……ぐるんと振り返って目視した薫の姿に眉を逆立てる。
「なんでついてくるんだよ」
「暇だし」
「いいじゃないですか」
軽快な合いの手を入れたエミリーを見下ろした。まだ食べ終えていないクレープを片手に薫と並ぶ姿に、ため息が零れ落ちる。
「……勝手にしろ」
だったら俺は撤退してもいいか、と言いたくなった気持ちを飲み込んだ。二人きりで放置して好き勝手に吹き込まれるのも勘弁だし、エミリーを放っておくのも気がかりだった。男好きの悪癖がどこに出るとも限らない。
双方への感情として、二人きりにさせておきたくはなかった。
「あれ。エミリーちゃんには甘いんだね、栄斗は」
「うるさい」
ははは、と朗らかに笑われて、不機嫌は加速する。なるべく相手をしないことだ。俺の話題でなければ、二人で盛り上がることに干渉するつもりはない。
俺は手元に残っている綿あめを食いながら二人の前を歩いた。
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