第9話 乱世
これで三日、雨が続いている。
ノア家では、ニット部が、朝からせっせと活動中。
タキが部長ということになるのか、カイトのベストを編んでいる。スギも孫のサヤカに着せる小さなカーディガンを嬉しそうに作成中だし、カイトにシオンまで、編み棒を動かしている。こちらは初心者なので、マフラーに挑戦中。
「カイト、ここ目が外れてる」
「あ」
タキに指摘され、カイトはがっくり。慎重にやっているつもりだが、なかなかうまくいかない。
対照的にシオンは、きちんとした編目で、どんどん進んでいる。
「毛糸が服や小物に形を変える、とても興味深いです」
と、生成りのマフラーをあっという間に仕上げてしまった。房を付け終え、カイトの首に巻いてやる。
「似合うよ」
シオンが微笑み、カイトは喜んで鏡を見た。お手製のマフラーなんて初めてだ。
「パパ、ありがとう。僕のマフラーも使ってね。まだまだ完成は先だけど」
ハヤセはすっかり体調が戻り、生まれてくる子のために、ソックスを編んでいる。
「ちっちゃいなあ」
カイトは、そのサイズのあまりの小ささに目を見張った。
「予定日はまだ先だけどね。できることはしておきたい」
ハヤセは既に母の貫録を感じさせる。
「僕にも赤ちゃん、できるかなあ」
ぽろっと口にしたのをミライが聞きつけ、
「メシベを探さないといけないね」
と笑った。
カイトがきょとんとしていると、
「習ったでしょ、オシベとメシベ。カイトにはオシベしかないからね、私やハヤセは両方持ってるけど」
オシベとメシベは知っているが、それが人間の赤ちゃんとどう結びつくのか、カイトには理解できない。
「ねえ、それってどういう」
カイトの質問にミライは、
「あー、ここから先はノア先生にお願い」
ノアに目をやるカイト。静かに本を読んでいたノアは目を上げ、
「そうだね、ちゃんと話をしようか」
書斎に来るようにカイトに告げた。
ノアの書斎に足を踏み入れるのは初めてだ。重く淀んだ空気を感じる。
重厚なマホガニーのデスク。その横に、一枚の絵。
「見てごらん」
壁にかかった絵を、ノアは示した。
裸の人物ふたりが描かれていた。両手で顔を覆う男性と、髪の長い人。こちらは胸と股間を手で隠している。
「マサッチオの『楽園追放』だ。描かれたのは1426年頃、ちょうど800前だね」
「はい」
右側の人物が気になる。自分が知っている人間、つまり男とは全く違って見える。
「彼は26歳でこの世を去った。愛弟子を失った師匠は、それはそれは嘆いたそうだ」
といった解説は、カイトの耳を素通りするだけ。
禁断の実を食べ「恥」という概念を知ったアダムが両手で顔を覆っている。イブは片手で胸を、もう片方で股間を隠す。
エデンの園の話を知らない、もちろん女性の存在も知らないカイトには、奇妙な絵に思えた。
男の股間には見慣れたものがついているが、もう一人は違う。体の曲線が丸みを帯び、胸が膨らんでいる。股間の様子も違うみたいだ。
頭上では怖い顔の天使が、早く出て行けと二人を追い立てる。
「カイトは、女性とか女とか。聞いたことはあるかね?」
ライキの言葉がよみかり、
「オンナ、は聞きました。絶滅した部族だって」
「そうか」
ノアは意外そうな顔だ。
「25年前まで、人類には男性と女性、男と女ともいうが。両方が存在していた」
ノアは静かに話し始めた。
2201年夏、女性は消滅した。その10年ほど前から女性が急激に減り始めた、突然死や原因不明の体調不良が異様に増えた、それも全世界的に。究明の努力がなされたが、要するに原因不明、という結論だった。
女性が激減どころか消滅の危機。それはつまり、人類滅亡につながる。
冷凍卵子を受精させ、人工子宮で人口を増やすしか手段はなかった。女児の誕生が期待されたが、生まれてきたのはすべて男児、だか彼らは生後半年ほどで別の兆候を示した。
「早い話が、オシベとメシベの両方を持つ子供たちだ。ハヤセもミライも、小さいサヤカもそうだ。ハヤセのお腹の子も、だぶんそうだろう」
当初、慎重に選ばれた男性にのみ人工子宮の利用が許可され、秘密のうちに新たな命が誕生していった。
いわば両性具有の子供たちに対して、反感をもつ層が出るのは必然だから養育は秘密を厳守できる男性のみに許され、秘密裏に育てられていった。
彼らは国の管理で、特別地区に暮らすことになった。
女性から生まれた子供たちは従来の生活を続けたが、今後、増えることはないだろう。続々生まれてくる子供たちはすべて男性でも女性でもある、いわば第3の性だ。彼らが一定数に達するまで、従来の男性と一緒に生活させるのには危険が伴う、と判断された。
「僕も、人工子宮から生まれたんですよね」
なのになぜ、とカイトは言いたいのだ。なぜ自分だけがメシベを持たない?
ノアは答えなかった。
応じようがないのだ、「突然変異」と言い切ってしまうのは酷だと感じた。
「女性の存在は、若い世代には知らされていない。女性から生まれた子供たちには多少の母親の記憶はあるが、彼らも徐々に減っていき、やがて消滅する。
ノアの話をカイトは、すぐには理解できなかった。あまりにも重大な問題に思われた、自分にとっても人類そのものにとっても。
カイトは、目の前のノアに目をやり、
「ノアは、僕とあんまり背丈が変わりませんね」
「そうだね」
「なんだか、ほっとします」
「ハヤセたちの世代は、皆、大柄だ。戦国時代もそうだったらしい」
「戦国時代」
「そう、国内で殺しあっていた頃だ。逆に平和だった江戸時代は小柄な人が多かった」
「平和だと、小さいんですか」
「争う必要がないから、自然にそうなるのかな。今は戦国、乱世なのかもしれない」
乱世、乱れた世と聞いて、カイトはダウンタウンを思い出した。
「でも、ここは平和に思えます。アップタウンもそうだったし」
そうだね、とノアは薄く微笑んだ。
「でも世界には、まだ同じ国内で争っている人たちもいるんだ。武器を手に殺しあっている」
「ええっ」
カイトにはショックな言葉だった。
「地下資源、特にレアメタルが目当てなんだ。我々も無関係ではないよ、アンドロイドには欠かせない物質もあるから。その貴重な資源を、互いに独り占めしようと争う」
「分け合うことは、できないんですか」
「そうだよね。そうなればいいんだが、戦いをけしかける者がいる」
武器商人について、ノアはカイトに伝えた。
彼らは劣勢な方に、無料で武器を供与する。すると不利になった側は焦り、大量の武器を買う。その繰り返しで、武器商人は肥え太る。
「そういうのを『死の商人』という」
カイトの背筋が震えた。
「怖いですね」
「うん。恐ろしく、おぞましい。だが、それが現実なんだ」
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