第2話 ダウンタウンボーイ
「あそこです」
カイトが指さしたのは,50階建ての古びたマンションだ。近づくにつれて老朽化がひどいことがはっきり見て取れる。外タイルはあちこちはげ落ち、剝き出しの壁に亀裂が走り、廃墟だと言われたら信じてしまいそうだ。
エントランスのガラス戸も埃っぽく泥汚れもあり、長年、磨かれた形跡はなく、管理など全くされていないのは明らかだ。
日々の清掃も全くされていないのだ、とライキは茫然とした。
「持ち家なの?」
「いえ、公営住宅です」
カイトが小声で答える。こんなビルに住んでいるのが恥ずかしいのだろう。
公営ならなおさら、定期メンテナンスが入っていそうなものだが。これでは朽ちるに任せているようにしか思えない。
「ウチは5階です」
「そう」
と、ライキがエレベーターに目をやると、
「ぜんぶ故障中なんです」
5基とも動かないのだ、と、カイトはすまなそうに言った。築80年のタワーマンションは、そのために5階までしか住人はいないという。
住民が減ったとはいえ修理もしないとは。
「いや、いい運動だよ」
日頃の運動不足を痛感しながら、ライキは外階段を上った。
階段も廊下もゴミ溜めみたいだった。5階に着くと廊下はゴミもなく掃き清められていて、ほっとする。
ひとつのドアを、カイトはノックした。
すぐにドアが開いて、若い顔のアンドロイドが現れた。
「カイト」
やさしい声である。
「ただいま、パパ」
甘え声で、カイトはそのアンドロイドに抱き着いた。
「おかえりカイト。心配したよ」
パパと呼ばれた育児アンドロイドは、カイトの父というよりは兄に見える。
「ごめんね。もうギャンブルはしない、こちらのライキさんが助けてくれたの」
「ありがとうございます。私は育児アンドロイドのシオンといいます、とにかく中へ」
ライキは室内に促された。廊下で長話も危険だということか。
「どうぞ」
ライキは、ダイニングテーブルの椅子に腰かけた。脚ががたつき、古ぼけていたが、シートは張り替えたのか、意外に綺麗だった。
シオンが紅茶を運んできた。やたら大きなマグカップだ。薄かったが、温かいものはありがたい。ポートからここまで来る間に、体が冷えきっていた。
やっと暖房も効いてきて、ほっとする。部屋に入った時、暖房は切られていた。カイトの借金を苦にして、シオンはカイトがいる時だけ暖房を入れていたらしい。涙ぐましい努力だ。
一時間ほど話をして、ライキは帰っていった。カイトとシオンは、
「本当にごめんね」
シオンと手をつなぎ帰路に就く。
「ギャンブルは二度とやらない。新しい道も考えるよ」
進学はあきらめよう、何かできることを探そう。そんな気持ちに自然になれた。
さっき、ライキにお茶を出すとき、カイトは見てしまった、シオンのシャツの袖が破れているのを。そんなことに気づく余裕もなかった。本当に恥ずかしい。
三日もすれば次の給付金が出る。そしたら新しいシャツをパパに買ってあげよう。
ライキさん、いい人だったな。
自分のベッドにもぐりこんで、カイトは今日のことを思い返した。
隣のベッドでは、シオンが眠っている。というより横になって充電中、異変があれば即、起き上がってカイトを救助するはずだ。
何の不安もなく、シオンのそばで眠れる夜のありがたさを、しばらく忘れていた。それほどに熱くなり何も見えなくなっていた。
シオンに悪いと思いつつ、ギャンブルのことしか考えられずに、今日もカジノに足を向けてしまった。もうお金は借りられず、利息も払えず、いつ捕まるか内心、びくびくしていた。
今夜は久々に安眠できる。
だが、今日一日のあれこれを思うと、興奮して寝付けない。
借金を清算してくれた後、ライキが向かったのは、ダウンタウンに一か所しかない移動機ポート。頑丈な鉄柵に囲まれた円形の高層ビルだ。ちょうど屋上から、黒い移動機が飛び立つところだった。
移動機はかつては低価格でレンタルできたが、現在は購入のみ、それも高すぎて、一般市民が入手するのは不可能だ。
このポートも、地上から移動機が見えないようになっている。カイトも、空中を行く移動機しか見たことがない。
敷地内に入り、ポートの入り口へ。高速エレベーターが二人を運び上げ、屋上に出ると、ライキの移動機がスタンバイしていた。ぴかぴかの塗装、内部インテリアもシックで豪華。
フライトが始まると、カイトは窓の外の景色に
悲しくなる。ダウンタウンは灰色にくすんで緑もほとんどないことに気づく。少し高台に、カイトがかつて住んでいたアップタウンがある。こちらは瀟洒な家が並び、緑も多かった。
「3年前まで、こっちに住んでたんですよ」
「ほう。なんであっちに?」
突然、移動命令が出たのだ。家具や電化製品は備え付けがある、即日、出ていくように通告された。シオンがリヤカーみたいなものを借りてきて、寝具や衣類を積み込み、指定の住居に向かった。
「アップタウンでは年の近いお兄さんたちもいて、仲良くしてくれたんですが」
今は酔っぱらいの中年ばかりで話し相手もいない、と、カイトは愚痴をこぼした。
目的のヒルズは、さらに高みにあり、アップタウンとはまたグレードが違う、きらびやかな世界だった。
ホテルのティールームで出されたコーヒーは、いつものインスタントとは雲泥の差で、深い香りと味わいに、カイトは仰天した。カップも綺麗な花模様だった。
帰りも移動機でさっきのポートに降り立ち、自宅に戻ってきた。束の間の空中散歩やホテルでのお茶の時間は夢だったのか。
せめて、アップタウンに戻りたい、とカイトは思った。進学もできない、仕事もない。やがては周囲のように、酒に溺れてしまうのか。そんな未来しか思い描けないことが悲しい。
ライキさん、ありがうございました。
一時の夢だとしても、素晴らしい時間を過ごすことができた。
頭がおかしい、んて思ってしまったことをカイトは反省した。
215歳だなんて、冗談だよね。
にやにやしながら、カイトはやがて眠りに落ちていった。
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