第4話 レッテル

 もしかするとシャルは、その命と引き換えに僕を助けたのではないか?

そんな絶望が僕の頭の中を支配する。


 僕の右足には幾重にも布が巻かれている。丁寧に薬がぬられている。

傷はもう、完全に癒えている。僕の目の前でシャルが倒れている。

死んだように眠っているのか、あるいは眠ったように……。


 頭を大きく振り、もう1度、大声で叫ぶ。


「シャル。おい、嘘だろ! シャル、冗談はよせよ、シャル!」

 虚しいばかりで、シャルからは全く返事がない。

シャルの両肩を掴んで思いっきり揺するが、それでもダメ。


「約束しただろう、シャル。明日も遠乗りするって!」

 眠っているにしてはおかしい。寝息の1つもたてない。


 ペカリンとサバダバの嗎が、一層悲しげになる。


——ヒヒヒヒヒーン……。

——ヒヒヒヒヒーン……。


「そんなのないよ、シャル。主人を置いていくなんて! シャル、シャル!」

 シャルは澄ました顔をしている。本当に綺麗だ。

全ての苦しみから解放されたかのような安らぎに満ちている。

動植物をこよなく愛するシャルにとって、

生きることさえ苦しかったのかもしれない。


 このまま永久に眠らせてあげる方が、シャルは幸せなのかもしれない。

いや、それは違う。命あってのモノダネだ。


「そんな……シャル! 僕なんかのために……」

 僕なんかのためにシャルが命を落とす必要はない。

僕は、どうしたらいいんだ……誰か、助けてくれーっ!


 遠くから、大聖堂の鐘が鳴りはじめたのが聞こえる。


——ゴワァーン……

 毎朝10時をお知らせする鐘だ。

丘に反響してか、葬送曲とも鎮魂曲ともとれる、もの悲しさを醸し出す。

シャルは本当に、天に召されてしまったのだろうか……。


——ゴワァーン……

 途方に暮れながらも、おとぎばなしを思い出す。

主人公は、永い眠りについた姫を目覚めさせた王子。

何でもできる勇敢な、おとぎの国の第3王子だ。

王子は、姫の美しさに一目惚れして、姫にくちづけをする。

すると、姫は眠りから覚める。幸せの鐘が鳴る!

国は平和となり、2人は末永く幸せに暮らしましたとさ……。


——ゴワァーン……


「そうだ、キスだ!」

 それでめでたし、めでたしじゃないか!

僕がシャルにキスをすれば、シャルは目覚めるに違いない。簡単なことだ!


——ゴワァーン……

 僕は、シャルの上半身を起こす。安らぎに満ちた顔は全く崩れていない。

シャルの首筋から顎にかけてをそっと撫でる。

不思議と冷たさはまるでない。シャルの生の温もりが感じられる。

まだ間に合う! そう確信した。


——ゴワァーン……

 でもシャルにキスをすれば、シャルは生き返るかもしれない。

おとぎばなしのことが現実に起こるとは思えない……

今までの僕ならそう思ったに違いない。


——ゴワァーン……

 もし、その可能性が1%でもあるなら……

僕はシャルにキスをする。草木や動物のことを教えてもらう!


——ゴワァーン……

 他にすがるものは何もない。誰も助けてはくれない。

僕が蒔いた種は、僕が刈り取らなくっちゃいけない。躊躇う必要はない。


——ゴワァーン……

 僕は意を決して、シャルの横につける。シャルの端正な顔に、そっと近付く。

ゴクリと、唾を飲む。唾液がこんなに喉越しがいいことを、はじめて知った。


——ゴワァーン……

 シャルの薄いくちびるを親指のはらでそっと撫でる。

やわらかい。この世のモノとは思えないほど、やわらかい。

そっと前傾する。あと、数センチというところで、目を閉じる。


——ゴワァーン……

 10回目の鐘の余韻に続けて、ものかげから声が聞こえる。


「あー、残念。鐘が鳴り止んでしまったわ」

「なんで今? いいところなのに。って、エミー、わざと……」

 声の主はエミーとキャス。

シャルのくちびるまであと数センチのところで、僕はピタリと止まる。

なっ、なんで? なんでキャスとエミーがこんなところにいるんだ?

2人には、今のこの状況が、どう映っているんだろう……小っ恥ずかしい。


 鐘が鳴り止んでしまった? いいところ? どういうこと?

それより2人とも、いつからそこにいたんだ……。

目を開けて、2人の声のする方を向く。

いつも通り泰然自若たるエミーと不機嫌そうなキャスがいた。




 聞けば、2人は僕が目覚めた直後から見ていたらしい。

シャルを助けないだなんて、2人とも薄情な……。


「あー、いつものことですから、しーんぱーい、ないさー! 」

「シャルは朝早いから、8時から10時過ぎまで仮眠をとるのよ」

 えーっ? ってことは、シャルは寝てるだけ?

死んでなかったのはよかったけど……僕の盛り上がったこの気持ち、

どこへ向ければいい?




 このあとは地獄のようだった。

シャルが目覚め4人で帰ったわけだが、僕は1つも言葉を発しなかった。

キスしようとしていたのを見られていたなんて、恥ずかしすぎる……。


 きわめつけは食事のあと。リズから謎の質問攻めを受ける。


「ひどーい。ご主人様は絶対にロリだと思っていたのに、違うんですか」

 おいおい、どういうことだよ。

ロリだと思われた理由が分からんし、違うと思われた理由も分からん。

僕がもう少し元気だったら、言い返していたんだろう。

このときはそんな気分じゃなかった。


「そんなに歳上がいいんですか? 年下じゃダメですか?」

「ダメよ、リズ。ご主人様にだっていろいろあるんだから」

 と、アイラが僕をかばってくれるの虚しいばかりだが……。

さてはキャスのやつ、あることないことみんなに言いふらしやがったな!


 僕に貼られた『年増好きのメルヘンご主人様』のレッテルが剥がれるには、

しばらくの時間を要したのは、言うまでもない……。

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