買い物
第5話 やっぱり朝はまったりできない
5月13日。夜。
また夢を見た。
「おーい、トールやー」
「…………」
「大切なものは大切にするんじゃぞー、年増好きのメルヘントールやー」
しわがれた声の男まで僕を不名誉な異名で呼ぶ。
そのためだけに夢に出てきたようで、内容が薄い。
僕を最初に『年増好きのメルヘンご主人様』と呼びはじめたのはキャス。
今では全メイドが大同小異、僕をそう呼ぶようになった。実に不本意だ。
しかも、メイドの中で最も張り切っているのがシャルという皮肉。
シャルがキャスにそそのかされているのは明白だけど、
キャスの言う年増ってのが自分をさすことをシャルは知らないようだ。
本当ははっきり否定したい。僕は『年増好き』でも『メルヘン』でもない。
これといって特徴のない、どこにでもいるありふれた第3王子で男爵だ。
変な異名で呼ばれたくなんか、なーいっ!
朝が突然やってくる。
起こしてくれたのはシャルではないが、不名誉な異名で呼ぶのは同じ。
「メルヘンご主人様、起きてください。早朝礼拝に行きますよ!」
僕とは同い年のキュアだ。黄金色のツインテールが揺れる。
「その呼び方はいい加減やめてくれ。正式には男爵……」
「……正式には、年増好きのメルヘンご主人様ですね」
即答。むしろ喰い気味。むしろ酷くなっている。
自業自得といえばそれまでだが、犯した罪に対して罰があまりにも大きい。
僕は『年増好き』でも『メルヘン』でもないのに……。
「違うから……」
そう言うのが、今の僕にできる精一杯の抵抗だった。
「それより聞いてください、メルヘンご主人様。買い物に出たいのです」
「買い物?」
商人に館へ来るように命じればいいのに。
こちらからわざわざ出かける理由が分からない。
「はい。明日は早朝ピクニックですよね!」
忘れていた。早朝ピクニックは文字通り早朝からピクニックに出かけること。
メイドたちにせがまれて承諾したんだった。
「それで、お弁当の食材やら何やらを仕入れに行きたいのですよ」
「うん。いってらっしゃい」
キュアが館にいたのでは、顔を見る度に不名誉な異名で呼ばれる。
だったら買い物にでも何でも、外出してくれた方がいい。
「違いますよ、メルヘンご主人様にも一緒に来てほしいのですよ!」
意味が分からない。
「なんで僕が買い物に? 遠乗りだってあるのに」
「今、家計は火の車なんです!」
先日、この館は賊に襲われた。そのときに石造りの館の壁が崩壊した。
その改修費用を捻出しなければならない。贅沢は敵だ。
「なるほど。当家には商人を呼ぶ金もないと……」
「メルヘンご主人様はこの館の責任者です!」
つまり、責任を取って買い物に同行しろというわけだ。
「分かったよ。買い物に付き合うよ。その代わり……」
「その代わり、何ですか? メルヘンご主人様」
キュアは言いながら僕に顔を近付け、首を傾げる。
キュア自慢のツインテールがゆっくり揺れるのを目で追ってしまう。
キュアに限らずこの館のメイドたちの評判は底辺だが、見た目だけは頂点級。
顔が緩むのを自覚するが、それを隠す。
「その不名誉な異名で呼ぶのはなしだぞ」
「分かりました。買い物の間だけですよ、メルヘンご主人様!」
こうして僕は遠乗りをキャンセルしキュアと買い物することになった。
ペカリンと走れないのは残念だが、不名誉な異名で呼ばれないのはうれしい。
キュアを追い出し着替えを終えた瞬間、別のメイドが入ってくる。ミアだ。
その見た目はキュアと瓜二つ。金髪ツインテールがゆっくり揺れるのも一緒。
それもそのはず、2人は双子の姉妹なのだ。
名付けてツインテールツインズ、キュア・ミアだ。
「大変です、メルヘンご主人様! 大変です!」
大変という割には切迫感がまるでない。
どうせ理由をつけて僕を不名誉な異名で呼びたいだけだろう。
軽くあしらうことにする。
「どうした? 着替えを覗きに来たのか?」
「はぁ?」
「残念だったな、今……」
「……冗談! それより大変なんですよ、メルヘンご主人様!」
即答。喰い気味に軽くあしらわれた。不名誉な異名のおまけ付き。
誰が好き好んでそんなメイドの相手をするというのだ!
でもこれも主人の務め。相談にのらないといけない。
「で、何がそんなに大変なんだ?」
「ドラ猫がお魚を咥えていたんです、メルヘンご主人様!」
それは大変だ! なんて、誰も思うまい。少なくとも僕は思わない。
それでも、相槌を打つように言う。
「追いかけたのか?」
「はい。キュアと2人で追いかけました、メルヘンご主人様」
「裸足でか?」
「裸足でです。メルヘンご主人様」
無駄な気はするが、どうしても嫌なので言ってみる。
「いい加減、その異名、止め……」
「……冗談! それはできませんから、メルヘンご主人様」
即答。もちろん喰い気味だ。
「どうして?」
「私たちメイド全員で決めたことなんです」
そんな気はしていたが、僕だって諦めるわけにはいかない!
「どうしても、ダメか?」
「うーん。私も買い物に連れて行ってくれるなら、考えます」
それはありがたい。むしろ願ったりかなったりだ。
「分かったよ。買い物の間、不名誉な異名は禁止だ!」
「分かりました! 買い物の間だけですよ、メルヘンご主人様!」
こうして、買い物には僕とキュア・ミアの3人で行くことになった。
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