番外編 鹿沼もみじの現況 下

画面には、優しそうな顔の青年と、彼の胴体にぐるぐる巻き付いて憤懣やるかたない顔をした真っ黒い怨霊が映っていた。

「こんにちは。お茶おごるって言ってたのに、おごれなくてごめんね」

「こ、こんにちは」

穏やかに話す和泉さんと対象的に、怨霊はものすごく怒っていた。

『こいつがどうしてもっていうから通話だけ許したんだぞ! こいつにまた手ぇ出したら絶対に許さないからな!』

私が明らかにビビった顔をすると、和泉さんは怨霊の肩らしきところをとりなすようにぽんぽん叩いた。

「千歳、威嚇しない。心配ないから。ごめんね、鹿沼さん」

「あ、はい、今、私、幽体離脱とかできないです……」

体がしっかりしてきてから、意識が体から離れることはなくなった。でも、私はものすごく悪霊になる素質があるそうだから、南さんが言うには周りが気をつけなきゃいけないんだそうだ。

和泉さんは怨霊に言った。

「千歳、大丈夫だってわかったら、悪いけど席外してほしいんだ。鹿沼さん、聞かれたくない話もあるかもしれないからさ」

『やだ』

怨霊はふくれた。

「そこをなんとか! あ、そうだ、話聞かないでくれればいいから、しっぽだけ俺に巻き付いて、本体は隣の部屋に行くとか!」

『……じゃあ和室で服整理してるけど、何かあったら大声出せよ!』

和泉さんの胴体には黒いものが巻き付いたままだったが、怨霊本体は画面から消えて、ふすまを開け締めするような音がした。

「ごめんね、バタバタして」

和泉さんは頭を下げた。

「あ、いえ、大丈夫です」

「そう? 鹿沼さんちの大体の事情は南さんから聞いたけど……つらかったね。大変だったね」

「…………」

そう言われて、思いがけず鼻の奥がツンとした。お母さんがおかしくなって、おかしいって言いたかったけど怒られるのが怖かったし、私を思ってのことだし、何も言えなくて、お父さんも頼れなくて、でも体の調子はずっと悪くて、そういう状態は、確かにつらかった。大変だった。

和泉さんも似たような経験をしている人だ。だからそう言ってくれたんだろうけど、そういえば、誰もつらかったねって言ってくれなかった。大変だったねって言ってくれなかった。

私が泣き出したので、和泉さんはあわてたようだ。

「ご、ごめん、泣かせて……ティッシュある? 大丈夫?」

「す、すいません、大丈夫です……だれもそんなこと言ってくれなかったから……」

和泉さんと話す機会があって、よかったな。

泣き止んでから、お互いのことを話した。和泉さんのお母さんがおかしくなったのは、赤ちゃんの頃の和泉さんの成長が悪かったからで、和泉さんはずっとそのことを気にしているそうだ。

「でも、体重がなかなか増えないなんて、そんな生まれたての赤ちゃんのせいじゃないと思います」

「そうだね、他の人に言われるとそう思うんだけどね、自分だと気になっちゃうんだよね……。俺、子供の頃、母親の手先になってママ友をアロマに勧誘して、友達無くしたしさ……」

和泉さんは、寂しそうに笑った。

私も近況を話した。お母さんは和泉さんの暴露のおかげで、今はかなり和泉和漢薬から気持ちが離れてるらしいこと。けれど、何かを強烈に信奉してイキイキしてた人だから、また変なのにハマるかもしれなくて、不安だということ。

和泉さんは、それを聞いて言った。

「君くらいの年の子に言うのは残酷だと思うけど、君のお母さんはそういう人で、今から変わるのは難しいと思うから、あんまり期待しない方がいい」

「…………。和泉さんは、どうなんですか?」

「俺は、母親を変えるのは諦めた。大学行った時から、ずっと連絡取ってない」

「…………」

私は、お母さんに目を覚ましてほしいし、まともになって欲しい。

和泉さんは言い直した。

「あのね、俺が言いたいのは、君が一緒にいて楽しい人は、世の中にたくさんいるってこと。変わらない君のお母さんを変えようとし続けるより、そういう人を探した方がいい」

「でも、私、学校すごく休んでて、友達いないです」

下手すると、中学一年生をもう一度やるかもしれないレベルに休んでる。部活だって入れてない。小学校の頃の友達はいるけど、中学で新しく友達作ってると思う。

「大丈夫、作ろうと思えば作れるよ、自分から探せば、たくさん作れる」

「そんなに簡単ですか?」

「簡単とは言わないけど、自分から探せば絶対に作れるよ、たくさん。俺なんてね、親のことで自分に友達作る資格ないなと思って、自分から友達作るのやめてたけど、それでも一緒にいて楽しい人、できたからね」

和泉さんは笑った。てらいのない笑顔だった。

「まあ、鹿沼さんのお母さんがまた変にならなかったらそれが一番ではあるよね。俺から言えることは、公的なサイトの言う事や、査読付き論文をまず信じてくださいってことかな」

「査読付き論文?」

私は首を傾げた。和泉さんは説明してくれた。

「簡単に言うと、その論文がちゃんとした研究のもと書かれてるかどうか、第三者が検証して保証した論文ってこと。そんな論文は大体が英語だけど、今はGoogle翻訳あれば意味は取れるしさ。査読付き論文の言ってることなら、そう無茶苦茶ではないはずだから」

「どこで読めるんですか?」

「各研究誌のサイトとかだけど、楽に探すならまあ、GoogleScholarかな。論文をググれるGoogleの検索サイト。査読付きかどうかは、その論文が載った研究誌のサイトにだいたい書いてある」

「へえー……。でも、難しそうです」

「でも、多少は読み応えある方が鹿沼さんのお母さんの注意そらせない?」

「それは、そうですね」

私は深くうなずいた。

「鹿沼さんも、調べ方覚えとくと勉強に役立つと思うよ、自由研究とかのいいネタが拾えるから」

「Googleスカラーって、スマホでも使えますか?」

「使えるよ、翻訳も使える」

「じゃあ、私が使い方覚えて、お母さんに教えて誘導します」

「そうだね、それがいい」

和泉さんは大きくうなずいた。

「和泉さん、なんでそんなのに詳しいんですか?」

「大学で教わるよ。理系だと、特によくやる」

私は少し考えた。理系、興味あるんだよね。

「私、バイオテクノロジーとか興味あるんですけど、生物学って就職できますかね?」

「今から就職のこと考えるって、手堅いな」

和泉さんは苦笑した。

「生物学部はやること次第で就職困らないと思うけど、バイオテクノロジー関係なら農学部もいいかもね」

「そうなんですか?」

農学部? 土いじりは得意じゃないんだけどな。

「俺、進路探すときにいろいろ調べたけど、生物資源とか応用生物科学って感じの講義多いよ、農学部は。バイオテクノロジーの最先端言ってる大学もあるし」

「へえー!」

それから、いろいろ話して、進路相談にも乗ってもらってしまった。和泉さんは塾講師のバイトをしてたことがあるんだって。

最後に、LINEでまたやり取りすることを約束した。

「今日、和泉さんとお話できてよかったです!」

「俺も、話せてよかったよ。困ったことがあったら相談に乗るから、いつでも連絡して」

「ありがとうございます!」

私は、ふと思いついて、聞いた。

「あの、和泉さん、一緒にいて楽しい人ができたって言ってたじゃないですか」

「うん」

「それ、今一緒にいる怨霊さんですか?」

和泉さんは、照れたように笑った。

「……千歳には、内緒にして」

「聞こえてるんじゃないですか?」

「大丈夫、うちの部屋、結構防音いいから」

そうか、和泉さんは、いろいろあったけど、今は、一緒にいて楽しい人と仲良くやってるんだ。

じゃあ、私も、一緒にいて楽しい人、できるかな?

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