あなたにお礼を遺したい
夢の世界に行くという非日常を体験した割に、特に何事もなく目が覚めた。怨霊(女子大生のすがた)(命名:千歳)はもう起きて朝ごはんの支度をしていた。
『お、起きたか、寝癖すごいぞ』
「あー、昨日頭乾かさないで寝たからな……おはよう、夕べは本当にありがとうね」
起きて、布団をはいで立ち上がろうとしたが、布団をつかもうとした手が空を切った。あれ?
なんだかおかしい。右手を見つめながらグーパーしてみる。なんか、動かしたいタイミングと実際に動くタイミングがズレるような……。
『あ、なんか体おかしいか? 夢の中で動きすぎたな』
台所から千歳がやってきた。
「え、夢の中に行ったせいなの?」
『なんていうか、夢の中だと意識だけで動くから、現実に帰るとしばらく意識と体がブレるんだよな。今日は大人しくしてろ、意識に体がついてかないから。ラジオ体操も散歩も休め』
「お祖母ちゃんもこんなになる?」
『それはない、お祖母さんは他人の夢の世界まで移動してないから』
「そっか、ならいいけど……」
確かに、布団をはぐにも顔を洗うにも、かなり慎重にやらないとうまく行かない。いや、慎重にやってもあんまり上手く行かず、洗顔でものすごく胸元を濡らしてしまった。朝ごはんの箸使いも同様だった。
『おい、ちゃんと食べられるか?』
「えーと、ゆっくりなら……」
箸でつまむのが微妙にうまく行かないし、つまめても半分は顔から迎えに行かないとうまく食べられない。やってるうちに少しずつ慣れてきてる気はするが、この体たらくで仕事しても、多分ミスタイプがひどいだろうな……。
お祖母ちゃんに非接触で会いたくても、夢をつなぐのは最後の手段だな。千歳も大変だろうし、いつでも頼めるものじゃない。
朝ごはん後の食器洗いは千歳にお願いし、今の状態のパソコン操作に慣れるのも兼ねて、千歳にお礼のお菓子を探すことにした。実は、普段から千歳の喜びそうなお菓子情報は集めていて、Amazonや楽天で売っているようなものは非公開リストやお気に入りに入れている。その中から、スーパーやコンビニでなるべく売ってないものを探して……。
マウスを慎重に操作していくつか選び、カートに入れたところ、スマホが着信を示す震え方をした。昨日アドレス帳に入れた老人ホームからだった。
慌ててスマホを手にし、まだ微妙に体が意のままにならなくて取り落としそうになり、慎重に持ち直して電話に出る。
「もしもし!」
「もしもし、おはようございます、和泉豊様でしょうか?」
昨日聞いた、老人ホームの職員らしき人の声だ。
「はい! どうしましたか!? 祖母になにかありましたか!?」
俺は、食ってかかるように聞いてしまった。
「あの、お祖母様ですが、先ほど抗原検査で陰性が確認できました。コロナではありません、大丈夫です」
コロナじゃない。お祖母ちゃんはコロナにかかってない。
「本当ですか!?」
「はい、発熱から二十四時間以上たって検査したので、コロナなら陽性になっているはずです。あの、お祖母様がお話したがっているので、変わりますね」
少し物音がして、昨日聞いたお祖母ちゃんの声がスマホから聞こえた。
「豊ちゃん?」
「お祖母ちゃん! 昨日の夢覚えてる!? 俺会いに行ったよ!」
「ああ、夢だけど夢じゃなかったのねえ、豊ちゃん元気なのねえ」
お祖母ちゃんのホッとしたような声が返ってきた。
「熱まだあるの? つらくない? 大丈夫?」
「下がったよ、老人ホームに引っ越す準備が大変だったから、引っ越せてホッとしたら熱が出たみたいねえ」
「そうだったんだ……」
じゃあ、老人ホームに移ったのはごく最近なのか。
「今回のことで、職員さんに勧められてねえ、コロナのワクチン打つことにしたのよ、二回目打てるかどうかわからないけど」
お祖母ちゃんはのんびり言う。
「うん、打ちなよ! 一回だけでも打たないより全然マシだよ、俺四回打って、今のところかかってないし」
そこまで言って、俺は思い出した。お祖母ちゃん、俺にお願いがあるって言ってたけど、何だ?
「あの、お祖母ちゃん。夢でさ、俺にお願いあるって言ってたけど、どんなお願いが聞いてもいい?」
「ああ、ええとね、おばあちゃんがもらったおじいちゃんの貯金、おばあちゃんがいなくなったら全部豊ちゃんにもらってほしいのよ」
「え」
「法律通りだとね、おばあちゃんがいなくなったら全部お父さんに行くの。でも、直筆の遺言をしっかり残してあれば相続人の指定ができるのよ。ここの老人ホームにね、元行政書士の人がいて、ちゃんと見てもらったから大丈夫よ」
お祖母ちゃんは、何でもないことのように言う。俺は心臓が痛くなった。
「でも、そんな、ずっと先のことだよ」
「……お父さん達はね、お金に困ってないし、豊ちゃんがもらってくれたほうがいいのよ。まあ、おばあちゃんが老人ホームで長生きしちゃったら、全部使い切っちゃうかもしれないけどねえ」
笑いを含んだ声でお祖母ちゃんは言った。
「使い切っていいよ、もし足りなくなっても俺援助とか、できるだけするし」
「ありがとうねえ、気持ちだけで嬉しいわ」
「コロナの感染が減ったら直接面会できないかな、後で職員さんに聞いてもいい?」
「ああ、職員さんそこにいるから、変わるねえ。また電話していい?」
「いつでも! 待ってるよ」
老人ホームの職員に変わり、面会の可能性を聞いてみたら、コロナ感染が減ったら十分な感染防護の上で面会を検討しなくもないとのことだったが、LINEビデオのリモート面会なら事前に予約しておけばできると伝えられた。じゃあ、次はそれを頼もう。
電話を切り、俺は洗濯物を干していた千歳(女子中学生のすがた)に言った。
「お祖母ちゃん陰性だった、コロナじゃなかった! 大丈夫だって!」
『聞いてたぞ、よかったな』
「いやあ、騒いでごめんね、夢繋ぐまでしてもらったのに」
俺は頭をかいた。
『まあ、それはいいお菓子で不問にしてやろう』
千歳はニヤリと笑った。
「今注文します……」
俺はカートの中身を注文した。ついでに、気になったので相続の法律について軽く調べてみた。
誰かが亡くなると、その遺産は、配偶者がいれば配偶者に、配偶者がいなくても子供がいれば子供に、配偶者も子供もいなければ親にいくらしい。
じゃあ、俺がもし車にひかれたりして死んだら、俺のものは両親に行くのか。奨学金という名の借金は千歳のおかげでなくなったし、大した額じゃないとはいえ貯金のみが残る。家具家電も、リサイクルショップに出せばいくらかの金になるかもしれない。
でも、両親に渡るのは、嫌だな……。
貯金全額、あと、暮らしていくには困らない一揃えの家具や家電。もし自分がこの世を去らないといけないとしたら、そういうものをもらって欲しい人は……。
俺は、布団を干そうとしている千歳(ヤーさんのすがた)を見た。
『ん? どうした?』
「あ、ええと……お菓子、いろいろ頼んだよ。明日には来る」
『早いな! 何頼んだんだ?』
「それは届いてのお楽しみ」
『期待していいんだな?』
千歳はニコニコしながら布団を持ち上げた。
こういうことを相談するなら、行政書士を探せばいいんだろうか? まず南さんに相談して、伝手を探してもらおうか?
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