閑話 おうち温泉宿 下

『お、起きたか、朝風呂入れるようにしてあるぞ!』

千歳(女子中学生のすがた)が台所から顔を出した。

「あー、ありがとう、水飲んだら入る」

朝から湯船に入浴剤入れて浸かり、出てきたら、いつもより豪華な朝ごはんが並んでいた。焼鮭、ほうれん草のおひたし、温泉卵、納豆、大根おろし、味噌汁……。

「わーすごい、旅館の朝食!」

「温泉宿だからな、今日一日!」

とりあえず味噌汁を飲み、熱さと味噌と出汁のハーモニーを味わい、お世辞でもなんでもなく「おいしい……」とつぶやいた。

「夏は汗かくからさあ、朝の味噌汁がおいしいんだよねえ、体が塩分欲しがってて」

『ふーん、でもお前、冬も体あったまっておいしいとか言ってなかったか?』

千歳は首を傾げた。

「うん、冬もおいしい」

『春と秋は?』

「……特に何もないけど、おいしい」

『そりゃ、お前、単に朝の味噌汁が好きなだけだ』

千歳はケラケラ笑った。

「そうかも」

俺も笑った。

ゆっくり朝ごはんを食べながら、今日の予定について話した。朝涼しいうちに少し散歩して、それ以降は少し遊びたい。

『夜のうちに飯は仕込んでおいたからな、遊ぶの付き合えるぞ! 卓球は流石に無理だけど!』

温泉宿といえば卓球、わかるけど今でもそうなんだろうか?

「うーん、家でのんびりして、なんか面白い番組でも見たいな。久しぶりに映画でも見ようかな?」

『アマゾンっていうので借りられるんだっけ?』

「うん」

『じゃあ、今日は特別にワシのデビットカードっていうので奢ってやる。散歩の帰りにコンビ二寄ってポップコーン買うぞ!』

クレカが通るかわからなかったので、とりあえず作った千歳のデビットカードだが、便利に使っているようだ。

「ありがとう、甘えさせてもらいます」

食べ終わった後、千歳が近所にいいにおいの花があると言うのでそこまで散歩した。白いくちなしの花だった。

コンビ二にも寄って、しっかりポップコーンをゲットして帰る。ついでに買ったコーラを食卓にセットして、千歳がタブレットを開いた。

『じゃ、映画奢ってやる。お前好みの女優が出る奴にするか?』

「えーっと……」

好きな女優の名前を出そうとして、はたと気づく。千歳に俺の好みの女優なんて言ったら、その人の顔を真似されて、また性的に迫られて練習しろと言われるかも。それはまずい。

「好みは、いや、その、かわいければ誰でも」

『なんだ? 好きなタイプとかないのか?』

「好きなタイプは……見た目より性格っていうか……一緒にいて楽しくて、安心できる人が好きかな」

『ふーん、まあブスは三日で慣れるっていうしな』

「あとはさ、明るくて元気だと嬉しい。そういう人がかまってくれたら楽しい」

『じゃあ、楽しくて安心できて、明るくて元気か……いや、それ、すごくいい女だろ、ブスに限定しても捕まえるの大変だぞ!』

千歳に肩をはたかれた。

「いや、まあそれはおいおいということで、映画見ようよ」

『何見たい?』

「おもしろそうなら何でも……あ、ちょっと待って」

料理ものなら千歳も興味深く見られるかも、と思った時、ふと思い出したタイトル。高校の時読んだ本、あれ確か映画になってたよな。

「南極料理人って、借りれたら見たいな」

『南極料理人?』

千歳が打ち込んで検索する。出てきた画面を見て、面食らったようにつぶやいた。

『なんか、男ばっかだな』

「でも、これ原作すごく面白いんだ。レビューもいいし、きっと面白いよ」

『ペンギンでもつかまえて飯作るのか?』

「寒すぎてペンギンもいないところの話だね、南極にはるばる持ってった日本の食材で毎日頑張ってご飯作る話」

『ふーん』

千歳が購入してくれて、映画が始まった。吹雪と男たちの絡みから話が進行していく。

『あっ、やっと飯出てきた、豪華だなー!』

「けっこういろいろ食材あるんだよ、生野菜はないけど」

『あ、本当だ、刺し身のツマ、海藻ばっかりだ』

話が進み、南極観測隊のメンバーの食卓の場面になる。

『むさいおっさんばっかだなー』

「男ばっかりだからなあ、観測隊メンバー」

主人公が堺雅人はイケメンすぎると思ったけど、髪型とメイクでかなりむさくしてあって、そこまで浮いてない。原作はエッセイだから、どう映画にするのかと思ってたけど、説明や導入を工夫して作ってある。

『これ、うまそうだなあ!』 

画面に料理が映り、千歳が歓声を上げる。よかった、千歳も楽しそうだ。

いい休日だ。のんびりできて、おいしいものが食べられて、一緒にいて楽しい人と楽しく映画が見られて。

……ていうか、俺の人生の休日の中でも、今日は相当に上位の休日じゃないかな? 実家にいた時は母親がいつ爆発するかで気が休まらなかったし、一人暮らしをしてからは学業とバイトでほぼ休みがなかったし、勤めてからはブラック企業で休むどころじゃなかったし、やめてからは千歳が来るまでずっと体調悪かったし……。

明日からは仕事なわけだけど、今、仕事の量にも仕事の相手にもけっこう恵まれてて、自分を削るような思いをしてないし、それでいて食べていける程度には稼げてるし……。

精神的にきついことがそんなになくて、おいしいものが三食食べられて、なにより、俺をかまってくれる人がいて……。あれ、俺、今、人生で相当いい時かもしれない……。

『なあ、今の料理、そのうち作ってやるからな』

千歳が画面を指さしながら言う。

「……ありがとう、本当ありがとう、いい休日だ」

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