第8話 ルージュと沈黙

 翌朝。

 ハヤセは回復し、食卓に姿を現わした。ミライに手を引かれ、エレベーターでそろそろと降りてくる。

 タキによれば、

「私たちもだんだん年を取る。老後のためにも必要と思って。ミライ、ハヤセが懐妊して大活躍」

 そう聞いてカイトは、ダウンタウンのマンションのエレべーターがすべて故障し、一度も使えなかったことを思い出した。

「はじめまして、カイト。ハヤセです」

 その顔は、どこかタキに似ている。

「カイトです、よろしく」

 ハヤセの手は、少し熱っぽかった。

「つわりがひどくて、挨拶が遅くなってごめんなさい」

「つわり?」

 オウム返しするカイトに、タキが、

「ハヤセはお腹が痛かったの」

「そうなの」

 と、ハヤセはしんどそうに席につく。

「アレ食べる」

 ハヤセに言われ、ミライが出してきたのは、マヨネーズを塗った食パンだ。

 カイトの視線を感じたのか、ハヤセは言訳するように、

「これしか食べられなくて」

「食べたいものだけ食べてていいの。そのうち、何でも食べられるようになる」

 タキの言葉に、ミライは、

「それで体重がどんどん増えて大変なことになる」

 と、にやにやした。

 カイトにはわからないことだらけだ。

 自分はシオンに育てられてきた。卵子と精子の提供者の名は、18歳の誕生日に通知があったが、ふたつの名前に対してカイトは何の感慨もわかなかった。

 ミライが産んだ子、サヤカ。ハヤセのお腹にいる赤ちゃん。どちらもミライとハヤセの精子と卵子から成長したということは理解できる。

 自分はどうなのだろうか、いつか子供ができたりするのだろうか。誰かに聞いてみたいが、なんとなく気が引ける。


 2日目になって、カイトもノア家の住人たちとうちとけてきた。

 もの静かなノアとは、まだほとんど話していないが、急ぐことはないだろう。

 タキは何かと面倒をみてくれるし、カスガとスギは家具作りを教えると申し出、カイトも何か作りたくなった。

 スギは、カイトが薄着なのに気づいて、ミライたちが着たセーターを出した。

「うちの羊からとった毛糸で編んだんだよ」

「へえ」

 カイトが着て見せると、

「良く似合うよ、サイズもいいね」

 と微笑んだ。

 タキもにこにこしながら、

「今度、カイトに何か編んであげる。好きな色は?」

「えーっと、青です」

「紺でいいかな、そうだ! シオンとお揃いのベストなんてどう?」

 おそろい、という言葉がうれしい。

「ベストなら早く編めるしね。カイト、肩幅計らせて。シオンも」

「楽しそうだね、カイト」

 ライキが戻ってきて、これから自宅に帰ると告げた。

「うまくやっていけそうかな」

「はい。いい人ばっかりで」

 ライキは頷き、笑顔になった。


 週末にはアキナが自宅に戻り、ヤオと共にノア邸にやってきた。

 EV車が二台。先頭には警護アンドロイドのサムにヤオ、アキナ,レイ。片方の車はやはり警護のジョン、ヤオ家の専属医師と看護アンドロイド。

「ミライー!」

 出迎えたミライに抱き着く若い人に、カイトはぎょっとした。

 でかい。ミライも長身だが、それ以上だ。

 目の周りが真っ黒でバサバサのまつげ。

 そして口元が異様だ

 ケガでもしてるのか、口が真っ赤。

 ルージュの存在もカイトは知らない。思わず一歩後ずさった。

「この子がカイトだね」

 頷いたものの、近寄る気になれないカイト。

「口、どうしたの?」

 疑問をそのまま言ってしまった。

 大きな目をさらに見開き、アキナは大笑いした。

「ヤダ、この子。口紅を知らないの?」

 そばにいたタキを指さし、

「タキだって化粧してるじゃない」

 アキナは笑い続けたが、タキは薄化粧だし口紅はベージュ、アキナのフルメイクとは全く違う。

「面白い子」

 アキナはカイトの頭をくしゃくしゃっとやった。

 顔も服も派手、今まで出会ったことのないタイプだ。

「カイト。ヤオだよ」

 ノアが、ヤオに引き合わせてくれた。

 白髪交じりの、気難しそうなタイプにカイトには見えた。

「こちらを紹介してくださって、ありがとうございます」

 こちこちになって挨拶したが、

「大したことはしておらん」

 不機嫌そうに言い、それきりヤオは黙ってしまった。

 医師と看護師がハヤセの具合を診ている間、皆はリビングで歓談し、警護アンドロイド2体も部屋の隅に立って職務中。シオンはやはり、廊下で待機していた。


 レイが廊下に出て、シオンのそばにやってきた。

「カイトが気になるだろう、中に入ればいいのに」

「いや、今はこの家の人たちと親しくするべきだ」

「そういうことか。カイトを大切にしているのだね」

「そうだ。生まれたときからずっと一緒。カイトは、とても大事な存在だ」

「私にとっては、ヤオが大事だ。とても、とても、とても」

 苦しそうな顔だ、とシオンは感じた。

「ヤオは私を、死んだ恋人と同じ顔にした。私を通じて、ヤオはその恋人を見ている。私を見ていない。

 苦しい、痛い、とても苦しい」

 そういった感覚は、シオンには理解できなかった。

「カイトを見ていると、私はただただ嬉しく、もっとそばにいたくなる」

 そう応じると、レイは、

「シオンと私は違う」

 それはシオンも同感た。レイと私とでは考え方、感じ方、立場も違う。

「ヤオが死んだら、私も死ぬ。ヤオのいない世界は耐えられない、きっと私は狂ってしまう」

 シオンは黙った。

 アンドロイドにとって「死」とは何か、機械部の寿命が終わるとかクラッシュするとか、か。「狂う」という言葉も分からない、「故障」とどこが違うのか。

「この世からヤオが消えた時、私は記憶を消してもらって、まだ動けるようなら他の子の育児アンドロイドになる」

「初期化されたいのか」

 シオンが疑問をぶつける。

「そうだ。ヤオがいない世界は耐えられない。ヤオはいま70歳、余命は20年くらいだろう。ヤオがいなくなったら、レイというアンドロイドも消える。

 シオンは、カイトがいなくなったらどうする?」


 レイの質問に、シオンは、

「私は。そのままでいたい」

 と答えた。

「そのまま?」

 不思議そうな表情のレイ。

「そうだ。カイトが死んでも、カイトと過ごした記憶は私のものだ。彼と暮らした年月の記憶は誰も奪えない。いつかアンドロイドとしての寿命が来ても、それまではカイトの記憶を反芻しながら働いていく」

「思い出があればいい?」

「そうかもしれない」

 レイは首を傾げた。

「私はヤオの所有物だが、シオンは貸与型だ」

 真っすぐにシオンを見て、

「期間延長が拒絶されたら、カイトとはお別れだ」

 カイトから引き離されたらシオンは初期化され、別の子の育児アンドロイドになるしかないのだ。

 シオンは沈黙した。

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