あなたをモデルにさせて欲しい

さて、今日は打ち合わせが詰まった日である。午前に萌木さんと打ち合わせ、午後に狭山さんと叩き台の打ち合わせだ。

『お前今日忙しいな、大丈夫か? 終わったら疲れて寝込まないか?』

朝ごはんの味噌汁を食卓に並べながら千歳(女子中学生のすがた)が言った。

「もう最近はぜんぜん大丈夫だよ、今日の予定は打ち合わせとその準備だけにしてあるし」

『ならいいけどさ。今日の散歩、打ち合わせ前に行きたいんだろ?』

千歳との散歩は、もう日課になっている。

「うん、やっぱ一日一回歩くと血行がよくなって肩が凝りにくい」

『爺さんみたいなこと言うなあ、お前』

千歳はおかしそうに笑った。

「まあ、いずれはお爺さんだよ」

俺も笑った。

近所を一周りしてからパソコンの前に座る。萌木さんとの打ち合わせ準備をしていたらすぐ時間になってしまった。打ち合わせ内容はいつもとそう変わらず、今月下旬の仕事についてやり取りして、お互い質問がなければもうお開きかな、でもまだ打ち合わせに空けておいた時間あるな、と思った時、萌木さんがふと言った。

〈あの、こないだはありがとう。俺、来月中に関東に越す事にした〉

「え!?」

え、じゃあ覚悟決まったってこと!? いや、よかったけど、早くない!?

「え、えっと、いい方向に進んでるようでよかったですけど……ずいぶん早いですね」

とりあえずそう言うと、萌木さんは苦笑した。

〈何から始めていいかわかんなくて、とりあえず妹に全部ぶちまけたら、妹の旦那が転勤の話来てて、近いうちに引っ越すって言われてさ。そういうことなら揃って逃げようって提案されて。だから、急いでいろいろやって、妹と同時に実家から消えることにしたんだ〉

「な、なるほど……」

そうか、大きい懸念材料である妹さんの心配がなくなって、その妹さんにも背中押されたのか。

萌木さんは、柔らかい笑みになった。

〈元嫁とも連絡取ったんだ。そういうことなら、また一緒に暮らそうって言ってもらえてさ〉

「それは、よかったです、すごく」

なんだ、すごくいい方向に進んでるじゃないか。萌木さんのお母さんにはよくないだろうけど、そこはもう萌木さんの父親に努力してもらうしかない。

〈まあ、そういう訳で、なんとかなりそう。和泉さん、本当にありがとうね〉

萌木さんは頭を下げた。

「いや、その、私は特に何もしてないですよ」

〈いや、すごく助かったよ。和泉さんみたいな人の話、親に困っててでもどうしていいかわからない、って人にすごく役に立つと思う〉

萌木さんから見てもそうなのか……でもなあ。千歳に自分の生活優先しろって言われて、そうだよなあって思ったしなあ。

「その……そういう人の力になりたい気持ちはあるんですけど。でも、私の体力も時間も有限なんで、まずは自分の生活をやっていかないと、って言うのがあって……余力、そんなにないんです、情けないけど」

毎日仕事頑張って、食い扶持を稼がないといけない。本当は食い扶持だけじゃなくて、千歳が喜ぶものちょくちょくおごっても懐が痛まないくらいは稼ぎたい。もっと贅沢を言うなら、たまには千歳と一緒に旅行くらい行きたいし、一緒にいいもの食べたい。そういうことを考えると、本当に余力は限られている。

萌木さんはうなずいた。

〈まあ、そりゃそうだな。暮らしてかなきゃいけないもんな〉

「世知辛いですけどね」

〈でも、和泉さんは、余力がある時に助けてって言われたら、助けちゃうタイプだと思うよ?〉

それは……まあ、そうかも……。でも、余力の問題を置いておいても、俺、別に万能じゃないしなあ。

「うーん……まあ、できる範囲のことはしたいと思いますが……私ができる範囲のことがそもそも大したことじゃないんで……」

〈和泉さんは結構できる人だって。あと、なんていうか、世の中親とうまく行かない人わりといるんだな、って知る入口になる人がいるだけで、助かる人間がいると思うんだよね〉

「そういうもんですか?」

〈そういうもんだよ〉

まあ、萌木さんの助けにはなれたんだろうな、俺は。

その後、萌木さんに改めてお礼を言われて打ち合わせを終えた。いいって言ったんだけど、今度お礼に博多名物を送ってくれるらしい。

打ち合わせ画面に映らないように、台所で作業していた千歳(女子大生のすがた)が顔を出した。

『おい、なんかうまく行ったみたいだな? でも、ワシ聞いててよかったのか?』

「萌木さん、今日は気にしてなかったみたいだし、いいんじゃない?」

『博多名物ってなんだろうな?』

「なんだろうね、明太子とか食べたいけど」

『じゃあ、明太子がいいって言っとけよ』

「うーん……もしリクエスト聞かれたら言っておくよ」

お礼もらえるのは嬉しいけど、これくれって即言えるほどの間柄でもないからな。千歳みたいに愛嬌があるとか、甘えるのがうまい人間ならできるかもしれないけど、俺そういうのあんまりうまく出来ないからな……。

積極的に人と親しくなろうとするのをずっとやってこなかった。友だちらしい友だちはいない。千歳が来るまで親しく話す人はほとんどいなくて……。

しょうもないなあ俺、でも二十九歳で新しく友だち作るのも難しいしなあ。

『午後もうひと踏ん張りだろ、ちゃんと食べろよ』

「ありがとう」

千歳が作ってくれた具沢山サンドイッチと野菜スープを食べて、インスタントコーヒーで食後の眠気を飛ばす。そうだよ、千歳のためにも狭山さんとの打ち合わせがんばんなきゃだよ。

でも、漢方と言っても何聞かれるか予測つかないんだよな。一応、基礎的なことならそらで説明できるし、入門向けの本もいくつかリストアップしてるけど、小説のネタになるのかどうかよくわからないし。

打ち合わせ予定のZoomのアドレスを早めに開いて待機していると、時間になってすぐ、狭山さんからアクセスがあった。画面に狭山さんが映る。

〈あ、こんにちは、聞こえます? 普段Zoom使わなくてよく分からなくて〉

「大丈夫ですよ、こんにちは」

お互い頭を下げ合う。

〈すみません、猫、部屋の外に出してあるんですけど、うちの猫ドア開けられるんで、もし乱入してきたらごめんなさい〉

「あ、いいえ、大丈夫ですよ、いつもTwitterにあげてるクーちゃんですか?」

〈そうですそうです〉

狭山さんの声にかぶって〈なおーん!!〉と聞こえてきて、俺は思わず笑ってしまった。

「じゃあ、クーちゃんに早くしてって言われてますし始めましょうか。でも、小説のネタになる漢方ネタっていうのがこちらもピンとこなくてですね、どういう物がいいですか?」

〈えーとですね、まずどういう話とキャラにするかってところから説明させてください〉

狭山さんの説明によると、新作の仮タイトルは「唐和開港綺譚」。文化風俗的に唐と明治の日本を足して割ったような異世界の国で、西洋からの船が入ってくる港町が舞台。西洋から入ってきた医学と従来の医学、漢方が手を取り合って進む感じの話を書きたいんだそうだ。

〈原稿の追い込みの時、片頭痛ひどかったんですけど、漢方薬がやたら効いてですね。すっごく苦くてまずい薬って言われたんですけど、僕はそんなにまずく感じなくて。漢方薬って体質に合うとおいしく感じるって聞いて、面白いなと思って、書きたくなったんですよね〉

片頭痛に出される、苦い漢方薬か。

「呉茱萸湯ですか?」

狭山さんは目を見開いた。

「え、なんで分かるんですか!?」

驚かせてしまった。呉茱萸湯程度なら、多少漢方かじってればすぐわかるんだけど、漢方ってちゃんとかじってる人意外と少ないからな……。

俺は解説した。

「いや、片頭痛って言ってすぐ病院で出る漢方薬って、呉茱萸湯か五苓散なんですよ。それで苦い薬なら、まあ呉茱萸湯だなって」

「へえー……」

狭山さんは大変に感心した顔をしている。

〈あの、小説のネタに使えそうだし、普通に興味あるので、もう少しその辺聞いてもいいですか?〉

「いや、別に大したことでは……。本当は、病名だけで漢方薬使うのあんまりよくないんですけどね。漢方薬ってその人の体質と症状見極めて出すものですから」

でも、この考えは割と中医学寄りなんだよな。

「なんていうか、難しくてですね。漢方って大昔に日本に入ってきた中国の医学が独自進化を遂げたもので、中国でそのまま進化したのが中医学なんですけど、中医学は弁証論治って言って体質と症状を見極めて漢方薬出して、でも漢方は古典に基づいて病名で漢方薬選ぶ傾向が強くて。別に後者でも、うまい人はうまく選ぶんですけど、西洋医学の病名で漢方薬を機械的に選ぶの、体質と症状の見極めが全然できてないから、本当はあんまりよくないんですよね」

言い終えてから、俺はちょっと後悔した。最近、漢方の仕事多くて自分のブレーキがゆるくなってて、めちゃくちゃ喋っちゃった。いくら詳しい話でも、相手がついていけてなかったらただのオタク話なんだよな……。漢方の実態としてはあってると思うんだけど、単に俺が長話してるだけじゃだめじゃん……。

でも、狭山さんはかなり興味を示した顔つきだった。ついていけてない感じではない。よかった。

〈ということは、僕は運よく体質と症状に合ってたんですかね?〉

「そうですね、うまくハマったんだと思いますよ。狭山さん、もしかして普段、冷たい飲み物たくさん飲んでません?」

「え、何で分かるんですか!?」

ちょっと驚きと興味を引く話がいいのかなと思ってカマをかけたら、乗ってきてくれた。なんか嬉しい。

「あ、やっぱり飲んでるんですか」

〈水出しコーヒーに氷いれて飲みまくってますね……え、もしかしてよくないんですか、2/3はカフェインレスなんですけど〉

あー、それなら呉茱萸湯が効くはずだ。

「えーとですね、呉茱萸湯って、胃が冷えてて、なおかつ水が溜まってる時の片頭痛に使う薬なんですよ。カフェインは関係なくて、冷えてるのと水分過多なのがよくないんです」

〈へえ……あ、じゃ、さっき言ってたゴレイサンっていうのは、もしかしてまた別なんですか?〉

「そうですね。同じ症状でも出す薬違うのってよくあって、同病異治って言うんですよ。五苓散も片頭痛によく出されるんですけど、これは漢方的に言うと全身の水の巡りを良くする薬で、西洋医学的に言うと体組織の余分な水分を血中に吸収する薬なんです。だから、脳のむくみとか、頭に水が溜まっての片頭痛に効きます」

〈へえー……〉

「五苓散は、他にも体の水分が偏っての頭痛……二日酔いの頭痛とか低気圧頭痛とかに使いますね」

〈え、二日酔いの頭痛ってそういうのなんですか!?〉

「全部とはいいませんが、けっこうそうですよ。あ、二日酔いにアルピタンとか低気圧頭痛にテイラックとかありますけど、全部五苓散です」

〈そうなんですか!?〉

「パッケージの裏側に小さく書いてありますよ。製薬会社的には、五苓散って言う、何に使うんだかパッとわからない名前より、何に使うかすぐわかる名前付けてそれで売り出す方がいいんだと思います」

〈なるほど……〉

狭山さんは腕を組んだ。

〈うーん、そういう話すごくよくて、もっと聞きたいんですけど、ちゃんと叩き台を作った上でそういう話もらったほうがいいですよね……〉

「まあ、その方が効率いいと思いますよ。今お話ししたようなこと、文章にしてお渡しするのもできますし、文のほうが狭山さんは早くインプットできると思いますし」

狭山さんは書くのが仕事で、読むのも多分すごくしていて、さらにTwitter廃人となると、現代の活字中毒者だ。絶対、聞くより読む方が早い。

狭山さんは、逡巡するような表情になった。

〈あの、実は、もうひとつちょっと悩んでることがあって……でもなんて言っていいかどうか分からなくて……〉

「そうなんですか?」

顔合わせて会話しないと出てこないこと、割

とある。言語化って意外と難しい。

〈その……その、これは本当に申し訳ないと思うんですけど、考えれば考える程ぴったりで、今お話聞いてたらもうハマりまくりで、もうそれ以外考えられなくて……〉

「はあ」

話が見えないな。うーん、もしかして、言語化できてないわけじゃなくて、言語化できてるけど口にするのをためらってる?

狭山さんは、なぜか苦渋の顔で話し続けた。

〈和泉さん、漢方にすごく詳しくて、正確な知識をわかりやすくでも理知的に話してくれるところとかすごくよくて〉

「はあ……」

〈だからこう、他のところも全部理想的で、頼んでよかったんですけど、やっていいことと悪いことがあるし〉

「はあ」

なんか褒められたけど、やりたいこと頭の中にできてるなら言ってくれないかな。やりたいことが無理なことでも、対面だし、俺のできることに合わせてすり合わせとか妥協点探りとか、やりやすいしさ。

「あの、狭山さん。私は、やりたいこと言っていただければそれに合わせて叩き台作りますし、やりたいことが無理そうなことでも妥協点探す作業やります。でも、やりたいことちゃんとあるなら、それをちゃんと言っていただけないと、私が努力してもご満足いただけない出来になる可能性が高いですよ」

〈う……〉

狭山さんは、痛いところを突かれたように黙った。

〈あの……やりたいことは、その、はっきりしてて、和泉さんとお話してもっとはっきりしたんですけど……〉

狭山さんは、ものすごく困り顔である。そんなに大変なことなのかな?

「言うだけ言ってみてください、できるだけのことはしますから」 

俺がそう促すと、狭山さんは、それでもしばらく悩んでから、懺悔するような口調でこう言った。

〈あの、本当にすみません、和泉さんのことを、漢方に詳しいキャラの、ダブル主人公の片方の、モデルにさせていただけないでしょうか……〉

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