そういうことなら引き受けたい
俺を? 主人公のモデルに? え? 主人公って女の子二人じゃなかったっけ?
俺は完全に思考停止したし、台所で打ち合わせが聞こえてた千歳がびっくりして顔を出した気配もするんだけど、狭山さんは本当に済まなさそうな顔で説明しだした。
〈ダブル主人公の片割れを漢方に本当に詳しい子にしたいんですけども、なんていうか、境遇とか話し方とか、和泉さんがモデルにぴったりで……本当に申し訳ないんですけど……〉
狭山さんは詳しく説明しだした。ダブル主人公の片割れの女の子を、漢方にものすごく詳しく理知的で、でも漢方の実家を継ぐことに拒否感がある、というキャラにしたいらしい。
〈で、実家を継ぎたくない理由っていうのを、祖父母の代は誠実にやってて優秀だったけど父母の代が変な商売に走ったからで、それが嫌で家出して全部過去捨てて、家出先の西洋薬局で下働きっていう風にしたくて……まあ、その、かなり和泉さんの境遇をモデルにしちゃってて……その、性格とか、話し方や見た目の印象も、考えれば考えるほど和泉さんを引き写すのがすごくはまり役で……〉
み、見た目も? 俺の見た目そんな、小説の主人公とかになる?
「え、えーと……いわゆる百合なら、美少女のほうがいいんじゃありません?」
〈スレンダー美少女にしたいです、落ち着いて礼儀正しい感じの〉
狭山さんはキリッとした顔で言った。さっきまでの済まなさげな顔つきがどっか行っている。多分これはこの人の小説家としての顔で、もっと言うと、性癖を語る男の顔なんだろう。この人の裏垢の性癖エグいし。
「ま、まあ確かに、私は痩せ型ですが……」
俺みたいなの、小説で女体化しても鶏ガラみたいにしかならないと思うけども。ていうか、狭山さんから見ると、俺、落ち着いて礼儀正しくて理知的なの?
狭山さんが言い出したことがあまりにも意外だったので、最初うまく脳に浸透しなかったのだが、俺は改めて考えた。
「えーと、つまりその、漢方に詳しいだけじゃなくて、親と軋轢があるキャラにしたくて、それのモデルに私の境遇とか物腰とかを引き写すのがぴったりってことでしょうか?」
〈一言で言えば、そうです〉
狭山さんはうなずいた。不安そうな表情である。俺がはいと言ってくれるかどうか、心配なんだろう。
うーん……びっくりしたし意外だったけど、なんかすごく俺のこと褒めてくれてるし、話し方とかモデルにするのは、まあいいけど、親との軋轢もか……いや、親との軋轢?
「あの……ここまでの話からすると、そのキャラ、親と決別したくて、親と反対に誠実に生きたいって感じのキャラですよね?」
〈そうですね、すごく善人側のキャラです〉
いや、べつにちょっとくらい悪くたっていいけど、そうか、そういうキャラか。
「親にほだされて仲良くなって和解、とかそういうエンドはないですよね?」
〈そういうキャラにはしたくないですね。いや、したくないっていうか、話のテーマに反するので、しないです。なんていうか、わかりあえない人っていうのはいて、でもわかりあえる人は探せるし、そういう人を見つけて生きよう、って話になるので〉
「わかりあえない人の代表が、そのキャラの親ですか?」
〈そうです〉
「なるほど……」
そういうキャラか。そうか……。
親と決別することを肯定してくれる話か。親とわかりあえないことを書いてくれる話か。
そういうキャラが主人公の小説。狭山さんの小説なら、すごく売れるかもしれないし、またコミカライズしたりアニメ化したりする可能性もある。たくさんの人が、そういうキャラがいる小説を読んでくれたら、親に困ってる人が触れる機会もあるかもしれない。
俺が狭山さんの話を受けて、一緒に仕事することで、そういう人の助けになるかもしれないのか。
生活するためには仕事を優先しないといけないけど、仕事を通して親に困ってる人のためになることができるかもしれないなら。そういうことなら。
「あの、絶対に親と仲良くならない、なれないキャラで、親以外のところで幸せになってくれるキャラなら、いくらでもモデルにしてください」
狭山さんの顔がパッと輝いた。
〈いいんですか!?〉
「というか、その、親と切れてもいいんだ、ということを書いてくれるなら、ぜひこちらからお願いしたいです」
俺は、鹿沼さんや萌木さんのことはぼかしつつも、親に困っている人を他人とは思えなくて助けたいと思う出来事が最近多かったこと、でも生活が優先だし、と諦めていたことを話した。
「そのですね、私の境遇をモデルにしたキャラの小説が出て、そういう人の目に触れて、背中を押す手助けになれたら、と思うんですよ。それに、漢方の知識を正しく広めるっていうのももっとやれたら嬉しいし、狭山さんならうまく話の面白さと両立できて、またすごく売れる話にして、たくさんの人の目に触れる出来にしてくれるんじゃないかなって」
〈そうでしたか……。面白くします、がんばります。その、和泉さんには、漢方以外の、ご家族との話もお伺いすると思いますが……〉
俺は、少し直接的な物言いをしてみることにした。
「反医療の陰謀論ズブズブの母親が家庭内でどんな感じかとか、そういう母親を甘やかして子供は二の次の父親がどんな感じかとか、そういう毒親エピソード提供もできますよ。まあ通常がすでにアレだから、どの辺から毒親エピソードか、私がうまく判別できない問題がありますが」
こんな物言いをして、狭山さんがどう出るか。ドン引きしてもおかしくない、と思ったのだが、狭山さんは真剣な顔になって身を乗り出してきた。
〈……そういうのお聞きしたいですし、ご両親の商売のあれこれもお聞きしたいです。和泉和漢薬のネットの活動は参考に割と漁ったんですけど、家族でないとわからないこととか〉
ガチでやる気な人の態度じゃん。どうせやるなら、とことんやってくれると嬉しい。
俺は笑った。できるだけ、狭山さんを安心させられる笑顔であればいいと思いながら。
「何でも話しますから、面白いの書いてたくさん売ってください。たくさん売れたら、その分、たくさん親に困ってる人の目に触れるから」
〈がんばります!〉
狭山さんは鼻息荒く答えた。
「コミカライズとアニメもお願いします」
〈そ、それは努力しますが、僕の一存では……〉
俺はちょっとふざけてみた。
「実写でもいいですよ」
〈アニメよりハードル高いですよ!〉
狭山さんは苦笑した。
そういう訳で、じゃあちゃんと話を詰めましょうかとなり、改めて打ち合わせた。
狭山さんは人と話す方がアイディアが出やすいとのことだったので、ときおり電話かZoomで打ち合わせして、漢方ネタの詳細については俺が後日調べてまとめて文章で送ることになった。狭山さんが書いたプロットと原稿の漢方チェックも、俺がすることになった。
「漢方とか中医学の入門本、一応リストアップしておいたんですけど、いりますか?」
〈教えてほしいです、全部読めるかはわかりませんが〉
金額の話もちゃんとした。今日の話をベースに、出版社のアシストの元、契約書を作り、お互い読み合わせて契約してからまたちょくちょく打ち合わせをすることになった。
千歳は、俺と狭山さんとの打ち合わせの途中から、台所の作業を全部食卓に持ってきてものすごく聞き耳を立てていて、俺が打ち合わせを終えたら光の速さで寄ってきた。
『おい! なんか……なんかすごかったな! お前、狭山先生の小説のモデルになるのか!?』
千歳(女子中学生のすがた)はものすごく興奮している。そりゃ、好きな作家の新作主人公のモデルに同居人がなるって言ったら興奮するよな。
「うん、打ち合わせ中ずっと静かにしてもらっててごめん」
『インタビューも受けるのか!?』
「インタビュー……まあ、インタビューになるのかな、聞かれたことは答えると思う」
そうか、狭山さんは小説のために俺の境遇を取材したいわけで、まあ、取材ならインタビューか。
『なんか……すごいな! すごいけど、どうすごいのかうまく言えない……』
千歳は両手を組み合わせてもにょもにょした。
『でも、その、お前、大変なら無理するなよ。嫌なことは無理に話さなくてもいいんだからな』
千歳の顔は、すごく気遣わしげだった。
「…………」
そうだよな、親のこと、俺にとって嫌なことなんだよな。
でも、最近、そんなことでも考えざるを得ない場面はたくさんあって。そんなことだから自分だけじゃ抱えきれない気持ちもあって。
誰かに話すこと、必要なのかもしれない。これは、いい機会なのかもしれない。
「……あの、確かに楽しい話じゃないんだけど、人に話す方が楽になるって感じもあって……楽しい話じゃなくて悪いんだけど、千歳にも聞いて欲しくなる時とか、あるかもしれない」
狭山さんに話すのは小説のネタにするためなので、適さない話もあるし、話していく中でネタにしてほしくないなと思う事柄も出るかもしれないし。でも、一人で抱えきれるかわからないから、そういう時は千歳に聞いて欲しい。
千歳は首を傾げた。
『話したほうが楽なのか?』
「うん、少なくとも、俺の場合は」
『ふーん……』
千歳は少し考えてから、俺の背中を軽く叩いた。
『まあ、いつでも聞いてやる。お前はそろそろおやつ食って太れ』
俺を太らせるための千歳の手作りおやつは、まだ続いている。
『今日は、クレープ焼いてバナナとカスタード巻いて冷やしといたぞ! うまく出来たから、ワシも食べる!』
「うんうん、一緒に食べよう」
いそいそと冷蔵庫に向かう千歳を見て、俺は微笑んだ。
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