第38話 決勝審判道化師

 その男は、青い旗を掲げて静かに立ち上がった。

それに気付いたのは、僕とヒーライがほぼ同時だったと思う。


「しかーし、このゲームは審議! このゲームは審議! 決勝審判道化師が静かに立ち上がったーっ! 態勢的には、タイミング的には間に合ったように見えますが、どうか。審議内容の説明を待ちましょう!」


「……お知らせします。ただいまの第3ターン第3ゲームは、決勝タイムについてと、トール殿下の右手がハーツ公女の衣服に触れたかどうかについて、併せて審議を行います。お手元の勝ち王子投票権は、今しばらくお捨てにならずにお待ちください……お知らせします……」


 勝ち王子投票権って、何? 聞いてない。

間に合ったのは間違いないと思うけど、こればっかりは審判の判定次第だ。

ハーツ公女の衣服に触れたかどうかだって? それは間違いない……いや……。

ひょっとして直に肌に触れてしまった? あのやわらかさならあり得る。

不安が過ぎる。


「えー、お聞きいただいた通り、このゲームは審議の対象になっております。

お手元の勝ち王子投票権はお捨てにならずにお待ちください……。

 さて、チャッチャ様。この審議、どう見ますか?」


「うらやましいにょら! ずるいにょら! 代わりたいにょら!

 ……いや、けしからんことです!」

 どうしてチャッチャ様はこんなにも美少女とからみたがる?

エミーをそばにいさせといて正解。

よだれモードになっても、直ぐに美少女グラスを満たし王子モードに突入する。

さすがのヒーライも困った様子だ。


「そういうことではなく、審議の結果をどう見ますか?」

「それは簡単。再現道化を見れば一目瞭然だろう」


「しかし、ハーツ公女の体型を再現できる道化師は存在しませんよ」

「ならば、自ら演じてもらえばいいだけのこと!」


「なっ、なるほどーっ! それならばできそうです!」

 チャッチャ様の意外な提案に、場内は肯定的に盛り上がる。

だが、1人だけ反対する者がいた。ハーツ本人だ。


「そんなん、困るわ。うちの胸を何だと思っとるんや!

たとえ道化師かて、トール以外の男には触らせへん」

 場内はハーツの純情を知った。


「やはり、再現道化は難しいようですが……」

「いや、女性道化師は数多いる。その中にトール殿役を演じ切れる者がいよう」

 女性道化師、父王の男女平等社会実現の方針によって生まれた職業。

女性であれば、ハーツは断らない。


 だが、場内は納得していない。


「ハーツ公女の胸に触るなんて、王子だから許されること」

「一介の再現道化師風情に触らせてなるものか」

「ハーツ公女の胸は、もはや国宝である!」

 おさまりがきかない。


 議論の挙句、場内の視線が僕に集中する。

再現道化を演じろというプレッシャーがすごい。


 けど、ハーツの胸がどんなものか、僕には分かる。

あんなものをもう1度触れるだなんて自殺行為だ! キュン死してしまう。

僕にはできない……でも、あの人なら!


「皆さん、どうでしょう。僕の役はチャッチャ様にお願いしては!」

 チャッチャ様なら、僕以上に王子だ。少なくとも、王子モードのうちは。


「なるほどーっ! チャッチャ様なら公女だし、王子以上に王子だ!」

 ヒーライの盛り上げで、場内のみんなも納得した。ハーツも納得。

満場一致かにみえたが、反対を称えるものが1人だけいた。


「いや、しかし……私がトール殿を演じるにゃぢょ、できっこにゃいにょら」

「チャッチャ様ならできますよ。僕の代わりに西の館を護ることだって!」

 僕の発言に併せて、よだれモードのチャッチャ様の背中にエミーが抱きつく。


「あー、こうして私がお身体を支えます、チャッチャ様」

 チャッチャ様が王子モードになる。


「分かった。私がやろう!」

 こうしてチャッチャ様とハーツ本人による再現道化が行われることになった。

場内はやんややんやの大盛り上がりとなる。




 僕の直ぐ左下方から地味な声。


「それにしても、あなた、酔狂ね!」

「エーヨか。別に酔狂じゃないよ!」

 言いながら目線を声のする方に向ける。


 そこにいたのはいつもとはちょっと違うエーヨだった。

違いといえば、黒縁メガネがほんの少し鼻にかかっているだけ。

それだけで僕は、危うくエーヨの瞳という深い泉に吸い込まれそうになる。

鼓動が速まるにつれて、リズの言葉を思い出す。


 ただし、それは一瞬のことだった。


 エーヨがずり落ちた黒縁メガネの真ん中を右人差し指でくいっと押さえる。

それっきり、いつもの地味なエーヨに戻ってしまう。

僕が見たものは、一体、何だったのか……。

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