第10話 真冬の蜃気楼
12月下旬、ホリデイシーズンを迎え、アキナが寮から戻ってきた。自宅には同世代がいないので、毎日、ノア邸に遊びに来る。
育児中のミライ、妊娠中のハヤセより、アキナはカイトの方が話しやすいようだった。お茶を飲みながら、
「カイトは、これからどうするの、進学しないの?」
「したいけど、入試に落ちたから」
アキナは、えーっと驚きの声を発した。
「試験なんかないよ、よほど成績が悪くない限り、希望のコースに進めたよ、ねえ」
ハヤセやミライに同意を求める。どちらも、そうそうと頷く。
「カイトも大学に行ったらいいよ」
アキナ同様、勧めてくれるのだが。
「うーん」
降ってわいた話に、どう対応していいか戸惑う。
「学費もかからないし、やる気があれば博士課程まで進めるんだよ」
アキナの言葉は、カイトには夢のように現実味がなかった。
「でも、仕事が」
思わずタキを見やるカイト。
ここには働きに来たのだ。それがいきなり学生になる?
タキが、にっこりして、
「仕事はどうにでもなる。心配しないで」
「そうだよ。オンラインでも授業は受けられるし、都合のいい時だけ通えばいいよ」
アキナが力強く言った。
「ねえ。カイトを大学に連れて行っていいでしょ」
と、タキに同意を求める。
「もちろん」
アキナは早速、カイトの都合を聞き、大学にアクセスし、年明け早々、キャンパスを訪問する許可をとりつけた。在学生が紹介すれば、見学は許可されるという。
大学はすべて不合格、オンライン受験で、キャンパスを目にしたこともないカイトは、あっけにとられるばかりだ。
「はい、できた」
タキは、シオンのベストの糸を閉じ、完成させた。
「シオン、着てみて」
紺色のベストを手渡され、シオンは嬉しそうだ。
青系のチェックのシャツに、それはとてもよく似合った。
「とってもいいよ、パパ」
カイトは歓び、タキに向かって、
「本当にありがとう」
おそろいのベスト、それも手編みの。家族と言えばアンドロイドのシオンのみ。そんなカイトにとって、このプレゼントは特別の宝ものだ。。
カイトも今朝から同じベストを着ていた。
「似合うよ、とっても」
タキも目を細める。
幸せだなあ。
その夜、カイトは、しみじみとそう思った。
となりにはシオンがいる。明日も明後日も、優しい人たちに囲まれて楽しく暮らせる。
来年には、キャンパス見学。もしかして、本当に大学に進めるかもしれない。
あれこれ思いながら、いつの間にかカイトは、眠りに落ちていた。
ノアの話を聞いて以来、時間があれば、カイトは図書室で女性に関する本を読みふけっている。
絵画や写真もたくさんあった。基本的に男性より丸みを帯びた体で、胸のふくらみがある。授乳のためというが、サヤカはミルクで育てられているし、オシベとメシベの両方を持つハヤセたちの胸がどうなっているのかは不明だ。絵画等で知った女性の胸と違って、カイト自身の平たい胸と大差ないように思える。もちろん直に見たことはない、衣服の上からの印象だけれど。
自分とハヤセたちとは、どう違うのだろう。
外観は、皆やさしげな雰囲気で、パパと呼ばれる男たちよりは、タキに似ている。
人類の歴史が始まってから、ほんの四半世紀前までは、男性と女性が自然の肉体で子供をつくってきたと言われても、カイトにはしっくりこない。人工子宮での生命誕生は、ここ25年ほどのことだが、女性の復活が望めない以上、きっとこの先も続いていくシステムなのだろう。
人工子宮からは、女児を期待されたが、生まれたのは両性具有の子供たちだった。
そんな中、自分は男児として生まれた。
なぜ、自分だけが。
やはりそう考えずにはいられない。
人工子宮が育む受精卵は、従来の男性と女性のものなのに、何故、両性の特徴を持つ子が生まれるのか。そして、唯一の例外であるらしい、自分。
埃っぽい図書室、かすかに黴臭い空気の中で、カイトはひとり惑う。
2227年の年明け。
アキナが自分の移動機で、カイトを大学まで連れて行ってくれることになった。ヤオ家は自家用ヘリジェットを保有するくらいで、当然、アキナ専用の移動機はある。
「カイト、大学行きをセットして」
行き先を指定するだけだが、今後は一人で操縦するのだから、とアキナは気を使っている。この休み中にカイトはアキナの移動機を自分で操縦し、ノア邸の近辺を飛び回っていた。
本当は、「キャンパスに行って」と命じるだけでいいのだが、カイトは今後、大学が貸し出す移動機を使うので、しっかり教えておこうとアキナは思った。
発進、上昇、スピードを上げて目的地に向かう。
やがて山々の向こうに広大な敷地が開けてきた。
カイトが知っている世界とは比べ物にならない。アキナはキャンパスと言ったが、それは敷地のほんの一部で、今は二世代、三世代が暮らす居住エリア、付随する公園や公共施設、いくつもの移動機がきっちり管理されスムーズに行きかう。
「すごい広いね。アキナのお家以上だ」
「当たり前だよ、赤ん坊から年寄りまで、いっぱい住んでるんだ」
カイトの言い方が可笑しかったのか、アキナはくるくす笑った。
冬枯れた木々も多いが、明るいレンガ色の屋根や植え込みの緑は、上空から見るとおもちゃの家のようにかわいらしい。
その光景のすべてが、カイトには蜃気楼に思えた。
ミラージュは通常、夏の現象だが、この美しく整えられた人工的な世界は、幻かもしれない。
真冬の蜃気楼ではないのか?
こんな世界があったらいいのに、と夢想した結果の。ユートピアと呼べるものがこの世にあるならば、きっとこんな感じだろう。何よりも、ここで生活する人々への配慮が感じられる。きっと皆、満ち足りて穏やかな日々を送っているのだろう。
それにひきかえ、とカイトはため息をつきたくなる。
ほんの少し前まで暮らしたダウンタウンと、どうしても比べてしまい、あまりの差に怖くなる。
広いことは広いが、廃墟に近い灰色の建物ばかりで、街路樹は枯れ、公園も手入れはされず草ぼうぼう、活気のない荒れた地域だった。
日々の暮らしに追われ、夢も希望もなく、運命を呪い、アンドロイドを見下し差別することで辛うじてプライドを保つ。
パパにも、この景色を見せたかった、とカイトは思う。
「一緒に行きたいな」
昨夜、カイトはシオンに甘えるように言ってみたが、
「一人で行かなくてはいけないよ、これはカイトの道だから。私は何処へも行かない、カイトの帰りをここで待っているよ」
と微笑むだけだった。
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