お前によりを戻させたい

こないだ萌木さんからきた案件は終了し、来月の案件の話はまだの時期なのだが、萌木さんからメールが入っていた。なんだろう。

読んでみたら、こういう意味のことが書いてあった。

〈前の案件、大本のクライアントさんのところの親会社の社長が、神沢さんの事指摘してくれた人と連絡取りたいって言ってるんだけど、和泉さんの連絡先教えてもいい?〉

何だろう。やっぱり何かまずかったのかな? 

不安になったので、俺は返信する前にこないだの案件の会社を調べた。すぐサイトが出てきた。企業情報を見て、親会社を辿り、親会社のサイトも見る。

俺は固まった。出てきた社長の名前に、見覚えがあるどころではない。これはまずい。予想していたのとは別の意味で、大いにまずい。

富貴静。

……萌木さんに、断りの連絡を入れようか。いやでも、俺と萌木さんの所の繋がりなんてすぐわかるし(俺は公開している自分のポートフォリオに萌木さんのいる会社と取引してると書いてる)、もし俺が作った資料をこの人に見られてたら、多分俺がやったって見当がついて、萌木さんに教えてもらえなくても連絡できるんだよな、この人俺の個人メールアドレスもLINEも知ってるし。

萌木さん経由で断ったら、ただでさえ悪い印象で終わったのに、もっと印象を悪くするかもしれない。

しばらく頭を抱えていたら、梅シロップかき氷とカルピスソーダで優雅な午後を過ごしていた怨霊(幼児のすがた)(命名:千歳)が、わざわざそれを置いてこちらにやってきた。

『何悩んでるんだ?』

「うーん、過去は、石の下から、ミミズのように這い出てくるなと思って……」

『いや、どうしたんだ?』

……説明が難しい。進んで話したい内容でもないし……。

でも、千歳は、好きな味のかき氷が溶けるのも気にしないで、心配して様子を見に来てくれる相手なんだよなあ、そんな相手に、変にごまかすのもそれはそれで、人間として……。

俺は思い切って話すことにした。

「あの……学生の時に、起業してバリバリやってた人が同じ学年にいてさ、その人と連絡取らなきゃいけなくなってるんだけど、すごく気まずくて」

『うん? 学生で起業してた奴なのか?』

「そう、今かなりいい会社の社長になってる」

『すごいな』

「俺、本でも論文でもネットでも、調べてまとめるの割と得意だから、大学二年の終わりから三年の終わりからくらいまで、その人を手伝ってたことがあるんだけど」

『お前、そんなことやれたのか』

「まあ、調べてまとめるだけなら……で、割と重宝してもらってたんだけどさ」

苦い思い出が蘇る。俺としては、別に協力関係を切りたいわけでは全然なかった。仕事のパートナーとしてなら、うまくやり続けたいと思っていた。でも、俺からあんな風に言ったら、怒って関係を全部切られても、おかしくないとは思う。

「その……俺、その人の言うことよく聞いたし、能力的にもその人の所では役に立ててたし、その人にとってはやりやすい相手だったみたいなんだよね」

『何かあったのか? なんで気まずいんだ?』

千歳は首を傾げた。何かあったどころではないのだが。俺の返答がまずくて、相手を怒らせてしまったといえるのだが。

俺はかなり迷ったが、言わないと説明できないよなと思って、言った。

「その……大学三年の終わりに、その人に公私ともにパートナーになって欲しいって言われて」

千歳はぽっかり口を開けた。

『は?』

「つまり、その、部下兼彼氏、将来の結婚も考えてくれって言われてさ。でも俺、結婚とかどうしても考えられなくて、公的にはともかく、私的なパートナーにはなれないって言っちゃって……」

『そ、そいつ女なのか!?』

意外なのそこ? と思ったが、そう言えば性別を言わなかった。でも、感覚が昭和の千歳だと、俺がした説明だけ拾ったら、男と思うかもしれない。

「女だよ、富貴さんって言うんだ。で、俺の返事の仕方がまずくて、すごく怒らせちゃって。あんたも変な男のプライドがあるのか、私より下の立場なのが嫌なのか、ってすごく言われて……。そういう意味じゃ全然なかったんだけど……。富貴さんの下で働き続けられるなら、俺はそれがよかったんだけど」

得意なことで重宝されるのは嬉しかったし、富貴さんは周りをガンガン引っ張るタイプながら無茶なことや理不尽なことは言わなかったし、きちんと理由をつけて説明すれば無理なことはすぐやめてくれる人だったし、ちゃんと報酬も出してくれた。

あの時、関係が切れずに、ずっと富貴さんの部下でいたら、俺は今と相当違った人生だったと思う。実際は関係が切られて、俺は学生の頃打ち込んだと主張できることをなくして就活に挑むことになり、ブラック企業にしか内定が取れず、体を壊してこの体たらくなわけだが。

千歳はびっくりした顔のまま、さらに聞いてきた。

『お、お前、女から結婚申し込まれるほどモテることがあったのか!?』

千歳の中では、俺はまったく女に縁がない男だったようだ。まあ、確かに千歳と初めて会ったとき、俺はモテないって言ったし、富貴さんは俺の人生の中の最大の例外だと思うけど。

「モテるって言うか、富貴さん的には、俺は使いやすくて言うことをよく聞くから、彼氏にしてもやりやすい相手、くらいだったと思うけどね」

『お前なんで彼氏にならなかったんだよ! そしたら今ごろ、子供の二、三人はいただろ!!』

千歳に肩をつかまれて、めちゃくちゃ揺さぶられた。

「い、いても一人くらいだと思うよ」

『なんか嫌な相手だったのか!? すっごいブサイクとかデブだったのか!?』

「いや、きれいだしスタイルいい。頭もよくて話のわかる方」

『お前なんで断ったんだよ!!』

もっと揺さぶられた。千歳が怪力なのは知っているが、本当に幼児の力ではない。

「しょ、しょうがないじゃん、学生の二十一歳がいきなり結婚も視野にとか言われても困るよ!」

……まあ、本当は、当時の俺は、誰かとつながって、結婚して、子供を作るってことがどうしても考えられなかったからだけども。

富貴さんに公私共にパートナーになってほしいと言われたその日、富貴さんが最初に話し始めたのは、「早く産む方が楽って聞くから、私、できれば二十代のうちに子供欲しいし、そのために学生のうちに相手ほしいんだよね」だった。まさかその話し始めが、俺に着地するとは思わなかった。

ここ数年は自分の生存だけで頭がいっぱいだったけど、学生の頃は、あんな両親から生まれた自分の存在に悩んでいた。積極的に人と関わることをしなかったし、あんな両親があんなことをして稼いだ金で育った自分が、次世代を残すことにものすごくネガティブだった。大学に入ってからは、両親からの資金援助はなかったけど(バイトと奨学金とたまの祖母からの援助で賄った)、それでも、十八年あの両親の金で育った過去は消えないわけで。

富貴さんの申し出を受けていたら、あの人はすごく稼ぐし実家も太いから経済的に恵まれただろう。俺もパートナーとして、それなりにやれただろうし、早いうちに子供に恵まれてもおかしくなかったと思う。たぶん、あの時俺が富貴さんの申し出を受けていたら、そのまま幸せというカテゴリに入れたんだと思う。

だから、当時の俺は富貴さんの申し出を受けられなかった。人間として幸せになって、幸せに次世代をつなぐことに抵抗があった。

でも、富貴さんは、割と従順な俺が断ったことがかなりショックだったようだ。俺が変なプライドで断ったと勘違いしたし、それでものすごく怒って、珍しく理不尽な判断をした。つまり俺を公的なパートナーとしても切った。

俺の言葉足らずで誤解させたのがあると思うので、別に恨んではいない。でも今さら顔を合わせるとなると、ものすごく気まずい。相手はなかなかの売上を誇る会社の社長、断った俺はガタガタの体を背負った零細Webライターと言うのも、気まずさに拍車をかける。

千歳は俺の肩をギュッとつかんで言った。

『おい、お前、その女社長と連絡取るんだよな』

「と、取らざるを得ない感じ」

『連絡とってうまく口説いて、その女とより戻せ! そしたらお前、子供生んでくれる女と子供のための金が一緒に手に入るだろ!!』

いや、千歳から見ればそうなるんだろうけど、そんな無理なミッションないよ!

「む、無理、連絡は取るけど無理! あの時はいって言わなかったから今こんなんなんでしょって嫌味言われておしまいだよ!」

『やってみなきゃわからんだろ!』

「挑戦は大事だけど、この件に関しては無理だよ……」

俺はうなだれ、千歳から開放されてから、すべてを諦めて、萌木さんへ連絡先を教えていい旨を返信した。千歳は溶けたかき氷をよく混ぜて梅ジュースにしておいしく飲んでいた。

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