第2話 熱り
早朝礼拝を済ませたあと、ペカリンを駆る。
目指すはミラーウ海岸。ミナーミ屈指の絶景スポットだ。
「はいよー、ペカリン!」
のばらの甘い香りのする丘を越える。せせらぎを聞きながら浅瀬を渡る。
そしてまた別の丘を越えるときには、シロツメクサが鼻をくすぐる。
僕にだって土地勘がないわけではない。知り尽くしていると言ってもいい。
けど、こうしてシャルと2人で辿ると、不思議と新発見が続出した。
まるで、おとぎの国に迷い込んだ少年のように、僕は遠乗りを楽しんでいる。
シャルが急に速度を落とす。僕は慌てながらもペカリンを御す。
「どーう! どうどう。シャル、何かあったの?」
「ここから先は休憩がてら、ゆっくり歩きましょう」
なんだって! 人にしろ荷物にしろ、より速く大量に運ぶのが馬の役割。
遠乗りは、そのための鍛錬でもある。限界まで速度を上げて走るものだ。
それなのにシャルったら、歩かせるだなんて。これでは鍛錬にならない。
「冗談! 遠乗りの意味がないだろう」
「いいえ、インターバルトレーニングです……」
聞いたことがある。ずっと速く走るよりも走る歩くを繰り返した方が、
心肺に強い負荷をかけることができる。最新のトレーニング法だ。
でもそれは人に対するもの。馬に対してなんて、聞いたことがない。
シャルったら、動物と人間を同一視しちゃうんだから。困ったものだ。
「……それに、この先は細い道が続きます。走るのは危険です」
シャルの視線の先にペカリン。息を切らせてかなりキツそうにしている。
対するサバダバは止まってから1分もしないのに、もう息が戻っている。
悔しいが認めざるを得ない。今までのペースでペカリンを走らせるのは危険だ。
そもそも、勝てそうにない。
「……そうだね。危険と言われればしかたがない」
渋々ながら、シャルに同意する。
シャルが言うように、しばらくは細い道が続いた。
両側に茂る樹木が道幅をさらに狭く感じさせる。
アップダウンも激しく、歩くだけでも大変なくらいだ。
速度を上げたままこの道を走っていたら、事故っていただろう。
とりわけ高いところを越えると、下り坂が続く。両脇には紫陽花。
赤・青・紫の濃淡が無限のバリエーションで僕たちの進む道を彩る。幻想的だ。
走り抜けようとしていたら、このおとぎの国のような絶景には出会えなかった。
切り通しを抜けると、そこでまた風が変わる。
穏やかに運んでくるのは潮の香り。目的地はもう直ぐだ! 胸が高鳴る。
木漏れ日のトンネルを抜けて視界が開ける。
見えてきたのは水平線。ミナーミ屈指の絶景、ミラーウ海岸だ。
陽光がキラキラと水面に揺れている。旗を掲げた船が港に戻るのが見える。
絶景だ! 大漁だ! 遠乗りにきて、大正解だ!
不意に、シャルがサバダバを追う。
「はいよー、サバダバ!」
瞬く間にトップスピードに達する。こうしちゃいられない!
ペカリンだって駿馬。休憩は充分。気力は満点。
平地なら負けない。直ぐにでも追いつき、追い越してみせる!
「はいよー、ペカリン! サバダバなんかに負けるなよ!」
ペカリンの反応は素早い。待ってましたとばかりに速度を上げる。
いい手応えだ。1完歩毎に差を縮めていく。
でも、なんか変……もう少しのところまでは追いつくが、並べない。
ペカリンは王国屈指の駿馬、僕の騎乗技術だってなかなかのものだ。
だというのに、どうしてだろう……。
ずーっとうしろを走らされては、やはり遠乗りの醍醐味がない。
たしかに、風に靡くシャルの長髪はまぶしい。
その髪に隠れているすこし尖った耳がときどき顔を出す。
歩様に合わせ上下するシャルの小ぶりなヒップ。
それはそれで絶景だ。ずーっと見ていて飽きない。
でも、やっぱり、前に出たぁーいっ! 風を切って走りたーいっ!
「お、おい、シャル。主人をおいてけぼりにするんじゃないよ!」
思わず、文句を口にする。
「あぁ、すみません。いつものクセで、つい……」
サバダバが速度を落とし、僕とペカリンはようやく追いつけた。
「シャルの言う通り、ペカリンは運動不足だったようだ」
サバダバに追いつけない理由が、僕にはそれしか思い浮かばない。
「いいえ。ここまでよく走りましたよ。ペカリンは本当にすごい」
「そんなことを言って、サバダバの方がずっと速かったじゃないか」
「ボクとサバダバがここへくるのは日課ですから」
「鍛え方が違うってわけか」
「いえいえ。通い慣れてるってことです」
草食動物である馬は、本能からはじめての場所では警戒心を強める。
油断するといつ襲われるか分からないという緊張感を持ち続ける。
自然に速度が落ちてしまうし、他馬の背後に隠れようとする。
と、シャルが教えてくれる。さすがはシャル。動物に詳しい。
シャルは続けて言う。
「ペカリンはかなり用心深いようです。周囲に充分警戒していました……」
そうか。ペカリンが臆病者だということを、僕はうっかり忘れてた。
ペカリンはは怖かったに違いない。それなのに僕は、ペカリンを追い続けた。
「……それでもペカリンは、ご主人様を信じてよく走りましたよ」
「シャルの言う通りだ。ペカリン、よく頑張った!」
言いながら、ペカリンの首筋を叩く。
ペカリンが鼻筋を伸ばすのを見たシャルが目を細くして笑う。
シャルとの距離は朝よりもずっと離れているけど、ぐっと近くに感じる。
今日は天気が良過ぎるようだ。顔が熱っていけない。
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