第29話 追い縋る敵!

 トーレは、普通に説明してはなしの通じる相手ではなかった。


「だったら、なおのこと都合がいいじゃないですか。いい買い物ができますよ」

「でも、店があるのはもっと奥の方でしょう。何にしても急がないと!」


「いいえ。この場で決済が可能です!」

「さすがにチャッチャ様の店で買い物するわけにはいかないよ……」


「私です。私を買ってください! つまり、雇用契約です!」

「もらったぁ!」

 トーレが僕のはじめてのお買い物だ。


「では、雇用契約成立ってことで!」

「うん。細かな条件は、あとで決めよう」

 こうして僕たちは、ミラーウ海岸を出発することにした。




 ペカリンに僕とトーレの2人乗り。でも、どこかおかしい。

トーレは子供じゃないのに、僕の前に横乗りしている。


「トーレ? 普通、背後に乗りません?」

「そうでしょうか? あっ、背中に私の胸を感じたいんですね」


「いや。そういうわけじゃありませんが」

「だったらこれで、よろしいじゃないですか!」

 言いながら僕にしがみつくトーレ。

胸は背中でなくても感じることを知る。おまけにいい匂い。

でも、負けない。全ては西の館でまったりのんびりするためだ。


「いやいや。おかしいでしょう。やっぱり背後ですって、普通」

「速く走るには、この方がいいんですよ、きっと!」

 『きっと』が気になるが、速いなら文句はない。


「分かりました。このまま行きますよ!」

「お願いします、ご主人様!」

 さぁ、出発だ! 脚を大きく外し、ペカリンの腹を蹴る準備をした。


 そのとき……チャッチャ様が店から出てくる。

トーレに目をやるなり、「ななっ、何とも堪らん……じゅるるるるっ……」

と、ぷくりと鼻の穴を膨らませ、口からは大量のよだれを垂らしている。

よだれモードだ。


「はいよーっ」

 見なかったことにしてペカリンを駆る。ペカリンは充分期待に応えてくれる。




 2人乗りとは思えない速さで駆け続けるペカリン。ゴールは目前!


「このまま、何事もなく終わりそうですね!」

 トーレの言う通りだ! 勝利を確信する。


 ゴール地点まで残り400メートル。丘のてっぺんに登れば勝利だ!

これでやっと西の館でまったりのんびりできる!

ペカリン、ここまでよく頑張った。あと少し、よろしく頼む!


 と、そのとき。「トール殿、卑怯だぞ!」というチャッチャ様の声。

いつの間にか横に並ばれている。大量の荷を積んでいるのに速いっ!

青と白の制服の襟口の黄ばみが、よだれモードの壮絶さを物語る。

だが、今のチャッチャ様は違う。王子モードだ! これは手強い!


 チャッチャ様が前に出る。余裕の走りだ。

対するペカリンは、2人乗りによる疲労でこれ以上速く走る余力はない。

やはり、往復としたのがいけなかったか……。




 ゴールまで残り300メートル。みんなの声援が聞こえる。


「ご主人様!」

「ペカリン!」

「頑張ってよね」

「もう少しなんだから」

「あー、走って!」

「しっかり!」

「ゴールは目の前です!」


 ありがたいことだ。僕なんかに声援を送ってくれるなんて!

そう思ったのはペカリンも一緒のようで、満身創痍ながらも走り続ける。

そのうちにチャッチャ様がズルズルと後退していく。

ペカリンは速度を上げていないのに、どうして?


 振り返ってチャッチャ様を見る。

黄ばんでいた軍服の襟口がキラキラと輝いている。


 よだれだ! 


 チャッチャ様はだらしなくよだれを垂らす、よだれモードに逆戻りしている。

新たなよだれが黄ばんだ軍服の襟口に垂れ落ち、陽光を反射している。

これはラッキー! 今のチャッチャ様が相手なら勝てそうだ!




 残り200メートルを切る。ここからの数十メートルは勾配が最もきつい。

ペカリンは確実にゴールへと向かっている。いい調子だ!

そんななか、今度は近衛騎兵隊員の声援。


「チャッチャ様! ゴールはもう目の前にございます!」

「西の館の底辺メイドたちに惑わされてはいけません!」

「私たちを見てくださいまし!」

 サイン・コサイン・タンジェントだ。チャッチャ様がイッた目で3人を見る。

みるみるうちに凛々しい顔へと変わる。王子モードだ!

チャッチャ様のモードチェンジ、激し過ぎる。

でもそれだけ、周囲の女子の顔面偏差値が高いってことでもある。


 勾配が緩くなるともう1度速度を上げたチャッチャ様が僕の横に並んでくる。




 あと100。態勢は僕の方が有利だけど、チャッチャ様には余力がある。


「トール殿、貴殿には底辺メイドたちがいるのに、まだ美少女を欲するか!」

 意味が分からない。僕がいつ美少女を欲したって言うんだ?

僕が欲しているのは、西の館でまったりのんびりすることのみだ。

そのためにはこの勝負に勝たなくてはいけないということだ。


 あと70。チャッチャ様がしかけてきた舌戦に応じると決める。


「店ごと横取りしたのは、チャッチャ様じゃないですか」

 普通に水着を持って帰ればそれでよかったんだ。

トーレを連れているのは、成り行きに過ぎない。


 あと50。チャッチャ様は当然、言い返してくる。


「だからといって、美少女店員との2人乗りはずるいぞ……」

 トーレはたしかに男を狂わせるほどには美少女だ。

だけど2人乗りするのがずるいのだろうか。


 そうこうしているうちに、30を切った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る