番外編 富貴静の視点 その2

別に、今さら彼に何をしたいとかはない。でも、私が今とても成功していること、そんな私についてこなかったのがどれだけ失敗だったかということを、見せつけてやりたかった。

持っている中で一番高級な車で乗り付けて、店まで来た。わざとすぐ店に入らず、車のそばで待って、あとから来た和泉くんに車を見せつけた。

和泉くんは、雰囲気は変わっていなかったけれど、もともと痩せていたのがもっと痩せている感じがしたし、なんだか、覇気や生気がない感じだった。でも、車を見ても私が期待するような反応をしなかったので、ちょっと気に触った。

とりあえず、私の方から声をかけた。

「久しぶり」

「あ、うん……久しぶり。富貴さんは元気そうでよかった」

「別に元気なくなるようなことないけど? おかげさまで、業績は至って好調だし」

「ああ、うん、仕事うまく行ってよかったけど、今はいつコロナかかってもおかしくないし、世の中理不尽なことはたくさんあるしさ」

和泉くんは微妙に居心地悪そうな顔をしているものの、ごく素直に私の今の状態をほめてくるし、息災を寿ぐようなことまで言ってくる。私はどう反応していいかわからなくて、店に先に入った。

「抗原検査キットの結果出るまで、飲食は無しね」

「わかった」

結果が出るまで十分間、微妙に手持ち無沙汰だったが、お互い陰性が出たので、改めて席に付き直した。

「バージンモヒートひとつ。和泉くんは?」

「えーと、モクテルは詳しくないから、おまかせで頼めるかな……レモンかライムのさっぱり系で、ノンアルコール頼めますか?」

「それなら私と同じのでよくない?」

「あ、それもモクテルなんだ? じゃあ同じの下さい」

飲み物と料理が来て、私は、お互いの近況報告の体で、和泉くんの近況をかなり突っ込んで聞いた。

「じゃあ何? 入った所、案の定ブラックで、三年もしないで退職?」

「まあそう、体ガッタガタだったから通勤する仕事に再就職が無理すぎて、ちょうどコロナ禍始まってリモート全盛だったから、家でできるWebライターで少しでも稼げないかって始めて、今なんとかそれで食べてる」

私は、鼻で笑ってやった。

「どうせ、ちゃんと働いたのに使い潰されて、手柄は全部他の人にかっさらわれたんでしょ?」

和泉くんは目を丸くした。

「よくわかったね、全部上司に持ってかれた」

「だって、和泉くん進んで人付き合いしないし自分から主張もあんまりしないんだもん。自分で努力しないで、でも自分の業績がほしい人はいくらでもいるんだから、いくらでも狙われるわよ」

「そっかー……まあ、そういう上司だったな……」

文化祭の実務を任せたときも、和泉くんは旗振り役と提案役に全部称賛をかっさらわれていた。本人は気にしていなかったけど。

本当に腹が立つ。実際に有能な者を評価しない世間にも、実際に有能な者を評価する私のところに来なかった彼にも。

思わず言ってしまった。

「私のところにいたら、正当に評価してあげたのに? ちゃんと働いて成果出した分だけお金と待遇で返してあげたのに? 変なプライドで、本当にバカよね、和泉くんは」

和泉くんは戸惑った顔になったが、やがて言った。

「あの、俺があの時、言葉足らずというか、誤解させる返事をしたのが悪いと思うけど。俺は、富貴さんがそういう所ちゃんとした人で、俺にとって、ものすごくいい話だったから、なおさら私的なパートナーにはなれなかったんだ」

「はい?」

「公的なパートナーというか、富貴さんの下で働かせてもらえるなら、働き続けたかったよ、いや、別に今さら雇ってほしいとか、そんなんでは全然ないんだけど」

話が見えない。今さら媚売って、私から利益を引き出そうという顔でもないし。

「……言葉足らずって、どういうこと?」

「ええと、俺の側の事情をちゃんと伝えられなかった感じ」

「事情って、何?」

「その……。俺、両親がだいぶアレな人で。当時、その両親がだいぶダメなやり方で荒稼ぎしてたんだけど、俺は、そんな風に稼いだ金で自分が育ったこと、すごく嫌だったんだ」

「それが、何の関係があるの?」

「なんというか……俺、ずっと自己嫌悪がすごくて。そんな金で育った俺が、幸せになっていいのかとか、誰かと一緒になったり子供作ったりしていいのかとか、そういう気持ちがすごくあって」

「………」

何? かなり重い話を聞いている気がするんだけど? 何? そんな重い事情があったなんて想定外なんだけど?

え? 幸せになったり子供を作ったりに拒否感があって、それで私とパートナーになれないって言ったってことは、私とパートナーになったら幸せになれると思っていたということ?

そういう意味では、和泉くんにとって、私の申し出は十分ありだったってこと?

和泉くんは言葉を繋いだ。

「だから、富貴さんに公私共にパートナーにって言われた時、どうしてもはいって言えなかった。仕事で富貴さんの役に立ち続けられるなら、それは嬉しかったけど、公私共に一緒になったら、俺も公私共に幸せになるから、それは、はいって言えなかった」

私の考えたことは、大体当たったらしかった。じゃあ、和泉くんは私に上に立たれるのが嫌とかそう言うのでは全然なく、自分が幸せになってしまうから私の申し出を拒否したということ?

……そんなのってないじゃない。自分から幸せを遠ざけるなんて、そんなのってないじゃない。

「何? じゃあ、和泉くん、自分から不幸に突き進みたかったわけ?」

私は、不機嫌を隠さずに聞いた。和泉くんは苦笑した。

「別に、そこまで言わないけど。この世の隅っこで、自分が食べてていい分だけ世間の役に立ったら、後は自分一人でひっそり暮らせればと思ってた。一人で終わるのが一番だと思ってた」

「…………」

和泉くん、人のために動くのは割とやるのに、進んで人付き合いしなくて、目立った自己主張もしないのは、まさか、そのせい?

そんな、親がダメな稼ぎ方してて、その親の金で育ったからって、自分から孤独死に突き進むことないじゃない、そんな、自分からそんな寂しい人生選ぶことないじゃない。

どう反応していいかわからなくて口ごもっていたが、和泉くんは、特に意に介していないようで、話を続けていた。

「まあ、だから、まとめるとさ。別にまた雇ってくれってわけじゃないけど、俺はあの時、富貴さんの下で働き続けたかったよ。俺がひねくれてて、富貴さんと一緒になって幸せになるっていうのができなかっただけで」

「…………」

私は。

私を選ばなかったことについて、彼にさんざん嫌味言ってやろうと思ったのに、ものすごく後悔させたかったのに、そんな事情があったなんて、そんなこと言われたら、当時、一方的にキレて話聞かなかった私が馬鹿みたいじゃない。

いや、馬鹿みたいなんじゃなくて馬鹿なんだと思う。そもそも、今になって彼を呼び出して、さんざん嫌み言ったり罵倒したりしても、何も得るところはないし。そうしないと気が収まらなかっただけで。

でも今の話を聞いて、私は完全に勘違いで怒ってたってわかって、何かする気は完全にしぼんでしまった。

私は、彼に聞いた。

「あの……」

「何?」

「今も、一人でいたいの? 幸せになりたいとは思えないの?」

「……え、えっと」

和泉くんの目がちょっと泳いだ。私は察するところがあった。そりゃ、私が欲しくなる男なら、他の女だってほっとかないよね。

「何よ、今はちゃんと大事な人いるんじゃない」

和泉くんはあわてた。

「いやその、彼女とかじゃないよ、そういうの悲しいくらいないよ、ただ、ここ何年か体きつすぎたから、幸せってほどじゃなくても辛いのは嫌だし、あと、今は同居人が世話焼いてくれるから、一人って感じでは全然ないなってだけ」

「同居人?」

ルームメイトでもいるんだろうか? まあ、生活苦しいなら、ルームシェアのほうが楽だけども。

和泉くんは説明を続けてくれた。

「えーと、いろいろあって、今年から同居してる感じの人がいてさ」

「男? 女?」

和泉くんは困った顔をした。

「……性別の概念があるかどうか、怪しい」

「どういうこと? LGBT的な人なの?」

「うーん、そういうくくりにも当てはまるかどうか……」

「どんな人なの?」

「えーと……。割と素直で明るくて、感情表現がわかりやすくて、甘いものとチョコミントが好きで……」

「いや、仕事とか、和泉くんとの関係とかのことよ」

「仕事は……その……不定期で神社からのお祓いとか除霊とか請け負っててて、でも普段は家にいるんで、俺から三食の料理作りや他の家事を頼んでる。家賃と基本の食費俺持ちで」

「ふーん、神社の関係者か何かの人なの?」

「そうじゃないけど、霊感とか心霊に強いんで、そういう業界に仕事頼まれてる人」

素直で明るくて甘いものが好きで、霊感があって除霊をしている人。性格や好みはともかく、Webライターとして働いていて知り合う人とは思えない。和泉くん、心霊現象に悩まされたことでもあったのだろうか?

「なんでそんな人と知り合ったの? 接点が見えないんだけど」

和泉くんは、さらに困った顔になった。

「ええと……うーんと……俺が道でコケて相手にぶつかって、それでキレた相手が家に怒鳴り込んできた感じ」

ケチなヤクザか当たり屋のやることなんだけど。

「そんな人と、どうして同居まで行ったの?」

「一言じゃ説明できないんだけど……俺があまりに金も体力もなさすぎたから、相手がどうしていいかわからなくなったのは、かなりある」

「どうしていいかわからなくなって、なんで同居になるのよ」

「なんていうか、俺に落とし前つけさせようとして、でも俺にあまりにもその能力がなかったもんで、世話して体よくして稼がせてやるから、早く落とし前つけろ、みたいな」

一応話はつながったけど、なんでそんなことになるのか。変わった人だ。

「怖いのか、面倒見がいいのか、わかんない人だわ」

和泉くんは笑った。

「全然怖くはないな、本当にいろいろしてくれるし。一人暮らしより二人暮らしのほうが楽だね、やっぱり」

「それはそうだけど」

「調子悪くして寝込んでる時だと、誰かいるありがたさが本当に沁みるよ。作ってもらえる料理も、いつもおいしいしさ」

和泉くんの表情が、今日見た中で一番柔らかい。

……彼女というわけでは全然なさそうだけど、今、少なくとも、彼は孤独を感じてはいないんだと思う。

「じゃあ、別に彼女ではないけど、和泉くんは今一人じゃないし、割と楽しいんだ?」

私がそう言うと、和泉くんは虚を突かれた顔になった。

「……そうだね。全然意識してなかったけど、楽しいし……幸せかもしれない」

そんなことを言われて、私はなんだかおかしくなった。重すぎる事情を話されて、深刻になってた私は何だったのよ。

「何それ、幸せになりたくないとか言っておいて、今幸せですはないでしょ」

和泉くんは照れくさそうな顔をした。

「いや、まあ確かにそうなんだけど。でも、幸せはない人生だろうなと思ってたら、その人と本当に偶然で知り合って、そしたら思いがけずうまくやれてる感じなんで」

「別に、和泉くんに不幸になってほしいとはもう思えないわよ。うまくやれてるなら、うまくやっててほしい」

「そう?」

なんだか、ほっとした気分になった。私がずっとわだかまっていたことは完全な誤解で、わだかまっていた相手も、今はそれなりに幸せにやれているのだ。

それなら、やることは一つ。私は、有能な人に仕事を頼みたい。

「あのさ、和泉くん今フリーランスなら、仕事頼んでもいいのよね? 男性用オールインワンのブランド発足がなんとか目処ついたから、宣伝用のWebコンテンツ頼めない?」

和泉くんに学生時代提案されたオールインワン化粧品については、ずっと取り組んでいた。世に出すのが遅くなったけど。

和泉くんは意外そうな顔になった。

「仕事はありがたいけど、今すぐ取りかかるのはちょっと無理だな。納期にもよるけど、先に契約した案件の方が優先だから」

私は、笑ってしまった。

「すぐの話じゃないけど。でも、和泉くん変わんないのねえ」

「え? 何が?」

「昔、私が初めて誘った時も、こういうのは先着順だから塾バイトが優先、先着順が一番公平、みたいなこと言ったじゃない」

「そういえばそうだね」

「まあ、私が産休入る前には全部納品してほしいけどね」

和泉くんは硬直した。

「え!? 産休って、今妊娠……え、結婚してたの!?」

私はあっさり答えた。

「精子バンク使ったわ、恋愛も結婚も面倒だし、どうせうまくいかないから」

「精子バンク!?」

「お金とコネがあれば、ちゃんとしたところ使えるのよ」

好きになるタイプの男と恋愛がうまくいかないことは早いうちからわかっていたし、夫にしてもいいタイプの男には断られたし、それ以降夫にしてもいいタイプの男には巡り合わなかったし。家事も育児も人に頼めるお金があるし、それなら、ある程度経歴と病歴がわかる男の精子だけもらうほうが、ずっと良かった。

和泉くんは、衝撃冷めやらぬようだった。

「ま、マジか……でもそういえば、富貴さんずっとモクテル飲んでたな……」

「そりゃお酒くらい控えるわよ」

「つわりとか平気なの?」

「運良く全然ないわ、お腹大きくなったらまた違うだろうけど」

その後は、和泉くんに妊婦生活について恐る恐る聞かれたり、私が社長業の愚痴を言ったり、和泉くんのWebライターの愚痴を聞いたりした。

いろいろあったけど、今、彼と和やかに話せて良かったと思う。

いい時間になって、店を出たら、和泉くんが声を上げた。

「あれ、千歳!?」

和泉が声をかけた方を見ると、和泉くんよりひと回りかふた周りは大きい、かなり迫力のある顔の男性が歩いてきていた。

『お、やっぱりこっちだったのか、もういいのか?』

「今日はこれで解散。どうしたの? スペアキー渡したよね?」

『いや、お前、行きにこっちの方向に入ってったから、ちょっとのぞいただけだ。タイミング合うとは思わなかった』

「そういうことか。あ、富貴さん、これが俺の同居人で、千歳」

「ああ……こんばんは、富貴です」

性別の概念がないなんていうから、中性的な感じの人を想像してたけど、バリバリ男じゃない。ていうか、この体格なら塩とか水とかお経とかじゃなくて、拳一発で除霊ができそう。

大きくて怖い顔の男性は、しかし表情は全然怖くなく、人懐っこく私に聞いてきた。

『こんばんは、あんた、今のこいつどうだ? アリか?』

「え?」

『こいつ、体悪いけど最近は調子いいし、怒鳴ったり殴ったりしなくておとなしいし、飯の好き嫌い少ないし、変な奴だけどまあまあいい奴だぞ? どうだ?』

「ちょっ、ちょっと千歳」

和泉くんが同居人を制するような動きをしたが、私は構わず聞き返した。

「どうって、男としてアリかってこと?」

『そうだ! あ、でもあんたなら、こいつが割といいやつだってことくらいは知ってるか?』

和泉くんは、相当あせって、両手で同居人をぎゅうぎゅう押して私の方から視線をそらせようとしていた。

「千歳、富貴さんとそういうのは全然ないから、そのうち一緒に仕事はするけどそういうのは全然ないから」

『なんだ、うまく行かなかったのか』

「お互いそういう気がないんだから、うまく行くも何もないんだよ」

この同居人は、私と和泉くんとで、何かあることを期待してたんだろうか?

和泉くんは、引き続き同居人を押しつつ、かなり強引に話を変えた。

「えーと、ほら、千歳、映画どうだった? キャラメルポップコーンおいしかっただろ?」

『うまかった! 映画もすごく面白くてかっこよかった! お前が言ってたカルディってところも、せまかったけど面白かったぞ! いろいろ買った!』

「よかったよかった、じゃ帰ろう」

和泉くんは、強引に同居人の話題をそらしつつ、強引に同居人の体を押して大通りの方角に向けようとしていた(体格差があるので、あまりうまく行っていない)。

和泉くんは、仕事には協力的だけど、私と性的にどうこうする気はないんだし、同居人に私との関係に茶々を入れられたくもないんだし、これは私の方から早くこの場を立ち去った方がいいんだろうな。

「じゃ、私はこれで。詳細また連絡するね」

和泉くんは同居人をぎゅうぎゅう押しながら返事した。

「わかった、あ、Webコンテンツ全般なら、俺に直接より、俺がつながってるグリーンライトって会社通してのほうが、いろいろサポート効くと思う」

「ああ、和泉くんの資料くれたところね。じゃあそうする」

私は停めてある自分の車に入ったが、和泉くんの同居人がなかなか強烈なキャラクターで気になったので、運転席からもう一度様子をうかがった。

同居人の男性は、手に下げていた紙袋から何か取り出して、得意気に和泉くんに見せていた。和泉くんは、同居人の話を聞きながら、ずいぶん優しそうに笑っていた。

……今、妊娠してなかったら、和泉くんにその気がなくても、私のほうがその気になったかもなあ。

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