番外編 金谷千歳の献身 下
びっくりしたけど、この銀狐はワシにまた何かしに来たんだろうな、祟ってる奴が横槍入れないうちに。
『……痛い目に遭わせたいなら遭うからさ、もう少し後にしてくれよ。あいつに飯作って食わせたいからさ……』
ワシがぐちゃぐちゃにした人の分、痛くても仕方ないと思う。でも、あいつずっと寝てて、腹減ってるだろうし喉もかわいてるだろうから、ちゃんとしたもの飲み食いさせてやってからにして欲しい。
銀狐は、きれいな顔の女に化けて、馬鹿にしたように笑った。
「もう何も出来んと言ったろう。和泉豊ともう少し話そうかと思ったが、まあお前でもいい」
銀狐は、ワシが飯作ってる所をのぞき込んだ。
「何作っとるんじゃ?」
『みぞれ汁と温泉卵……。消化にいいおかずなら大丈夫かと思って……大丈夫だよな?』
「大丈夫じゃ」
銀狐は頷いて、そしてため息をついた。
「お前、こんなに誰かを慈しむ事ができるのに、どうしてそれを他の人間に少しでもできなかったんじゃ?」
『……わかんない……』
この狐の言うことは最もだと思うけど、なんでできなかったのかと言われると、全然わからない。
銀狐は、噛んで含めるように言った。
「お前がぐちゃぐちゃにした人間は、みんな、誰かにとって、慈しむべき人間だったんじゃがのう」
『…………』
自分がものすごく嫌になる。心臓が冷たくなる。ワシが悪いけど、ワシが悪いのに涙が出た。
『……そんなの、わかってるよ……みんな、ワシにとってのあいつだったんだ……それを、ワシ、たくさんぐちゃぐちゃにしちゃったんだ……』
涙が止まらない。
『すごく悪いことだってわかってるよ、だからあんたに痛い思いさせられてもしかたないって思ってるんだよ、でもあいつが痛い思いしちゃったんだよ、ワシ、ワシ、謝っても謝りきれない……』
「…………」
銀狐はしばらく黙っていた。それから、コンロを指さした。
「……鍋が吹いとるぞ」
ワシは、ぐずぐず鼻を鳴らしながらみぞれ汁の鍋の火を止めた。体の中心が冷たくて、どうしていいかわからなくて、なかなか泣きやめない。
「……料理は、いつ覚えたんじゃ?」
『……覚えたっていうか、ワシの中、たくさんいろんな奴がいるから、料理が上手い奴の記憶とか経験を借りてやってる……』
鼻をすすりながら言うと、銀狐は納得したようにうなずいた。
「ああそうか、そんな感じで融合しとるのか。他にも、新しく知ったことはあるのか?」
『……新しくかはわかんないけど、昭和の終わりに死んだ奴が割と人生経験豊富だから、そいつのを参考にしてる。でも、今、令和だから、わかんないことたくさんある』
銀狐は首を傾げた。
「わからん時は、どうしとるんじゃ?」
『あいつが教えてくれる。あいつ、結構物知りで、頭いいんだ、高学歴だから』
ワシは和室の方を指差した。祟ってる奴、もうそろそろ起きないかなあ。
「ふーむ……」
銀狐は、口元に手をやり、少し考えてから言った。
「お前、自分が暴れて封印された年を覚えとるか?」
『……よくわかんない。今で言う、江戸時代ってことしかわからん』
「文政の5年じゃ。西暦で言うと、1822年じゃな。お前、ちょうど200年閉じ込められてたんじゃ」
『そうなのか?』
やっと泣き止めたので、顔をごしごしした。話題がすごく変わったけど、何が言いたいんだろう。
「お前は、200年で、記憶と経験をいろいろ足されて、それから優しい人間と出会って、一緒に暮らしてきたんじゃのう」
銀狐は何か納得したようにと頷く。何が言いたいんだろう?
『えっと、あいつ、すごく優しくていい奴だぞ。転んで祠にぶつかってワシに痛い思いさせたから祟ってるけど、いきなり押しかけたのにワシのこと嫌がらないし、ワシが帰り遅い時すごく探してくれたし、バラバラに飛び散った時も集めてくれたし、迎えに来てくれたし』
とりあえず、あいつをほめてみる。
「……そうなんじゃろうな。だから、お前は200年前とは変わったし、もう見境なく暴れることもないんじゃろう」
『?』
「……あの男といる限り、もう、お主に妙なちょっかいは出さんよ。邪魔したの、千歳」
銀狐は、ふっと消えた。気配も残さなかった。
あまりにもあっさりいなくなったので、びっくりしてしまった。え? もう妙なちょっかいは出さない? じゃあ、ワシにもう何もしないのか?
どうしようと思ったけど、窓の外が明るくなってきたから、とりあえずぐしゃぐしゃな顔を洗って拭いた。あいつが起きても心配させないようにしないと。
食卓の準備をして、祟ってる奴の様子を見に行くと、祟ってる奴は熟睡してる時の横向き丸まり寝じゃなくて、仰向け寝になってむにゃむにゃ言ってた。あ、もうすぐ起きるなこれ。
『おい、もう大丈夫か? 飯の用意してあるぞ』
軽く肩を揺さぶってみると、祟ってる奴は「 うーん」と伸びをして目を開いて、寝ぼけた顔で、「あ、おはよう……」と言った。
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