ミラージュ〜AI共棲社会
チェシャ猫亭
第1話 ありえない存在
灰色の雲が低く垂れこめた午後。12月の街は寒風が吹きすさび、暗い顔をした男たちが上着の襟を立ててうろつく。
年末の賑わいなどほど遠い、店はことごとくシャッターを下ろしていた。下手に開けて暴徒に襲撃されては最悪だ。風に舞う紙ごみや空き缶の道を転がる音が響くばかり。
「俺のせいじゃない!」
突如、奇声を上げたのは、足元がおぼつかない酔っ払いだ。真昼間から空き瓶を手に道端に座り込んでいる者もいる。
相変わらずだな、と、冷ややかな目でその様子を眺めるのは、ライキという55歳の男だ。
品のある顔立ちで、がっちりした体を上質のコートで包んでいる。
長居して絡まれるのも嫌だ、そろそろ引き上げるか、と思ったところに、
「おとなしくしろ」
威圧的な声がして、ライキは反射的にそちらを振り返った。
アンドロイドポリスが青年の腕を掴んでいる。
「放せよ!」
必死に逃れようとするが、細腕の青年が、屈強のアンドイドに敵うわけがない。
彼の若さに、ライキは瞠目した。
十代かもしれない。くたびれきった中年ばかりの街中にあって、輝くようだ。
こんなに若い男が存在しているのはおかしい。最後に子供が生まれたのは確か25年前。
「見世物じゃじゃいぞ!」
もう一人の、こちらは人間だろう、集まりかけた野次馬を一喝する。
「カイト、18歳」
ポリスは青年のIDカードを読み上げた。男はカードをポリスの手からひったくり、
「アンドロイド貸与中か。そいつも没収だな」
憎々し気に言った。
「そ、それだけは!」
カイトという青年がうろたえる。まるっきり弱い者いじめだ。
「どうしたんですか」
ライキが男にに声をかけると、なんだおまえは、と高飛車な態度である。IDカードを示すと、
「学者先生でしたか、失礼しました。私は、このカジノの警備員です」
と、店を指さした。安っぽいカジノがそこにあることに、ライキはようやく気付いた。
「借金の限度額まで使いこんだ上に利息の入金も遅れている。だから逮捕してもらうんですよ」
「そうでしたか」
こんな若いうちからギャンブル破産とは困ったものだ、と思いながらライキは、
「いくらですか、私が肩代わりしましょう」
警備員が告げた額をIDカードから指定口座に送金した。すぐに確認がとれ、青年は解放された。
一瞬、状況がつかめなかったようだが、
「あ、ありがとうございます」
ぴょこりと頭を下げた。
ほっとすると同時に、何か魂胆があるのでは、と不安になったようだ。
「あの、どうして助けてくれたんですか」
ライキは、
「私は研究者だ。若い身空でギャンブルにはまった理由を、聞かせてくれないかね」
心理学も専門だ、と告げると、カイトは少し安心したようだ。
「どうかね、ちょっとお茶でも」
「ありがとうございます。僕はカイトといいます」
本心ではすぐに帰りたかったが、命の恩人の誘いを無下に断れない。黙って男の後に続いた。
ヒルズと呼ばれる丘の上の特別地域。豪華ホテル前にライキとカイトは来ていた。
「ライキ様、ようこそ」
初老のドアマンが会釈する。
すごい、こんな高級ホテルの常連さんなんだ。
ホテルのロビーはまばゆい世界だった。アロマが香り、あちこちに花が飾られている。お客も高そうな服を着ていて、カイトは彼らの視線が痛かった。くたびれたシャツにジーンズ。場違いもいいところだが、彼らがカイトの若さに戸惑っていたことにカイトは気づいていない。
「これを着て」
フロントでライキがジャケットを借りてくれた。カイトが羽織ると、
「似合うじゃないか」
ライキは目を細めた。こうしてみると、なかなかの美形である。
癖のある黒髪に黒い瞳、どことなくエキゾチックで整正な顔立ちだ。
「なんでギャンブルなんか始めたの」
コーヒーを口に運びながら、ライキが尋ねる。
「はじめてやったスロットで大当たりしたんです。それで、夢中になってしまって」
よくある手だ。最初は大儲けさせてやる、舞い上がり勘違いした客は、有り金をつぎ込むが、さっぱり勝てない。熱くなり、借金をして賭け続ける。
次第にギャンブルのことしか考えられないギャンブル脳になってしまう。
「高校は出たんだよね。進学は」
「勉強は、オンラインで大学受験の資格はとったんです。あちこち受けたけど、全部落ちました」
「それは残念」
頭は悪くなさそうだが。
ライキはふと疑問を感じた。
もしかしたら意図的に落としたのではないか。同世代の学生は皆無だ。社会人を入れる手もあるが、こう世の中がすさんでは、学ぶ意欲もわかないだろう、明日が見えない世界だし。
実際、大学も次々に閉鎖されている。一応、受験はさせるが、学生を受け入れるつもりがないのではないか。
「仕事もバイトも見つからないし、やけになって、憂さ晴らしにスロットをやったら」
ぼそぼそとカイトが続ける。
「行くところまで行ってしまったか」
ライキは優しい声で言った。
現実逃避したくもなるだろう。基礎給付金(ベーシックインカム)が、死なない程度の額、全住民に支給されるが、それがまた悲劇を呼ぶ。
失業率は公表されないが、9割はいっていそうだ、給付金があるからいいようなものだが、人はそれだけでは生きられない。誰からも、何処からも必要とされないという痛みに耐えきれず酒に走り、アルコール依存症が増える一方だ。
「やっと目が醒めました。パパ、あ、僕を育ててくれたアンドロイドのことですが。パパまで取り上げられるなんて耐えられない」
「育児アンドロイドの貸与は、18歳の誕生日までじゃなかったかね」
「そうなんです。なんとか特例で認めてもらってたんですが」
カイトは小さくため息をついた。
「君は何年生まれ?
「2208年です」
カイトの答えに、ライキはにんまりして、
「私は2011年生まれだ」
「はい?」
カイトは怪訝な顔になった。
「いま、2226年ですけど」
計算では、この人は215歳ということになる。
「そう。私は215歳なんだ」
カイトの心を見透かしたようにライキは言う。
「長生きできる簡単な方法があるんだよ。体から体へと渡り歩く」
カイトは黙って聞いていたが、内心、この人は頭がおかしいのだと思った。
「体がくたびれてくると若い人と交換てもらう。もちろん報酬ははずんだよ。皆、大喜びで申し出を受けてくれた」
ライキは、にやにやしながら、
「そうそう。女になったこともある」
「オンナって何ですか?」
カイトに問われ、
そうだった、とライキは少々、慌てた。
「絶滅した種族だよ、もうこの世にはいない」
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