第6話 学校司書の兵頭さやかは、昼休みの図書室で『ネルシア学院物語』を知る

司書室の時計を見ると、昼休み終了の十分前だった。

私、兵頭さやかは学校の図書室に続く扉を開けて、カウンター当番をしてくれている図書委員の辻くんに声を掛ける。


「辻くん、カウンター当番お疲れさま。後は私がカウンターにいるから、もう教室に戻っていいわよ」


「うっす」


スマホゲームをプレイしながらカウンターに座っていた辻くんはスマホゲームを中断して立ち上がり、図書室を出て行った。

中間テストが終わった後の図書室を訪れる生徒は極めて少ない。

その数少ない生徒の一人、1年2組の井上愛子さんが昨日から行方不明になっている。

井上さんは昼休みにも放課後にも図書室に来て、楽しそうに本を読んでいた。

私も読書が好きで司書資格を取ったから、楽しそうに本を読む井上さんを見ていると、昔の自分を思い出して懐かしいような切ないような気持ちになった。


聞いた話では、井上さんの通学鞄は1年2組の教室に残されていて、昇降口には靴があったという。

それって、井上さんはこの学校内で行方不明になったということなのだろうか。

でも、新型コロナを警戒して外部からの出入りを遮断しているこの時期に、不審者が校内に入り込める……?


私は誰もいない図書室のカウンターにある椅子に座ろうとして、テーブルに本が出しっぱなしにされていることに気づいた。

昼休み、誰かが図書室で本を読んでいて、片づけずに立ち去ったのだろうか。

私はカウンターを出て本が出しっぱなしになっているテーブルに歩み寄る。

そして、開きっぱなしになっている本のページに目を落とした。


「ファンタジー小説かしら」


私はそう呟いて、本の表紙を確認した。

『ネルシア学院物語』というタイトルのようだ。聞いたことがない。

ファンタジー小説は好きで、海外の作品も国内の作品も、タイトルだけは知っていると思っていたけれど、世界は広い。

私が知らないファンタジー小説があることが嬉しくて、椅子に座り『ネルシア学院物語』を最初からパラパラと読み始めた。

落ち着いて読むわけにはいかないから、斜め読みの流し読みだ。

そして、開きっぱなしだったページにたどり着く。


「なんで上の二人がモノクロの挿絵で、下の二人がカラーの挿絵なのかしら。手抜き? 上の二人の名前や人物紹介の文字も薄いし、印刷ミス……?」


誰もいない図書室に、私の呟く声だけが響く。

考えてもわからないことは後回しにして、私はページをめくった。


『リア・クラーク』の章。

前のページに記載してあった登場人物が、それぞれ独立した主人公として構成された小説なのだろう。

そう思いながら文章を斜め読みをし始めた私は、凍りついた。

書かれている内容が信じられなくて、読み直す。



目を開けると真っ暗だった。

頬には涙で頬が濡れて引きつれたような感触がある。

私、今、布団をかぶっている……?


布団を跳ねのけると、ピンク色の布でしつらえた天蓋が目に飛び込んできた。

天蓋。小説の挿絵で見たことがある。お姫様やお嬢様が眠るベッドに、天蓋がついていた。

本物の天蓋付きベッドは見たことが無い。


「ここ、どこ……?」


自分の声があまりに高く、幼くて驚いた。

なに? この声。私の声はもう少し低くて、こもったように聞こえていたはず。


「私……私は……」


天蓋を見つめて呟く。

私の頭の中には中学一年生の井上愛子としての記憶とは別に、もう一人の記憶がある。

まるでファンタジーブイアールエムエムオーの『アルカディアオンライン』にログインして主人公になった時の感覚に似ている。


「なにこれ? 私、学校の図書室にいたよね? 『アルカディアオンライン』にログインしたわけじゃないよね……?」


私が『アルカディアオンライン』で選んだ主人公は美青年の船乗りで、声は低かった。

こんな、子どものような高い声ではない。


「落ち着いて。深呼吸」


私は目を閉じて深呼吸した。

目を開ければ慣れ親しんだ図書室……と願いながらそっと目を開ける。

視界には、天蓋があった。

なにこれ、夢?

私が混乱していると、ドアをノックする音がした。

誰だろう? と疑問に思う感情と、母親だという確信が同時に心にわき上がる。


扉が開いて、部屋に入ってきた人は、私が寝ているベッドに歩み寄る。


「リア、いい加減に起きなさい。朝ご飯も食べずに閉じこもって、お腹が空いたでしょう?」


彼女の声を聞いた私は、知らない女性の声だと思うと同時に、母親の声だと理解する。

リアというのは、私の名前だ。……私は井上愛子であり、リア・クラークという少女の記憶がある。



「なんなの? これは、どういうこと……?」


私は本に書かれた文章を凝視して、呟く。

なぜ、昨日行方不明になった女子生徒『井上愛子』の名前がこの本に印字されているの……?

手書きなら、生徒のいたずらかもしれないと思う。

でも、この文字は手書きではない。


私は文章を斜め読みして、読み進めていく。

『リア・クラーク』の章は唐突に途切れ、次のページからは『エミール・エッデ』の章が始まった。


『エミール・エッデ』の章には図書委員の一年生、大野翔くんの名前が記載されている。


「井上さんの名前だけじゃなく、大野くんの名前まである……。この本、なんなの……?」


大野くんは昨日の昼休み、図書室でカウンター当番をしてくれていた。

今日は、登校しているはずだ。……登校、しているわよね?

私は『ネルシア学院物語』を閉じて立ち上がる。

大野くんのクラスは井上さんと同じ、1年2組のはずだ。

1年2組の教室に行って、大野くんの姿を確認しよう。

大野くんの姿を確認できれば、本の中に生徒と同姓同名の登場人物が出てくることなんか、笑い飛ばせる。


私は図書室を出て、三階の1年2組の教室に向かった。


***


※第6話に登場する学校司書の兵頭さやかはファンタジーVRMMO小説『アルカディアオンライン』の第四百三十八話にも登場します。


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