第3話 大野翔は井上愛子が行方不明になったことを知り、図書室で『ネルシア学院物語』を手にして読む

……眠い。寝る前に少しだけプレイしようと思ってファンタジーVRMMO『アルカディアオンライン』にログインしたら、面白くてついうっかり遊びすぎて夜更かしをしてしまった。


火曜日の、朝のホームルーム。俺は廊下側から二列目の前から四番目の席であくびをかみ殺す。

担任教師が出欠の確認を始めた。

俺の名前は『大野翔』だから、出席確認で呼ばれるのは三番目だ。

生徒はいつも『あいうえお順』で名前を並べられるのって、なんでなんだろう?

そんなことを考えていると名前を呼ばれ、やる気なく返事をして、担任教師の視線が俺から逸れた直後に大あくびをする。

担任教師に名前を呼ばれて返事をした後なら、大あくびをしても別に、見とがめられることはない。


中間テストが終わって、昨日、テストの答案が返ってきて、今日も何の変哲もない朝のホームルームの時間が過ぎる。

今週末の土曜日に行われる球技大会の出場競技のデータを送付したと担任が言うので、学校支給のノートパソコンを起動した。

俺は、希望通りの『卓球』だ。よかった。運動神経が良いわけじゃないから、バスケットボールやバレーボールのような球技は無理だ。

ミスした時の白けた空気も、白い目で見られるのも心に刺さる。

『卓球』はどんなに下手でも、個人競技だから全部自己責任。

一回戦くらいは勝ち上がれるように、それなりに頑張ろう。


出欠も取ったし、連絡事項も伝え終えたはずの担任教師は、まだ、教壇に佇んでいる。

なんだ? いつも通りの退屈な朝だと思うのに、何か、嫌な予感が過ぎる。


「このクラスの井上愛子さんが昨日から家に帰っていないそうです。昨日、井上さんを見た人は、私に報告してください。井上さんは5時間目の授業を欠席して、通学鞄を教室に置いたままいなくなったようです」


担任の話が、うまく飲み込めない。

家に帰っていない? うちのクラスの生徒が?


うちのクラスの担任教師は、物理担当の中年男でいつもなんとなく暗く淀んだ雰囲気をまとっているが、今日は一段と空気が暗い。

学級委員の生駒陸が手を上げた。


「鞄が残ってたってことは、財布とかスマホとかも持たずにいなくなったっていうことですか?」


「そのようです」


生駒の言葉を担任教師が肯定すると、教室がざわついた。

財布はともかく、スマホを持たずにいなくなるなんて有り得ない。

友達に連絡もできないし、SNSもスマホ決済も使えない。


……でも『いのうえあいこ』って誰だ? 俺はクラスの女子の顔と名前が一致しない。

今、同じ学年の女子で顔と名前が一致しているのは数人。全員、美少女だ。

俺の脳は美少女しか記憶しない作りになっている。


俺の中の美少女ランキングで『一位』に燦然と輝くのは1年5組の松本晴菜だ。

彼女の顔を間近で見たくて、彼女が足しげく通い、本を借りるという学校の図書室のカウンターに居座ることができる図書委員に立候補した。

能面っぽい目をした女子とのじゃんけん勝負に勝って図書委員の座をゲットした俺は、努力の甲斐あって、晴菜と……脳内だけなら、呼び捨てにしてもいいだろう……三度視線が合い、一度言葉を交わすことができた。


「井上さん、昨日の昼休みは教室にいたよね?」


「ウチ、井上さんが教室を出て行ったの見たよ。トイレに行ったのかな」


「図書室じゃない?」


隣の席の名も知らぬ女子が後ろの席の女子と話しているのを聞いて、俺は瞬いた。

図書室? 『いのうえあいこ』は昨日の昼休み、図書室にいたのか?

俺は昨日の昼休み、図書委員のカウンター当番だった。

晴菜と会えるかもしれないと期待していたけど、結局彼女は現れず、俺はカウンターに頬杖をついて暇な時間を過ごした。

……あの時、図書室に『いのうえあいこ』がいたのか? 俺が覚えているのはやたら分厚い本を抱えてた女子だけ……。


「……あっ」


アレが『いのうえあいこ』か!?

ぼーっとしてたらいつの間にかいなくなって、でもテーブルの上に分厚い本が出しっぱなしになっていた。

しばらく待っても戻ってくる要素が無かったので、仕方なく、俺が、出しっぱなしになっている本の背表紙の分類表記を見ながら、本棚にしまったんだ。

あの本のタイトル、なんだっけ?

確か『ネルシア学院物語』だった気がする。本の背表紙の分類表記と本をしまった場所は覚えている。


昨日から家に帰っていない……行方不明になった女子生徒が読んでいた本を、俺が、俺だけが知っている。

なんか、探偵ドラマの主役になったみたいでわくわくする。

今日の昼休み、図書室に行ってみよう。

図書委員のカウンター当番以外で図書室に行くのは初めてだ。運がよければ晴菜にも会えるかもしれない。

気がつくと、眠気は飛んでいた。

担任が背中を丸めて教室を出て行く。


「おーちゃん。井上ってさぁ、誘拐とかされたのかな?」


同じクラスで一番仲良くしている、前の席の向坂理人が俺の席を振り返って言う。

仲良くしている理人でも、俺だけが知っている『いのうえあいこ』の情報を今、漏らすわけにはいかない。


「誘拐はないんじゃね? 誘拐だったら、犯人が学校に侵入したことになるじゃん。コロナ禍で学校には生徒と保護者しか入れないってなってるんだから、誘拐犯が入って来るのは無理ゲーだと思う」


俺は曖昧な笑みを浮かべて、適当な返事をした。


それから、俺はひたすら昼休みになることを待ち望みながら授業を受け、そして給食の時間になった。

給食を全速力でかっ込み、後片付けをして、足早に教室を出る。

いつも一緒に給食を食べている理人は、まだのんびりと給食を食べていて、図書室に向かう俺を気にしていない様子だったのがありがたかった。


俺は四階にある図書室に行き、扉を開けて中に入る。

図書室には、カウンター当番の図書委員もまだ来ていなくて、学校司書の姿もない。

俺ひとりだけの図書室は、しんと静まり返っている。

俺は記憶を頼りに、昨日本をしまった本棚に向かった。


「……あった」


昨日、出しっぱなしだった本をしまった場所に、その本はあった。

見覚えのある装丁と本の分厚さ。本の背表紙の分類表記も記憶の通りだ。

背表紙には『ネルシア学院物語』と記載されている。

こんな本、よく見つけたよな。しかも読もうと思うなんて勇者だぜ。『いのうえあいこ』は……。


俺は分厚くて重い『ネルシア学院物語』を本棚から引き出して持ち、昨日『いのうえあいこ』が座っていた場所に座った。

被害者……行方不明者と言った方がいいか? と同じ行動をするなんて、気分が上がる。ただ、本を読むだけのことなのに、非日常感がヤバい。


俺は『ネルシア学院物語』の本を開いた。

『ネルシア学院』というのは『ネルシア王国』の7代目王妃のアイリーン・ネルシアがネルシア王国の民のために建てた学院で、6歳以上のネルシア王国の民は入学試験を受けて、資格を得た者が『ネルシア学院』で学ぶことができる。

学力が低い者は高額な入学金が課され、優秀な者は特待生として入学金や学費が免除となるシステムのようだ。

『ネルシア学院』は全寮制で、全ての生徒は寮に入る義務があり、在籍できるのは基本的には18歳まで。但し、16歳以上で入学した生徒は入学してから三年間の在籍が許される。


『ネルシア王国』には王族、貴族、平民の身分の区分けがあるが、『ネルシア学院』に在籍している間は身分の区別なく、生徒はすべて平等に扱われると書かれている。


『ネルシア学院物語』って、つまんなそうな話だな。

『アルカディアオンライン』をプレイする方がよっぽど楽しいし、有意義だ。

俺の晴菜……自称で、誰かに漏らすわけじゃないからいいよな……がなんであんなに読書が好きなのか謎だ。

本を読むより、ゲームで遊ぶ方が絶対に楽しい。間違いない。


つまんない内容だと思いながら、俺はページをパラパラとめくる。

これまでめくったページには走り書きや落書きがなく、小説の文章の文字に丸がついているということもない。

推理ドラマの主人公が、失踪や事件の手掛かりを見つけるようにはいかないらしい。

図書室の扉が開いて、二年生の図書委員がカウンターに入った。

もう、本を読むのはやめようか。

そう思いながら適当にページをめくった俺の目に、興味を惹かれる一文が飛び込んできた。


「主人公を選んでください……?」


思わず、書かれた文章を声に出して呟く。

ゲームの主人公を選ぶように、本の主人公を選ぶのか? そんなことって出来るのだろうか。

ページには複数の人物の記載があった。


『リア・クラーク』という名前とその登場人物の説明だけ、文字の色が薄く、登場人物のグラフィックもモノクロになっている。

他の登場人物はこれまで読んでいた文字と同じような濃さで、登場人物のグラフィックはカラーで描かれていた。

俺が何気なく『リア・クラーク』の次に書かれている『ローランド・カーク』の名前に触れたその時。


「転生先が『ローランド・カーク』に決定しました」


謳うような、美しい女性の声がまるで『アルカディアオンライン』のサポートAIのようなアナウンスを告げ、その直後、俺は意識を失った。



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