二人で治癒を祝いたい

「もう薬はなしでいいでしょう。もし悪くなったら、また来てください」

行きつけの内科で主治医の先生に言われて、俺はびっくりした。診察室の中まで付き添いに来てくれてる千歳(女子中学生のすがた)もびっくりしていた。

俺は思わず先生に聞いた。

「その、それは、治ったってことでいいでしょうか?」

先生は、穏やかに返答した。

「過敏性腸症候群に完治というのはないのですが、寛解と言っていいですよ。薬も通院も、なしにして大丈夫です。でもこれまで食生活に気をつけて、それでここまでこれてますから、今後も食生活は気を使ってくださいね」

先生は、マスクの上からでもわかるくらい微笑んだ。え、じゃあ、俺、これまでの生活をしていればもうほとんど大丈夫ってこと!?

千歳が身を乗り出すようにして先生に聞いた。

『えっと、じゃあ、ワシが今まで気をつけてたみたいにやってれば大丈夫か!?』

「油脂と刺激物控えめ、コーヒー控えめ、ですね。とてもいいですよ。最近はデカフェのコーヒーや紅茶もありますから、活用してください」

『う、うん!』

千歳は力を入れてうなずいた。

そんなこんなで薬の処方もなく、通院も必要なくなった。良くなってきている実感はあったのだが、病院にいかなくて良くなるなんて思ってもいなかったから、会計を済ませて病院の外に出るまで、実感がわかなかった。

「俺、もうここ来なくていいんだな……ワクチンとか風邪ひいたとかでしか来なくていいんだ……」

病院の玄関を振り返って、俺は思わずつぶやいた。

『よかったなあ、お前』

横にいる千歳が笑って言う。

……そうだ、千歳がいなかったら、絶対こんなことは起こらなかった。俺の体を気遣った食事を毎日三食作ってもらえるなんて、千歳がいなかったら絶対なかったし、千歳がいなかったら、俺がうなされてるのをなだめて寝付かせてくれる人もいなかった。毎日千歳が何くれとなく俺の世話を焼いてくれなかったら、絶対にこんなに良くならなかった。

バス停まで歩きながら、俺は千歳に言った。

「……千歳、ありがとうね、本当にありがとう。俺、千歳がいなかったら、絶対こんなに体良くなってなかった」

心からの感謝を千歳に伝える。

「俺、身体良くなったし、もっと仕事頑張るから。頑張って稼ぐから」

千歳の望む、子孫を作ることや結婚することについては、未だにあんまり現実味を持って考えられてない。でも、仕事で稼ぐのは十分に現実味を持って考えられるし、実現できる。もらえてる仕事はそれなりにあるけど、もっと営業するとか時間単価を上げるとか、努力できることはたくさんある。

だから、けっこう力を入れて頑張ると千歳に言ったのだが、当の千歳には少し心配そうにたしなめられた。

『頑張ってるのはわかるから、頑張りすぎるな』

「む、無理しない程度に頑張る」

確かに、また体壊したら元の木阿弥である。自己管理はきちんとしないとな、と思っていると、千歳は俺の顔を覗き込んで笑った。

『まあ、でも、お前が良くなったの100%ワシのおかげだよな。これはなんかお礼してもらわないとな?』

ドヤ顔をされたが、この件に関しては千歳はいくらでもドヤ顔をする権利があるし、俺は千歳に何でもしてあげたい。

「そうだよね、お礼言うだけじゃ足りないよね、そんなに高いものは買えないけど、俺、買えるものはなんでも買ってあげる!」

そう言うと、千歳は『んー』と考え、ちょっといたずらっぽい顔になった。

『ひとつじゃ足りないなあ、三つくらい欲しいなあ』

複数でもいいよ、何でも買ってあげるよ。

「何が欲しい? 行ってくれればできるだ買うし、希望言ってくれれば調べていいの見つけてくるし」

勢い込んでそう言うと、千歳に肩をどやされた。

『そんな顔すんな、お前の懐具合的に無理できないだろ』

「いや、多少の無理なら……」

『無理はさせない。でも、無理させない範囲なら三つ、いいよな?』

千歳は、今度は真面目な顔をして聞いてくるので、俺は即うなずいた。

「何がいい?」

『そんな急ぐな、ゆっくり決める。あ、でもそうだ、ひとつ目は、お前が良くなったお祝いも込みで、前行ったイタリア料理屋行きたいな』

え、サイゼなんかでいいの?

でも、千歳の表情を見るに、普通に行きたそうだ。

「あそこ本当に普通のファミレスだけど、そんなんでいいの?」

『いい、うまかったもん。ワシ、今度はドリアも食いたいな』

うん、ミラノ風ドリアはサイゼ行ったら絶対食べたいもんな。

「じゃあ、早速だけど、今日の夕飯に行く?」

『行く!』

そういうわけで、その日の夕飯はサイゼリヤまで出向き、いろいろ頼んだ。

『エスカルゴってカタツムリだろ、うまいのか?』

メニューを見ながら千歳は真剣な顔だ。なんでも頼んでいいって言ったんだけどな。

「おいしいって聞くよ、俺は食べたことないけど。頼んでみたら?」

『じゃあ、頼んでみようかな……あと、ミラノ風ドリアと、辛味チキンと、エビのサラダと、カルボナーラと、イタリアンハンバーグと、トリフアイスクリームとティラミス!』

「それで決まり? 店員さん呼ぶ?」

そう聞くと、千歳はちょっと照れた。

『……組紐作るので腹減ってるから、後で第二弾頼みたい』

俺は笑った。

「じゃ、第二弾もたくさん食べて。店員さん呼ぼうか」

俺は卓上のベルを押した。

よく考えたら、一年ちょっと前にサイゼで「千歳に好きなだけ食べていいよって言ってあげたい」と思ったのは達成できてるのか。サイゼで爆食するくらいなら出せる懐具合になってるしな。

俺、今、頑張れる環境になってる。頑張れる体に回復したし、頑張れる仕事があるし、何より、頑張ってるのを見てくれて寄り添ってくれる人がいる。

……俺、頑張るよ、千歳。

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