第四章

第一話

 地球に戻ってきても、大体はキャンピングカー生活だ。拠点となっているので、ルーティンが変化することはない。ただし、夜が明けてからのルーティンは変わってくる。休日となればなおのことだ。

 そして、今朝はいつも寝坊気味のキクが元気に起きてきていた。挙げ句の果てに


「今日一日、スマホを貸してくれ」


 などと嘯く。


「……何するつもりだ」


 及び腰になった。こいつに貸して、まともな状態で返ってくるかは賭けだ。そんな危ない橋を渡る趣味はない。


「双子と連絡を取るんじゃ。遊びに行く」

「そんな即日で日程が合うかどうかも分からん真似をするな」

「舐めとるのか。事前に予定は確認しとるわ」

「いつの間に触った!?」

「栄斗が寝とる間じゃ」

「勝手に使うなよ」


 言いつつも、諦めてはいる。スマホは、ほぼほぼ支給品と化していた。交際費として会社に費用を負担してもらっている以上、班員が連絡を取るために使うという申し出に全面的にNOを突き出すことは難しい。

 というよりも、本部からは班共有の一台と見られている節もある。おかげで、キクは俺のスマホを使うことに抵抗がないのだろう。機械音痴のくせに、便利なものは好きなのだ。


「とにかく約束してるんじゃ。今日はオレに貸せ」

「……俺の予定は無視か」

「エミリーを案内するんじゃろうが。最悪なくともなんとでもなろう」


 悔しくはあるが、その通りだ。第三者に連絡する予定もない。それに、エミリーはスマホを持っていないので、何かあっても連絡手段にはなり得なかった。仕事での急務があれば、キクであれ誰であれ連絡がつけばいい。言葉はなかった。

 キクは俺の無言を了承としたようだ。手早く奪い去って、キャンピングカーを後にする。文句をつける隙もない瞬歩だった。魔法を使ったんじゃないのかと疑うレベルだ。

 追いかける術はない。髪を掻き乱して、息を吐き出した。


「ブラック。お前はどうする?」

「わふ」


 ひと鳴きすると、その場に蹲って寝入る体勢に入る。ついてこないという意思表示だろう。くしゃくしゃと長い毛を撫でて離れた。

 キャンピングカーは会社の敷地内に駐車させてもらっている。今日は電車移動と決めてあった。


「扉は閉めていくからな。留守は任せるぞ、ブラック。エミリー、行くぞ」

「はーい」


 ブラックは雑にしっぽを振ってお見送りをしてくれる。ついでに、エミリーの返事もあっけらかんとしたものだった。苦笑にはなるが、気にするようなことでもない。こちらもエミリーの姿を振り返りもせずに、さくさくと進んだ。


「どこに連れて行ってくれるんですか?」

「原宿」

「何があるんですか?」


 いつもよりずっと質問が多い。視線も上下左右に落ち着きがなかった。好奇心が疼いているらしい。初めて日本に来る異世界人は、こうなるものなのか。今まで案内してきた異世界人も大体はこんな感じだった。

 逆もしかりであるけれど。


「虹色の雲」


 エミリーは一瞬きょとんとして、それからぱっと空気をきらめかせる。それこそ、虹色なんじゃねぇのかってくらい眩しかった。


「タピオカも飲んでみたいです!」

「はいはい」


 俺のぞんざいな返事も眼中にない。エミリーは無邪気に喜んで、スキップのように軽やかな歩調で歩く。

 こうして普通にしてりゃ、男もころっと落ちるだろうに。

 ふっと浮かんだ思考に、こめかみを押さえた。なんだその、うっかりしてしまったみたいな感想は。してたまるか。

 どうにもごちゃついたこちらの気など知らぬエミリーは、ただの移動も楽しいようだった。地球は異世界よりもずっと情報量が多い。よそ見し過ぎると人酔いするんじゃないかと不安になる。しかし、わざわざ言うほど過保護になるつもりもない。

 そもそも、年齢で言えばエミリーのほうが年上だ。エルフは無論、魔法使いも獣人も長生きなので、うちの班では外見と年齢が一致しているのは俺とピュイしかいない。セーラー服には一年ほど後れを取っているが、許容範囲だろう。

 とはいえ、エミリーは外見も年齢も同年代。並んで歩いていても、違和感はない。

 ……ないはずだ。はずだが、やたらと周囲の目が刺さる。染みひとつないブロンドが物珍しいのか。それくらいなら地球にだっているだろうと煩わしく思って、ふと気づく。

 エミリーはエルフだ。森の民。それでなければ、物語にはしばしばこうも書かれるだろう。耳長族。つんと伸びた悪魔耳。どれだけ行き来が盛んになっても、気になるものは気になるらしい。

 気に留めていなかった。異世界人との境界を感じづらくなっている自覚はある。

 地球人は、他人の差別発言などにはチンピラみたいな絡み方をするが、その実偏見を持つものも多い。この中に、エルフを異生物として見なしている視線が何個あるだろう。そう考えると落ち着かない。

 エミリーだって、快くないはずだ。そう思って様子を見るが、当の本人は他人の目など毛ほども気にしていないようだった。

 いや、分からない。受け流すことに慣れているだけなのか。そういうものだと諦観しているのか。それとも、本当に些末なことだと割り切っているのか。

 分からないまま電車に乗って、ひとつの勘違いに気がついた。周囲の目の意味についてだ。容姿に注目しているのは変わらないが、それはエルフとは無関係だ、と。

 エミリーは美人だ。スタイルがいい。もっと身も蓋もなく言えば胸がでかい。それへの興味本位な視線だった。

 向こうの服は、防御力が低い。あまりよい素材でもないし、すぐにほぐれる。近頃は向こうでも地球産の衣服が流通しているが、それは貴族の嗜みだった。一般市民には手の出せるものではなく、エミリーだって同じことだ。

 というより、森の民は森に住んでいるくせに、防御力が紙だった。自然と一体になるために、生物は裸に近いほうがいいとでも思っているのか。古代ローマ人のようなスタイルである。要は薄手の布だ。季節柄涼しそうではあるが、そんな薄手で胸がでかいうえに、下着文化がないのは大層目立つ。

 意識してんじゃねぇ、という話だろうが、目に入るものは仕方がないし、目に入った以上気になるのは仕方がない。意識のみの話をセクハラや痴漢というのは残酷だ。全員が全員、悪意を持って嬲っているわけではないだろう。

 個性的な服装の人を見てしまうように、特徴的な部分に目が向くのは仕方があるまい。やるべきことではないが。

 だが、エミリーは服装という点でも浮いているし、横乳が見えるほどであるし、俺が通行人でも思わず見てしまっていただろう。おっぱい星人だと友人になじられたことがあるので、基準になりえないかもしれないが。

 それにしても、ここまで分かるものかと思う。

 女性は見ていると分かるとよく聞く。なんとなく気をつけなくては留めていたが、こうもあからさまに分かるのかと思うと反省も深くなった。見る気持ちも大いに分かるが、不躾であることには変わりない。

 ……それでも、横乳は見ちゃうよなぁとエミリーを見下ろす。俺も周囲の視線と大差ないだろう。

 パーカーを脱いで、エミリーを呼んだ。


「なんですか?」


 吊革に掴まっているから、よりよく見えるんだな。と、また流してしまいそうになる視線にストップをかける。


「着とけ」


 パーカーを差し出すと、エミリーは複雑そうな顔になった。


「どうしてですか?」

「……目立つ」

「洋服、変ですか?」


 目立つのは洋服じゃなくておっぱいな。

 そんなの面と向かって言えば、それこそセクハラ問題だろう。いや、男の上司のパーカーを着させるというのもセクハラになるのか。訳が分からなくなりそうだ。

 俺は無言でパーカーを押し付けた。毛嫌いしていれば拒絶するはずだ。エミリーは渋々、というよりも解せぬままに、流れでパーカーを受け取った。それから、不審な顔をしつつもパーカーを羽織る。

 周囲の目はいくらか散ったが、俺の中には動揺が広がった。

 華奢さが可視化している。自分のパーカーを他人が着ていると思うと、落ち着かないものだ。性差は関係がない、と自己暗示にかけた。萌え袖なんて、今更の文化に同意している場合じゃない。

 俺は特に珍しくもない電車からの風景に夢中な振りをして、エミリーから視線を引っぺがした。エミリーの疑問は解けていないだろう。しかし、こちらに釣られたかのように外を見て、流れる景色に夢中になったようだった。チョロい。

 その後、周囲からの視線は僅かに減ったが、時折流れてくるものは避けようがなかった。そうして電車に揺られながら、目的地に到着する。降りると、賑やかな喧噪が聴覚と視覚を突き刺した。

 こちらだって久しぶりで変化への衝撃はあったが、隣のエミリーほどではない。ぱちぱちと激しく瞬きを繰り返してぐるぐると辺りを見渡す姿は、狂ったコンパスみたいだ。


「どっちですか」


 夢見心地でこちらを見上げてくる瞳が爛々と輝いている。微笑ましさを頬に含みながら、あっちだと歩き始めた。


「迷わないですよね?」

「大丈夫だ」

「本当ですか?」

「心配しすぎだろ」

「それくらい向こうじゃ迷うじゃないですか」

「日本人に森の中をがしがし進んでいけるやつは少ない」

「丞さんのはそういう次元じゃありません」


 そんなものは、俺が誰よりも通じている。むっつりと唇を引き結ぶと、エミリーはくつくつとおかしそうに笑った。恒常的に案内させられて迷惑しているだろうに、笑っていていいのか。

 エミリーは道すがら、あちこちを指差して質問を浴びせてくる。できる限りは答えるが、こっちだって万能じゃない。地球の物の流れは速い。異世界に馴染んでいる間にすり抜けていることも多々あった。

 ただ、分からないと答えてもエミリーはがっかりすることもなく、想像を巡らせているようだ。肩肘張って案内しなくていいのはありがたい。こちらだって、休日に仕事のようなことはしたくはなかった。だから、気軽な応酬で楽しんでくれるのならば気が楽だ。

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