番外編 富貴静の視点

そいつのことを、最初はただのコミュ障だと思って、次に意外と気が利く男だと思って、そのうち、かなりの掘り出し物だと思うようになった。

入学すぐの懇親会の時、そいつは進んで誰とも話さず、ずっと場の隅っこにいたから、よくいるコミュ障で人付き合いができない奴と思っていた。

でも、その後すぐの授業でグループ実験で一緒になった時、そいつはいい意味で相当他人を意識できることがわかった。他のメンバーの失態で増えた洗い物を自分から申し出てさっと後片付けしたり、周囲に目を配って人手が必要な所に先回りしたりしていたので。

「和泉くん、こういうの本当は得意なの?」

私が声をかけると、彼は意外そうな顔でこっちを見た。

「こういうのって? 実験のこと?」

「ううん、空気を読んで周りのために動く感じのこと」

「いや、別に得意ってわけじゃないけど……あ、でも、小さい頃、いろんな集まりに親に連れ出されて、そこでその集まりの期待どおりに動くことはよくあったから、慣れてはいるかも」

「ふーん」

自分からは人と接しないのに、空気が読めない訳では全然ない、変わった奴だと思った。

そいつとはしばらく同じグループで実験をしたけど、彼はレポートを仕上げるのがとにかく早くて、それにも驚いた。あまりに早いので、絶対に手を抜いてると思って、「参考に見せて」と本人から奪って見てみたら、すごく出来が良かった。実験で実際やったことももちろん、関連資料にもよく目を通してきっちりまとめていた。

「え、なんでこんなにしっかり出来てるの、もしかして和泉くん寝ないでレポート書けるの!?」

「いや、そんな超人じゃない、徹夜なんてできないよ俺! 本とか調べたりまとめたりが嫌いじゃないだけ」

嫌いじゃないだけで、ここまで手が早いって相当じゃない? と思った。第一印象ってアテにならない。

その頃の私は、自分のやりたい事業に忙しかったので、文化祭の出し物にはあんまり力を割きたくなかった。なので、一年のクラスで話し合いがあった時に、文化祭の準備の実務担当として周囲に彼を推した。進んでアイデアを出したり人をまとめたりするタイプではなさそうだけど、何かを調べたり周りを見て必要なところに手を貸したりと言うのには向いてると思ったから。

本人はびっくりしていた。

「俺!?」

「できるでしょ、ちょうどリーダーやりたい人と案出せる人いるしさ。その下でやれるでしょ和泉くんは」

「リーダー、富貴さんが慣れてるだろうし、やってくれないかなーと思ってたんだけど……」

「私、授業と社長業だけでいっぱいいっぱい、文化祭にまでそんなに参加できない」

「まあ、それはそうか」

彼は期待通りよく動いて、文化祭の出し物はずいぶんうまく行き、リーダーをやりたがったお調子者も自称アイデアマンも満足していた。手柄がだいたいその二人のものになったのは少しムカついたけど。

だから、彼には正当な評価がくだされる場所に来てもらってもいいと思った。

私の事業(基本は基礎化粧品)は、若年女性向けにライン使いできるコスメで売上が出ていた。でも、将来的には一番マスが多い団塊の世代女性に訴求する基礎化粧品も出したかったし、顧客層を広げるために若年や中年層の男性の化粧品も考えていた。その層に受けのいい要素やニーズをサーチしておきたかった。

最初は、いくつも事業をやっている父親のツテで働き手を集めていたけど、大学に来たんだし、自分のツテだけで働き手を集めたいと言うのもあった。文化祭が終わって一段落ついたあと、「ちょっとしたバイトもう一つしない?」と彼に一部のリサーチを頼んでみたら、ずいぶんよくこなしてくれた。一年の終わりの春休みに大きめのものを頼んでも、よくやってくれたので、二年の初夏に、正式に市場リサーチ担当として働かないかと持ちかけた。

金銭面でも他の条件でもなかなかいいものを提案したけれど、彼はすぐうんと言わず、渋い顔をした。

「やってみたい気持ちはあるけど、俺ずっと塾講師バイトだし、持ってる子たちが受験終わるまではやめられないよ」

「塾講師より稼がせてあげるけど?」

大体の働き手は、好条件で扱うことを見せてこちらに移動させた。私には、それができるだけの資本と能力がある。私は人の上に立って、人を引っ張るために生まれてきた。有能な働き手は、いくらでも欲しかった。

なのに、彼はなかなか首を縦に振らなかった。

「そう言ってくれるのはすごくありがたいけど、俺が先にやるって契約したのはまず塾と生徒の方だし、こういうのは先着順が一番公平だから」

「生徒の受験終わったらなんの問題もないんのね? じゃあ和泉くんの塾講師は今年度いっぱいってことで決まりね、終わったらすぐ私のところ」

そこまで言って、彼はやっと色良い返事をした。

「ええと……今持ってる子たちが第一志望受かれたら、来年度からじゃなく、来年の三月はじめくらいから手伝える。塾には早めに話しておけば、なんとかなると思う」

「そう来なくちゃ。絶対第一志望に受からせてね」

「まあ、努力はします」

私にとっても受験生にとってもいいことに、彼は生徒を第一志望に受からせ、三月の初旬から本格的に私のところで働くことになった。

彼はずいぶん良くやってくれた。Web上でわかる若年男性と中年男性のニーズだけでなく、団塊世代の女性のニーズについてまで、いろいろな論文や調査結果をひっくり返して調べてまとめてくれた。

雇い主の私の意をよく汲んでリサーチしてくれたし、リサーチの結果を誰にでも見やすくわかりやすく資料を作るので、それが非常に役に立ち、私はあちこちでそれを使いまわした。

「富貴さんは化粧水・美容液・乳液・クリームを出してライン使いを勧めるのが基本戦略だけど、女の人は団塊世代でもオールインワンの需要が無視できないし、男も手軽に済む効果の高い基礎化粧品の需要高いから、男女ともにそういうのあってもいいかもしれない」

と、ただ言われたことを調べてまとめるだけではなくて、調べたことを踏まえて提案もできる人間だと知ることもできた。

それでいて私から主導権を奪おうとはせず、普段からごく穏やかに振る舞い、私を気遣う態度を取ってくれた。私があんまり疲れてソファに座って、そのままうっかり寝落ちした時、あえてしばらく寝かせておいてくれて、変なことも何もせず、しばらくして声をかけてきて「一時間しか経ってないよ、大丈夫。眠気覚ましに何か飲む? コーヒーとレッドブルどっちがいい?」と両手に缶を持って聞かれたときは、不覚にも涙が出そうになった。

私が若くてしかも女だから、人の上に立って、人を引っ張っていくには、かなり気を張って、自分が上だと見せ続ける振る舞いをしないといけない。でも、彼はそれをしなくても大丈夫な相手だった。そばで働かせていると、とても楽だった。

私は自分が上じゃないと何事も気が済まなくて、でも好きになる男は自分の方が上じゃないと気が済まない男ばかりだった。私から誘うだけならいつでもうまくできたけど、その後が全く続かなかった。何事にも成功を収めたかったのに、恋愛では失敗続きだった。

でも、子供を持つなら早く生んだほうが楽だから、学生のうちに結婚相手見つけたいとも思っていた。ある時、ふと気づいた。それなら、そばで働かせて楽な彼も、選択肢に入るんじゃないかな?

三年の終わり、機は熟したと思って彼に切り出した。絶対断られないと思っていた。私は顔にも自信があったし、体型だって悪くなかった(だから若年女性への化粧品のPRができた側面もあった)。そして、彼に稼ぎのいい職も提供し続けられる立場だった。私のところに来るなら、何も不自由させないと思っていた。

でも、話を聞いた彼の顔は硬直した。しばらくして、彼は言った。

「……公的にはともかく、私的なパートナーにはなれない」

「え」

「俺、富貴さんと公私共にパートナーになったら何も困らなくて幸せなんだと思う、でも、だからできない」

それは断固とした口調であり、彼が言うとは想像もしていなかった口調だった。内容だって彼が言うとは思わなかった。

拒否されるなんて思わなかった。拒絶されるなんて思わなかった。

今まで私は、恋愛のファーストコンタクトで断られたことがなかった。そんな男は一人もいなかった。そこに加えて、彼は優しくて、私を受け入れてくれる相手だと思っていた。それなのに。

裏切られた気分だった。

「……やっぱり、あんたも女の上になれないと気がすまない男なの!?」

気がつけば、私は怒鳴っていた。

「私はあんたに稼がせてあげられるし、十分若いし、見た目も相当いいのよ! こんないい条件ないのに! あんたも変なプライドで全部台無しにするバカな男なんだ!? もういい! あんたなんて、いらない! なんにもいらない!」

「い、いや、俺……」

もう顔を合わせたくなかった。そのまま彼とは会わなかった。引き継ぎも解雇も、全部人を介してやらせた。

その後の彼は、就活にかなり苦労してると風の噂に聞いたけど、それ以降は噂を聞かなかった。七年後まで。

私の子会社が、化粧品の監修の名義に使う予定だった人間を変えたいと言ってきた。理由を聞いたら、簡単な経緯説明とともに、Webコンテンツを任せた会社から来たという資料が上がってきた。

これは変えて当然、むしろ指摘してもらってよかったと思ったけれど、まとまってわかりやすい資料に、なんだか既視感があった。

資料の作成者を聞いたら、心当たりのありすぎる名前が返ってきた。

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