事情はちゃんと聞いときたい 下

緑、という名前に聞き覚えがあった。千歳がバラバラになったとき、俺が行く先に何度か、「緑さん」と呼ばれてた女性がいたような。あの時はあまりにバタバタ過ぎて、あいさつする機会もなかったが。

「ええと、緑さんって名前は聞いた覚えがあるんですが、朝霧家の人だったんですか?」

しかも、金谷さんの上司?

金谷さんはうなずいた。

「はい、千歳さんを集める時、私に先行して実働部隊にいました。あの時にちゃんとご紹介できなくて、申し訳ありません」

「あ、いえ、それどころじゃありませんでしたから……」

俺は、気にしないでほしいと言う意味を込めて、片手を胸の前で振った。金谷さんは言葉を続けた。

「力の強さと経験で言えば、千歳さんくらいの怨霊には朝霧緑が対応すべきなんです。でも、千歳さんとのファーストコンタクトが私だったのと、私の接触で千歳さんが特に暴れない実績ができちゃったのと、朝霧家の者が接触したら千歳さんが怒りで暴れだすんじゃないかと懸念があって、私や南さんが千歳さんとの接触を主にやることになりまして……朝霧緑は千歳さんとの接触を避けてます。間接的には、千歳さん関連ですごく動いてるんですが」

そ、そんなことが。

「えっと、千歳は別にそんな、朝霧家の人でも気にしないと思いますけど」

「私も割とそう思ってますけど、実際問題として、千歳さんは朝霧香駿の接触ですごく怒りましたし、朝霧緑が千歳さんに接触しない判断をしたのは、千歳さんがバラバラになる前で、朝霧家や上島家の人に対してお礼してくださる前なんです」

「あー、まあ、そう言われると確かに……」

千歳にもいろいろあって、少しずつ状況は変化しているけれど、金谷さんたちが千歳のことを知った当初の情報から判断したとしたら、妥当かもしれない。

金谷さんは続けた。

「朝霧緑が千歳さんと会って、もし何かあっても誰も責任取れないので、これからも多分接触は避けます。和泉さまには、千歳さんが私の上司に思い当たっても、なるべく気にしないように、うまく気をそらしていただけるとありがたいです」

「はあ……」

千歳は気にしないと思うけど、もし何かあった時、責任取れる人いないと言われると、こちらは何も言いようがない。

司さんが補足するように言った。

「朝霧緑は朝霧家の千歳さん静観派でして、千歳さん打倒派をできるだけ抑えてたんです。まあ、本家の当主が飛び出していくのは流石に抑えられなかったんですが」

「なるほど……」

「千歳さん打倒派は、今はおとなしいですが、諦めたわけではないので、朝霧緑は今も静観派として動いています」

「ええと、それは、私としてはとてもありがたいです」

少なくとも、俺と千歳が平和に暮らしていたらそれを支持してくれるわけだし、俺の敵か味方かで言えば、味方と言える人だ。ずっと味方でいてほしい。

「えっと、その朝霧緑さんについて、もう少しお聞きしてもいいですか? 心霊的なことに強くて、朝霧家で動ける人だけど、流石に朝霧家のトップを抑えるのは無理、くらいの人なんですか?」

味方してくれる人なら、引き続き味方でいて欲しいし、そのためには、その人のことをもう少し知りたい。

金谷さんが答えた。

「えっと、朝霧家の分家の人で、素質が見込まれて朝霧本家に嫁入りした人なんです。素質で言えば日本トップクラスなんですけど、本家の当主もそうなので、そうなると当主のほうが長く生きてる分、発言力高くて」

「あー、それは、そうなりますね……」

なんか、心霊業界の人たちは家制度が強そうだし、そりゃ嫁入りした女の人より舅のほうが発言力強いだろうな。いや、舅なのかな? なんか結婚が早い業界みたいだし、もしかして朝霧香駿さんの孫世代?

「えっと、朝霧緑さんってお幾つくらい……あ、いや、はっきり年齢知りたいわけじゃなくて、朝霧香駿さんの息子さんの奥さんなのか、お孫さんの奥さんなのか、よく分からなくてですね」

「あ、ええと、孫の奥さんです。歳は今年で四十歳ですね」

俺はびっくりした。

「え、孫で!? 朝霧香駿さんってそんな年行ってるんですか!?」

サイクル早くない!? いくら結婚が早いって言っても、朝霧香駿さんそんなにヨボヨボじゃなかったぞ!?

茂さんが、かなり苦が入った苦笑をした。

「朝霧香駿は、あれで八十代です。歳の割に元気ですけどね、いつまで元気かわからないと思って暴走したところがあります」

「そ、そうですか……」

司さんが言った。

「話を戻しますけれど。そういう訳で、朝霧緑は千歳さん静観派ですし、和泉さまのために動いてきた人ですが、これまで和泉さまに直接お会いすることはできなくて、これからも難しくて……千歳さんにも、なるべく朝霧緑の存在を内緒にしていただきたいんです」

金谷さんが申し訳無さそうに言う。

「朝霧緑は、和泉さんだけにお会いするなら全然問題ありませんし、立場的に朝霧緑は和泉さんに一度ちゃんとご挨拶すべきなんですけど、和泉さんとだけお会いする機会がなかなかとれなくて……本当は今日がいい機会だったんですけど、遠方の難しい除霊と被ってしまいまして……」

そりゃ、昨日の今日じゃ予定合わないよな。

「いえ、別に全然大丈夫です、そういう方がいるって教えていただけるだけで、助かります」

すると、牡丹さんが少し気づかわしげな目を金谷さんに向けた。

「一応、あのことも話しておく?」

「あ、そっか。うーん……いくらでも話してくれって言われてるけど……どうしようかな……」

金谷さん母子は、向き合って何やら悩んでいる。何だ? 

茂さんと司さんも、金谷さんに声をかけた。

「朝霧家の現在の事情として、知っておいてもらってもいいんじゃないか?」

「まあ、千歳さんとは直接関係ないけど」

何だろう?

俺も口を開いた。

「あの、気になるので、差し支えなければお聞かせ願いたいのですが」

「あ、はい……」

金谷さんは俺に向き直った。

「あのですね、今、朝霧家、後継ぎが出来なくてかなり揉めてるんです。直接的には、朝霧緑が病気で子供できなくなっちゃったからなんですけど……。朝霧緑からしたら、病気になる前に十年ずっと妊活して不妊治療もたくさんして、自分は医学的になんの問題もなかったから、問題があるのは夫だって言ってて」

おい、いきなりすごい話来たな。

「それは……なんというか、大変そうではありますが……」

すごい話すぎて、いい返答が思い浮かばないんだけど。確かに千歳と直接関係はなさそうだけど。

牡丹さんがため息をついた。

「事実だけ並べると、朝霧緑に分があるんですよ。医学的にはなんの問題もなくて、お医者さんには旦那さんの検査をって何回も言われたそうなんですけど、旦那の朝霧春太郎は断固として検査を受けなくて。不妊治療には人工授精もありますけど、そのための精子提供も、精子の検査があるからって絶対にやらなくて。朝霧春太郎は、外にも女性をたくさん作ってて、朝霧本家的にはもう外でもいいから子ども作れってなってたんですが、一人も妊娠してないんです」

う、うわー……。

「な、なんというか……旦那さんが全面的に悪く聞こえるんですが……」

金谷さんがため息をついた。

「もっと悪く聞こえること言いましょうか? 朝霧緑は、子宮頸がんで妊娠できなくなったんですけど、子宮頸がんってウイルスの感染でなるもので、ウイルスの感染経路が多分、朝霧春太郎です」

う、うわー!

「いや、その、朝霧緑さんが相当気の毒なのはわかるんですけど、そこまで私聞いていいんでしょうか?」

こんなドロドロの話、聞いて何になるんだ?

牡丹さんが申し訳無さそうに言った。

「朝霧緑自身が、なるべく広めてくれって言ってまして……。それでですね、本人はずっと我慢してたんですけど、がんになった時に事情をぶちまけまして。で、他の女の人を朝霧家の犠牲にしたくないから、朝霧春太郎が精子の検査をするまで絶対に離婚しないし養子も認めない、ってやってて、朝霧春太郎は絶対に検査しない、自分に問題はないってやってるんで、十年くらい、ずっと朝霧家の跡取りについて揉めてるんです」

司さんが話を引き取った。

「そんなわけで、朝霧家全体にかなりストレスがかかってるので、あんまり合理的じゃないことを千歳さんにする可能性もありまして……基本的には、朝霧家の者は千歳さんに接触しない申し合わせになってますが」

あ、そこに話が繋がるのか。じゃあ、朝霧香駿さんも、跡取りがいないわ、老い先短いわ、で暴走しちゃった部分があるのかな?

金谷さんが言った。

「千歳さんと直接関係はないんですが、その、千歳さんの核が生まれた朝霧家はそんな感じで揉めてますってことは、和泉様に知っていただいてもいいかと思いまして。何もない方がいいですが、何かありそうな時、説明が早いので……」

「はあ……」

うん、まあ、理屈としては通ってるけど、すごい話聞いちゃったな。朝霧緑さんがかわいそうということしかわからない。俺と千歳の味方でいてほしいから、人となりを知りたかったけど、衝撃強すぎて、もう他に何聞いていいか分からないや。

あ、いや、それでも気になることはある。

「その、朝霧緑さんは、今はもうお元気なんですか?」

「あ、はい、病気は十年前ですし、転移もありませんでしたし、今はすごく元気です」

「それなら、よかったですけど」

味方でも、病気で動けないとかだと頼りにくいしな。元気なら、とりあえずいいや。

えーと、すると、俺がしておくべきは、今日の話を覚えておくことと、あと、千歳が金谷さんの上司に考えが及んだらなんとかして話を逸らすこと……。あ、でも、どうしよう。

「あの、すみません、千歳に今日何教わったか聞かれたらうまくごまかせないですし、下手したら金谷さんの上司について話が行っちゃうかもしれないので、なんでもいいので適当に、千歳は知ってそうだけど私は知らなさそうなことも教えてもらえませんか? もともと、そういう話をお聞きするということだったので」

金谷家一同は、はっとした顔になった。金谷さんが悩み始め、牡丹さんと司さんも考える顔になる。

「そうですね……何かごまかす話題があったほうがいいですよね」

「うーん、割といろいろあるんですが、すぐにいいのが出ませんね……」

茂さんが言った。

「ええと、機会を見て、おいおいそういうこともご説明したいですが、とりあえずのごまかしなら、昨日出た五葷や潔斎の話でいいんじゃありませんか?」

「あ、じゃあそれでお願いします」

俺がうなずくと、茂さんと金谷さんが交互に話してくれた。

潔斎では五葷や獣肉を避けるわけだが、これには実用的な意味もあるそうだ。五葷や獣肉を食べると、霊感の素質が減弱してしまう人が多いらしい。

金谷さんがため息をついた。

「私、五葷を摂ると「そういう」力が七割くらいになっちゃうんです。獣肉は問題ないんですけど。だから、五葷が特にダメなんです」

「へえ、そうなんですか」

「私はまだマシで、NGな物を食べるとしばらく力がゼロになっちゃう人も珍しくないんですよね。南さんとか狭山さんは、何食べても全然平気なんですけども」

茂さんが言う。

「個人差がかなりありましてね。そこを押さえて食事が作れる人の手配にも、私たちは関わっています」

なるほど、金谷家は食事押さえてるのか。生活に欠かせなくて霊感にも関わることを押さえてるなら、そりゃ金谷家は霊感そんなじゃなくても、心霊業界で存在感あるだろうな。

金谷さんが続けた。

「仕事の遂行力に関わりますし、宗教的な意味合いもあるので、実働部隊の人は、基本的に仕事の時、五葷と獣肉がだめです。仏教系の人だと、生臭すべてと五葷がだめなこともあります」

「じゃあ、本当に精進料理みたいなのしかダメとか?」

「そうですね。あと、これは宗教的な意味合いがほとんどですが、仕事の日はアルコール飲むのダメですし、カフェインも実はあんまり推奨されてません」

「え、飲むものも、かなり制限されません?」

「はい、厳しいところは大変です。私の働いてるところは、カフェインに関してはゆるゆるですけど」

そんな感じで、ダミーの話題も仕入れ、俺は割と疲れて帰宅した。


千歳が星野さんにもらったネギとニラで作ったお昼を食べながら、俺は、千歳(幼児のすがた)に金谷安吉さんの面食いの件について話した。

『へー、そうだったのか、割とかわいい顔の女で行ってよかった』

「イケメンでも大丈夫だってよ、美形なら男でもいいんだって」

『節操がないな……いや、でもある意味、筋通ってるのか?』

千歳はニラもやし炒めをほおばり、首を傾げた。

『でも、その割に帰り遅かったな。他に何教えてもらったんだ?』

来たよ! ダミー話題仕入れといてよかった!

「えーと、五葷とか獣肉で、霊感がダメになるとか教えてもらった」

問題のない話題だし、ごまかしたかったので、俺は聞いたことを詳しく話した。

千歳は訳知り顔でうなずいた。

『あー、ダメな奴はダメなんだよな。ていうか、金谷あかりのダメなもの、そんなにバラしていいのか?』

千歳は難しい顔である。ある程度真剣に懸念している表情だ。

「え? どういうこと?」

俺は、よく分からなくて尋ねた。

『だってさ、「そういう」素質を弱くする食べ物が悪いやつに知られたら、それ使って一服盛られるとかあるだろ、家同士の争いとかで』

俺は、一瞬ぽかんとした。え、そんな、霊感のある家同士で心霊対戦みたいなことあるの!?

「え、え、心霊業界って、そんな殺伐としてるの!?」

千歳は腕組みして首を傾げた。

『うーん、どこもそうってわけじゃないが、仲悪いところは悪いし、ワシの核が生きてた頃は、ダメな食べ物はなるべく秘密にしてた。あ、でも、ワシが知ってる仲悪い家同士は上島紗絵の覚えてるのが一番新しいから、今は違うのかもしれん』

「そ、そう……」

うーん、そうか、なら、金谷さんが五葷に弱いことは言いふらさないでおこう……。

金谷さんは、俺と千歳の味方をしてくれてきた人だし、味方の弱点を広めるようなことは、しないほうが絶対いいな。

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