第3話 薬草の丘

 外にペカリン、内にサバダバを並べて波打際を走る。

寄せては引く波がペカリンには珍しいようだが、

近くにサバダバがいるおかげか、落ち着いている。


 はじめは怖がっていたが、慣れてくると自分から海水に浸かるようになる。

波が引くときに脚が持っていかれる感覚がペカリンのお気に入り。


 ペカリンについて、今までは気付かなかったことにも気付くようになる。

ペカリンのことをこんなに知ることができたのは、シャルのおかげだ。

自然と感謝の気持ちが口をつく。


「シャル、ありがとう!」

「はい。で、何が、ですか?」

 怪訝そうなシャル。問われた僕にもよく分からない。


「あー、遠乗りに誘ってくれたこと……」

「ふふふっ。今の、エミーのものまねですか? 似てますよ」

 ころころと笑うシャル。

ものまねのつもりはなかったが、素直によろこび、戯ける。

今度は狙ってシャルのものまねをする。


「ようし、明日もまた、とーうのーり、するぞーっ!」

 ウケたらいいな! と思った僕が悪かった。


「はい。それがようございます」

 完全にスルーされる。アイラだったら、ころころと笑ってくれるだろうに……。


 シャルはまるで、読み聞かされた絵本に出てくるおとぎの国のお姫様のよう。

僕にとっては歳上のシャル。歳下のアイラとは違い、心に余裕がある。

いろいろなことを知っている。知っていることを教えてくれる。

教えてくれたことには、昔から知っていたかのような懐かしさがある。

動植物を愛し、動植物に愛されるシャルの素朴さ故だ。


 もう1度、礼を言う。


「シャル、ありがとう」

 と、シャルは今度は「はい」と短く言うだけだった。

その顔の凛々しさも素朴さも、大切なものだ。決して忘れない。


 それにしても、今日は本当にあつい。




 シャルは動物だけでなく植物にも詳しい。丘の草木についても教えてくれた。


「丘の1つ1つが全く別で、季節によっても様々に変化します」

「うん。今日だけでも2つの花の香りを楽しめたよ」

 のばらにシロツメクサ。その香りを、僕は一生忘れないだろう。

シャルと嗅いだ花々の匂いは宝物だ。大切にしたい。


「それから、向こうには薬草の採れる丘もあるんですよ!」

「薬草? シャルは詳しいんだね!」

 素直に尊敬する。


「ですが、薬草を摘むということは、薬草の命をいただくということです」

「薬草の命?」

 そんなこと、考えたこともない。


「1つの命を奪い、1つの命を助ける。矛盾だらけです」

「たしかに。全ての命は等しく尊いのかもしれないね」


「同感です」

 そう言って笑うシャルに、強さを感じた。




 ペカリンが引き波に脚が持っていかれる感覚を楽しんでいる。

もうすっかり海に慣れたみたい。


 波打際に下馬したときのこと。僕にちょっとしたスキが生じた。

砂の中から顔を出す赤いカニ。ペカリンにとってははじめて見る生き物だ。

ペカリンは驚いて前脚を掻き上げる。


 まだ手綱を握ったままだった僕はペカリンに振りまわされる。

堪らず手綱を手放してしまうと、そのままバランスを崩し倒れ込む。

そこに偶然、鋭利な貝殻の欠片があった。


 僕の右足は、貝殻の欠片にザックリやられてしまう。激痛が走る!


「ちっ、血ぃーっ!」

 とくとくと血が流れるなか、僕は気を失う。




 気を失ってしまった僕。目覚めて直ぐに身体を起こす。

今いる場所はミラーウ海岸ではない。とある丘の上だ。

今まで嗅いだことのないくらい、甘い花の香りがする。


 右足に痛みはない。止血もされている。

傷口には薬のようなものが塗られ、その上には布が巻かれている。

この布、マントの切れ端。ひょっとしてエミーにはこうなることが……。

まさか、そんなはずはないだろう。


 ここは、さっきシャルが言っていた薬草の採れる丘に違いない。

僕をここへ連れてきてくれたのはシャルだろう。


 そのシャルを探し、周囲を見まわす。

直ぐに目についたのは、ペカリンとサバダバ。2頭とも伏せの姿勢をしている。

サバダバのことは知らないが、用心深く臆病者のペカリンが、

ここまで安心しきっているのが不思議でしかたない。


「ペカリン、シャルはどこだい?」

 と、はなしかけてみるが、ペカリンの応答はない。

シャルとは違い、僕には馬とはなす力はない。

ペカリンにしてみれば、馬耳東風というわけだ。


 僕がはなしかけたのとは関係ないだろうが、不意にペカリンが立ち上がる。

ペカリンの脚と脚の隙間から、それまで影に隠れていたシャルの姿が見える。

横たわり、臍の辺りで両腕を組んでいる。


「シャル。そこにいたのか、シャル」

 言いながらシャルに近付いていくが、シャルからの応答はない。


「シャル、寝てるのかい? シャル……シャル?」

 気が付けば僕はシャルの直ぐ横まで来ていた。

シャルは目を閉じ、穏やかな表情を浮かべたまま。まるで天使のよう。

おとぎばなしに登場する、永い眠りについた姫のようでもある。


 ペカリンとサバダバが悲しそうに嗎く。


——ヒヒーン……。

——ヒヒーン……。

 何がそんなに悲しいのだろう。

ペカリンとはなしができたら聞いてみたい。


「シャル、寝てるのかい?」

 今朝、シャルが僕にそうしたように、シャルの身体を何度か揺する。

傷の処置のこと、ちゃんとお礼が言いたい。


「シャル……シャル……」


 ところが、シャルは一向に目覚めない。

不安が過ぎる。これもおとぎばなしのこと……まじないのことだけど。

薬草を介して自分の命を犠牲にし、別の命を助けるというものがある。

シャルならばあるいは、そうしたまじないも使えるのかもしれない。


 少なくとも、今の僕は薬草の尊い命の上に成り立っている。

僕なんかのために、別の命が失われた……。


「シャル! 返事をしてくれ、シャル!」

 その尊い命が、シャルのものでないことを願うばかりだ。

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