ちゃんと仕事で稼ぎたい

〈和泉さん、社会保険欲しくない?〉

萌木さんに打ち合わせでいきなりそう言われて、俺は目を瞬いた。

萌木さん(株式会社グリーンライト所属)といつもの打ち合わせをしている。事前に「今日の打ち合わせで相談というか、お願いがあるんだけど、いい?」と聞かれてはいたが、どういうことなんだ?

「ええと……まあ、もしものときの備えは欲しいですが、どういうお話でしょうか?」

萌木さんはすまなさそうな顔をした。

〈いや、その、一言で言えば、グリーンライトに雇われて週二十時間以上働かない? ってことなんだけど……〉

「え」

俺はかなり驚いた。いまの俺の立場は、グリーンライトの下請けWEBライターだ。依頼された記事の本数ごとに報酬をもらっている。業務委託というやつである。

ただ、依頼される記事の本数は毎月固定というわけじゃない。グリーンライトのその時の状況によってかなり左右される。

だから、時給で働かせてもらえるなら、安定という意味ではとてもいいんだけど。

萌木さんはさらに説明した。

〈週二十時間以上働いてもらえると、社会保険、こっちである程度面倒見られるんだ。あのさ、俺、こないだ嫁が妊娠してさ〉

「え、おめでとうございます」

萌木さんの実家脱出後の人生がうまく行ってて何よりだが、それと俺の収入の安定にどういう関係が?

〈あのね、まだ先の話になるけど、俺、嫁が産むのに合わせて一ヶ月は育休取りたいし、一年くらい子育てで時短したいんだ。でも、俺の仕事増える一方だし、安定して俺の仕事を分けられる立場の人欲しいんだ〉

あ、なるほど、話が見えてきた。俺は最近、記事作成だけじゃなくて、記事の構成案作成や他の人の記事の校正もやってる。けど、構成案作成も記事校正も、本来は萌木さんがたくさん抱えてる仕事だ。

「私が代わりにやるのは、構成案と校正って感じですか?」

〈そう! 話早くて助かる! まあ、記事ももりもり書いてほしいけど!〉

萌木さんは手を叩いて喜んだ。

〈化粧品と漢方については和泉さんに回しときゃ間違いない、みたいになってるからさ、そういう意味でもうちは和泉さんのこと安定的に確保しときたいんだ。時給はさ、ここ一年で和泉さんに渡した報酬と働いてもらう時間で換算して、そんなに見劣りしない額で決めてるから!〉

「そ、それはありがとうございます」

俺は思わず頭を下げた。本当にそんなに見劣りしない額なら、こちらとしては願ってもない条件だ。

時給で雇われたせいで逆に収入減った人の話も聞くのだが、安定した額が毎月入るなら、俺は多少の損は目をつぶる。なんでかと言うと、収入が安定したほうが千歳が安心してくれる気がするからだ。

〈うち、フルフレックスだからさ、働く時間帯は本当にいつでもいいから! でも金曜午前だけはコアタイムにしてるから、その時間はオンラインにいて欲しい!〉

萌木さんは俺を拝むくらいの勢いで言葉を重ねてくる。

「はい、金曜午前固定なら全然できますよ、他の時間もたいてい平日は働いてますし」

俺はうなずいた。

〈ありがとう、本当に助かる! 契約書すぐ送るね、時給はもう記入してあるけど、納得できなかったら俺の上と交渉する時間作るから!〉

あ、もう何もかも用意してあって、後は俺に了承させるだけだったのか。

「ありがとうございます、ひとまず契約書、目を通させてください」

〈うん、今送った!〉

「じゃ、ちょっと今見させていただきますね」

SlackのDMを開いて添付ファイルに目を通した。変なところはない。週二十時間以上、三十時間以内というのも、今の俺なら出来る。時給もそんなに見劣りしないどころか、週三十時間なら今より稼げるのでは? まあ、俺に来る仕事の量次第ではあるが……。

「署名と電子印鑑入れたの、今送りました」

〈判断が早い!〉

萌木さんは驚いていたが、嬉しそうだった。

〈うわー、ありがとう、すごく助かる! 仕事いっぱい頼んじゃうと思うから、もし三十時間で収まりそうになかったら言ってね!〉

あー、やっぱ仕事量はいっぱいなのか。まあ、そうでなきゃ、わざわざ直接雇用したいなんて言わないよな、業務委託よりたくさん仕事させるんでなきゃ、会社側にメリットないもん。

「微力を尽くさせていただきます。四月からの契約でしたけど、別に三月から多少増えても大丈夫ですよ」

俺は萌木さんに微笑した。

〈頼もしすぎる……!〉

総じて萌木さんは喜んでいたが、俺にとってもかなり嬉しい話だった。収入面だけの話じゃない。それなりに俺の仕事が認められてなきゃ、こんな話持ってきてもらえないし。

そんなこんなで打ち合わせを終えたら、こたつの正面で静かに組紐を作っていた千歳が聞いてきた。

『えーと、今の話、稼ぎが安定するのはわかったんだけど、たくさん稼げるのか?』

「割と稼げそう。しかも安定的に」

俺は、千歳にニヤッと笑ってみせた。

「その上、社会保険も払ってもらえるなんて、もう願ってもないよ。フリーランスとしては本当にありがたいね」

『社会保険って、どんなのだ?』

千歳はあんまりピンときてないらしい。

「健康保険、雇用保険、年金、介護保険、労災って感じ。まあ、俺が怪我したり病気したりしても一定の補償が出るようになるってこと。フリーランスはそこが弱いからね」

『じゃあ、お前、稼ぎよくなった上に何かあっても安心になったのか?』

「一言でいえば、そう」

俺が頷くと、千歳はキラキラした目で聞いてきた。

『なら、もう稼ぎが悪いから結婚できないって言うの、なくなるか?』

あ、千歳的にはそっちかー! 千歳に収入面安心してほしかっただけなんだけどなー! いやでも、予想できたセリフではあったな……。

「いや、あの、その、出会いないから……」

俺は何とか話をそらそうとした。

『たまには街に出ろ! ナンパとかしろ!』

「いや、ナンパでは無理でしょ、今はマッチングアプリが主流だし」

『じゃあそのアプリ入れろ』

「うう……」

俺はいろいろ考え、何とか言い訳を絞り出した。

「あの、収入的には安定するんだけど。仕事量やっぱ増えるし、仕事に慣れるまでマッチングアプリ頑張る余裕ないから、しばらくは待ってくれないかな。体壊さないで健康に仕事し続けるだけでも、俺けっこう大変なんだよ、一度体壊してるし」

そう言うと、千歳ははっとした。

『そ、そうか、お前、また体壊したら元も子もないもんな』

「まあ、そういうわけなので、長い目で見てもらえますと幸いです」

俺は千歳に頭を下げた。

『まあ、しょうがない。うまいもん作ってやるから、キリキリ働け』

そう言ってもらえると助かる。ていうか、千歳の作ってくれるご飯、健康面でも精神衛生面でも、本当に役立ってる。栄養バランス取れてるし、おいしいし。

「うん、いつもおいしいもの作ってもらえるから頑張れる、ありがとう」

俺は、嘘偽りない気持ちを千歳に伝えた。

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