第42話 さらに深まる悩み

 ヘレンの申し出をアース様が断る。それには理由があった。


「ヘレンよ。其方の言うことが本当なら、来月なのじゃ!」

 聞いたことがある。孤児が孤児院にいられるのは、10年間まで。

それを過ぎた最初の6月末までに孤児院を出ていかなくてはならない。

もし違反すれば、逆に一生を孤児院で過ごさなくてはならない。

うんざりするほど古いしきたりだけど、何人も守らなくてはならない。


「仕事の途中で出て行かれたのでは困るのじゃ!」

「そんなこと、決してございません。私は一生孤児院暮らしでもいいのです」


「よくないのじゃ。ヘレンがその気でも、猫谷組が関わることはできぬのじゃ」

「そんな……外の世界なんて、穢れています。私は、ここにいたい!」

 『穢れています』のとき、何で僕を見るんだ、ヘレン……。


「ダメなのじゃ! ヘレンよ、よく聞くのじゃ。

其方が思うほど、外の世界は汚れていないのじゃ……」

 側から見れば、少女に説教する幼女。けど本当は幼女に説教する少女だ。

あっている。僕は口を出さずに黙って聞くことにする。


「……たしかに、エロい目で見る王子がいるやもしれんのじゃ……」

 いません。そんな王子、いませんから。

許してーっ! こっち見ないでーっ!


「……じゃが、世の中、捨てたもんじゃないのじゃ。

そのことは、孤児院出身の先輩である儂が保証するのじゃ!」

 まさか! アース様が孤児院出身だったとは!

最も歴史と伝統のある猫谷組の若き棟梁だから、

僕はてっきり血筋だと思っていた。

幼い頃から英才教育を受けていると思っていた。


 それに、孤児院出身にしては胸が小さ過ぎる。


 けど実際は、元孤児。誰の子かも定かでない存在。それが、アース様の強さ!

それこそが常に新しいものを追い求める猫谷組の真骨頂!


「うそよ。そんなのうそに決まってるわ!」

 聞き分けのないヘレン。繰り返すが、今、少女が幼女に説教しているだけだ。


「うそではないのじゃ!」

「でも、アース様のその胸、どう考えても孤児院出身じゃないわ!」

 ここにいる孤児はみんなヘレンのように凹凸がある。

対するアース様は、完全なる円筒形。僕は力強く頷く。


「わっ、儂の頃は、10年前は、イソフラボーンがまだなかったのじゃ」

 イソフラボーン。最高司祭様の祝福によって大豆から生まれる聖なる食物。

見た目は単なる豆乳だが、侮るなかれ。ボーンと豊胸効果抜群と謳われている!


「たしかに、イソフラボーンが支給されたのは10年前から」

「そっ、そんなに効果絶大なんだ! すごいなぁ……」

 これがイソフラボーン摂取有無の差なのか。

ついまた、ヘレンとアースを交互に見てしまう。

もちろん、どっちにもこっぴどく叱られる。


「兎に角、ヘレンの工事現場への立ち入りは許さんのじゃ」

「いやだいやだいやだ! 私も西の館の改修に参加したい。うぇーん」

 泣いて甘えるヘレン。11歳と知ってしまっては放っておけない。

僕は、泣く子と幼女には弱いらしい。泣かれては尚更だ。


「しかたない。何とかする方法を考えるよ……」

 僕の悩みは、尽きることを知らない。




 礼拝堂にしばらく留まることにしたアース様をおいて、ひとり西の館の戻る。

お茶を2杯、アイラに頼む。たまには一緒に飲むのもいいだろう。

そして、今度こそまったりのんびり……することができない。悩みが多過ぎる。

エーヨを笑わせる問題。ヘレンの就業問題。余った米の問題。

どれも難問だ。ヘレンには悪いが、急場はエーヨを笑わせる問題。


 1人で悩んでいても埒があかない。

外で作業をしていたメイドを呼び寄せ、訊いてみる。


「そんなの、くすぐればいいんじゃないですか?」

「キュアの言う通りよ。1番手っ取り早いわ」

 それはダメらしい。オートスリア公爵夫妻が確認済みだ。


「そうですねぇ。象でも転ばせればいいんじゃないでしょうか?」

「あー、キャス、そこまでしなくても箸が転げれば笑うわ」

 いいやっ、そんなんじゃエーヨは笑いません! これも確認済み!

 

「わっ、ワライタケという奥の手もありますよ! ボクが採ってこようか?」

 うーん、本当に奥の手だ。奥の手過ぎる!


 結局、みんなで考えても妙案は浮かばない。

みんなを仕事に戻し、アイラが戻るまでひとりで考えることにする。


「エーヨ。君はどうやったら笑うんだい……」

 思わず呟く。僕の悩みは、尽きることがない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る