そんなこととは思わない

 なんでこんな事になっちゃったんだ。

 咲さんにロングヘアウィッグを被せられながら、俺は心のなかでうめいた。




 さっきからのことを思い出す。

 約束の時間に、俺は咲さんちのマンションに赴いた。咲さんの家は、つまり狭山さんの実家なので、ご両親も普通にいる。玄関先で咲さんに迎えられ、俺は咲さんとご両親にあいさつした。

 咲さんは笑って言った。


「こんにちは! お会いするのは初めてですね」

「こんにちは、今日はよろしくお願いします」


 俺は頭を下げた。

 咲さんは、狭山さんとなんとなく目元が似ているが、ぐっと垢抜けている。自分の魅せ方をわかってる人、という印象を受けた。

 家に上がらせてもらい、咲さんにお土産のお茶菓子を渡すと、咲さんのお母さんがお盆にアイスコーヒーのグラスを乗せて持ってきてくれた。


「咲、ほら、コーヒー」

「あ、ありがとう、持ってく」


 咲さんはお盆を受け取り、俺に言った。


「あ、和泉さん、私の部屋までどうぞ! 道具揃ってるんで!」

「は、はい、よろしくお願いします」


 しょ、初対面の女の人の部屋に入るの、ハードル高いな……まあ咲さんはこちらを歓迎してくれてるからなので、ありがたいけど。


「あ、コーヒー、ストロー使ってください! これからメイクするのに、リップ落ちちゃうから!」


 咲さんは俺のグラスにストローを刺してくれた。


「あ、はい、ありがとうございます」


 メイクに真剣な人なんだな……。

 咲さんの部屋は、物が多いけれどしっかり整理整頓されていた。そして、でっかい三面鏡と、全身が見られる長い鏡が存在感を放っていた。


「じゃ、さっそくそこ座ってみてください!」


 咲さんに三面鏡前に案内され、俺は勧められるがままに三面鏡の前に座った。

 それから、二人で今日の進行を確認しあった。

 まず、俺が持ってきた富貴さんの会社のコスメで一度解説付きでメイクしてもらう。その後一度メイクを落とし、俺は教わったとおり自分でメイクする。それで、咲さんに出来を採点してもらう。

 俺はメイク前に申し出た。


「あの、最初のメイクでbefore afterを撮りたいんですけど。beforeを今撮らせてもらってもいいですか? メイク以外の条件揃えたくて」

「あ、じゃ、照明持ってきますよ!」


 咲さんは、部屋の隅から撮影にでも使いそうなライトを持ってきた。うわ、メイク前からもうガチを感じる……。

 でも、専用の強い照明は撮影にとても助かる。俺は咲さんにお礼を言い、ノーメイクの自分の顔を何枚か撮影した。咲さんは、俺の持ってきた富貴さんの会社のコスメを自分の腕に試していた。

 それから、咲さんのメイクが始まった。


「わー、BBクリームって本当によく伸びるんですねえ」

「つけすぎないのがコツですよ」


 丁寧な解説、丁寧なメイク。眉の作り方やアイラインなども教わり、最終的に俺の顔はずいぶん引き締まった感じになった。


「おおー! 二割増って感じ!」

「フルパワー出させてくれれば、十割増にも出来るんですけどね」


 咲さんは微妙に欲求不満そうだ。


「いや、入門編なんで、あんまりかけ離れても入りにくいんですよ」


 俺は苦笑した。咲さんは「それもそうですね」とうなずいた。


「まあ、どうやるにしろ、入門編にはすごくいいコスメだと思いますよ、これ」

「へえー」


 機会があったら、富貴さんに伝えよっと。

 咲さんは楽しそうに言う。


「和泉さん、けっこう肌質いいし! メイクしてて楽しかったですよ!」


 咲さんはグッと親指を立てた。好きなことをいきいきとしてる人は、見てて楽しい。この人に頼んでよかったな。

 俺はafterの写真を何枚か撮って、もったいないけど拭くメイク落としで一旦メイク落とした。


「じゃ、今度は自分でメイクやりますんで、またいろいろ教えてください」

「任せてください!」


 咲さんは、ドンと胸を叩いた。

 咲さんがさっき丁寧に説明してくれてたので、自分でやるメイクはそんなに難しくなかった。俺がメイクしてる間、咲さんはメイク失敗したときのカバー方法も教えてくれたので、なかなかいい感じに仕上がった。


「よし、これもafterに使おう」


 俺はまた何枚か自撮りした。咲さんはすごくほめてくれた。


「上出来ですよ! 初めてとは思えない!」

「ありがとうございます」


 俺は頭を下げた。メンズメイク、仕事でやるだけのつもりだったけど、かしこまった席に二割増の自分で行くくらいならやってもいいかも? それこそ、狭山さんの結婚式とか。

 俺が一通り撮影し終わると、咲さんは「それでですね」とワクワクの瞳で俺を見た。


「あの、一回私の好きにメイクさせてもらいたいんですが」

「あ、そうですね。また一度メイク落とします?」

「お願いします。髪と服もちょっと用意してあって、それに合わせてメイクしたいんで、いろいろ持ってきます」


 髪? 服? そんなにやるの?

 まあ、お礼代わりだし、多少の予想外のことでもやろうと思って、俺はおとなしくメイクを拭き取っていた。

 けれど、咲さんが持ってきたウィッグと服を見て、俺は仰天した。

 明らかにロングヘアのウィッグ。明らかにロングスカート。

 咲さんは、陶然とした笑いを浮かべた。


「じゃあ……好きにメイク、させてもらいますね?」

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