番外編 銀狐、九の気持ちの行き先
妾は異界の裂け目を開け、斎野神社の境内に出た。南さやかを始め、何人かが話し込んでいたようだったが、皆こちらを見て心底仰天した顔になった。
「すまんの、お前たちに迷惑はかけないつもりだったんじゃが、計算外の事が起きての」
顔色を変える面々に、怨霊には何も起きていないことを説明し、安心させた。妾が怨霊にぶつけるつもりだった怨霊の被害者の痛みを、和泉豊が怨霊をかばって引き受けてしまったので、計画がご破算になってしまった、しばらく何もしない、と伝えると、別の意味でその場の人間たちの顔色が変わった。
「いや、それ和泉さん大丈夫なんですか!?」
眼鏡の、すこしもっさりした見た目の男。金谷家の娘に婿入り予定の狭山とかいう奴だったか。
「あんまり大丈夫ではないだろうが、妾も痛みを抜いてやる以上のことはできんからのう。一応、痛みを抜いてやったら意識は取り戻したし、様子を見に行くならあっちが身繕い整えるのを待ってやったほうがいいじゃろう」
「身繕い?」
「あの男、痛みの衝撃で泡吹いて吐いて漏らしての。ひどい有り様じゃったから、怨霊についていかせて家の前に戻してやったんじゃ」
「…………」
狭山は、痛ましいと複雑が入り混じった顔になった。この男は後天的にこの業界に入ったらしい、妾にかなり気軽に声をかけてきてるからな。他の者は、まず妾に対して怯えているし、多分さやかは怯えたふりをして和泉と怨霊の仲が良いのに絶頂している。
朝霧の嫁、緑が恐る恐る聞いてきた。
「あの、その、しばらく何もしない、ということですが、できればもう何もしないでいただけませんか……?」
「……どうしようかのう」
妾は気を持たせる返事をしたが、正直言って、何かしたくてもできない。今回は我が主人、宇迦之御魂神から力を借りた。しかしその力を持ってしても、怨霊に対しては、おびき出して条件を揃えた異界に連れだして、やっと半刻縛り付けておける程度だったのだ。そう何度も主人に力を借りる訳にはいかない、主人はただでさえこの酷暑が不作を招かないようにするのに大変なのに。
「……まあ、和泉豊は大した馬鹿だのう。落ち着いたら嫌味を言いにいくか」
正直、嫌味を言いに行くくらいしないと気がすまない。それくらいしかできないとも言うが。
「あの……」
緑がまた声をかけてきた。
「何じゃ?」
「私は……その、怨霊である金谷千歳と友達付き合いをしています」
緑は、妾に恐怖を感じていない訳では無いが、それでも言わなければならないことがある、と言う風だった。
「なんか普通に暮らしとるようじゃなあの怨霊。お主、何考えてあんなのと友達になったんじゃ? 怨霊に脅されとるのか?」
「……いえ、私の自由意志です。朝霧家の意向にもあまり沿っていません」
「ほう」
なにか面白いことがあるようだ。少し話を聞く気になった。
緑は話しだした。
「怨霊の金谷千歳は……核になった朝霧の忌み子は、子孫を残せない体というだけで閉じ込められて、人並みの扱いをされず、最後には殺されました。誰も優しくしてはくれなかったんでしょう。怨霊になっておかしくない生前だったと思います」
妾は鼻を鳴らした。
「ひどい扱いを受けたからって、人を殺してしていいことにはならんじゃろ」
「……怨霊の金谷千歳は、和泉豊に出会って、優しくしてもらってから、一度も自分から暴れていないんです。たった一人、優しくしてくれる人がいただけで、大人しくなってしまったんです」
「…………」
……言われてみれば、そういう見方もできるな。確かに、あの男は怨霊がとても大事なようだったが。
「……私は、非潔斎で〈そういう〉素質がなくなっている時に、金谷千歳と知らずにあの子にあって、仲良くなりまして。素直で明るくて、人懐っこい子だと思いました」
「ふん、だからかばうのか?」
「……子供を作れないから不遇な扱いを受けた、そういう者同士としてかばいたい気持ちはあります。それに、たった一人優しくしてくれただけで荒御魂から和御魂になってしまったような霊に、ただひたすら報いを味わえと痛みをぶつけても、何にもならないのは確かだと思います」
言い切った緑は、真っ直ぐに妾を見た。
「…………」
……くそ、腹が立つが、うまく言い返せない。
確かに今のあの怨霊は、暴れるだけではない存在だ。倒れた和泉豊を見て妾に怒り狂うのではなく、泣き叫んで和泉豊をまっさきに心配したあの怨霊は、二百年前に感情のままに暴れた荒御魂とは、違う存在だ。
「……まあ、あの怨霊に何かしようと思っても、妾はもう嫌味を言ってやるくらいしかできん。今回のようなことは、せん」
あの怨霊を変えた、和泉豊という稀代の馬鹿と、もう少し話がしたい。
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