たまには本に親しみたい

怨霊(黒い一反木綿のすがた)(命名:千歳)がラジオのニュースを流しっぱなしだ。タブレットに張り付いて、流れてくるニュースを見ている。NHKニュースアプリのものとは言え、次々出てくる続報を見て、やはり、心穏やかではなさそうだ。千歳は多分よく知らない政治家だけど、戦後最長の総理大臣を務めた政治家だし、ここまで世間が騒がしいと、どうしたって影響される。

千歳が、タブレットから顔を上げた。

『なあ、輸血百単位って、どれくらいだ?』

「輸血の種類にもよるけど、普通の血液なら二十リットルだって」

俺は、Twitterを流し見して得た豆知識を答えた。

『それでもダメだったのか……』

「太い血管が傷ついてたそうだから、入れても入れても出ちゃったんだろうね」

『二十リットルとか、もう垂れ流しじゃないか』

「貯蔵してある血液をものすごく使っただろうから、ネットでその分献血に行こうって呼びかけがあるよ」

『ふーん』

俺は、不自然でない程度に話題を変えようとした。

「献血、興味はあるんだけど、俺グランダキシン飲んでるから多分献血できないんだよね。まあ、学生の頃チャレンジしたら血の比重足りなくて、門前払い食らったんだけど」

『献血って、どれくらい血抜くんだ?』

「四百ミリリットル」

千歳は嫌そうな顔をした。

『そんなに血抜かれたら、お前倒れるんじゃないか?』

俺、そこまでひ弱そうに見える?

「いや、そんなことはない……と思いたい……ここしばらくちゃんとした食事食べさせてもらってるし、ちょっとずつ調子良くなってるし……」

『声に自信がないぞ』

「ダメかなあ」

俺はため息をついた。

『お前、体悪いしガリなんだから、血を抜くのは健康なやつに任せろよ。ていうか、なんでまともに食べさせてるのに肉がつかないんだ』

「昔から燃費悪くて……あとお腹壊してるのはずっと治ってないから、あんまり吸収よくないのかも」

『どうしたら治るんだ? コーヒー禁止にするか?』

「日に二杯までは許して! ちゃんと薬飲んでるし! 病院にもかかってるし!」

話題をうまく変えて、千歳の興味をそらせたかと思ったが、千歳はやっぱりニュースに張り付いている。昼食もあまりおいしそうに食べていない。これはよくない。完全に衝撃的なニュースにあてられている。

千歳の気を世間のニュースから逸らすことが必要だ。それも、なるべく楽しいことがいい。

俺は、思いついたことがあって千歳に言った。

「千歳、昨日会った狭山さん、小説書いてるって言ってたじゃん」

『言ってたな、そう言えば』

「あの後、俺、金谷さんに、狭山さんに会いましたよって連絡してさ。ちょっとやり取りしたんだけど、今、金谷さん、狭山さんの小説読んでて、それがすごく面白くて続きが気になるんだって」

『ふーん』

「もともとネットで発表してた小説で、今もネットで発表してた分は、そのサイトで無料で読めるんだって」

タイトルを金谷さんから聞いてちょっと調べたが、結構売れているらしい。漫画版も出ているようなライトノベルなので、ある程度の面白さは保証できると思う。

無料と聞いて、千歳は少し心が動いたようだった。

『タダで読めるのか? 太っ腹だな』

「そのサイトのアドレス教えるから、読んでみない? ニュース見てるよりは楽しいと思うよ?」

『まあ、タダなら読んでみる』

「じゃあ、千歳のタブレットにそのサイトのアドレス送るよ」

『わかった』

「読んでる時は、ラジオも止めたほうが楽しいと思うよ」

『じゃあ止めておく』

ラジオのニュースが止まり、千歳は送ったアドレスから小説を読み出したようだった。最初は気のない顔だったが、徐々に顔が真剣になりだした。かなり身を乗り出してタブレットを覗き込んでいる。相当熱中して読んでいるらしい。

少なくとも千歳には面白い小説のようだった。ネットにあるだけでもかなり長いから、これで嫌な気分を忘れてくれたらいい。

千歳をそっとしておいて、俺も仕事に入った。千歳はずっとタブレットで小説を読んでいたが、俺の仕事が一段落ついた頃、いきなり大きな声を出した。

『あっヤバい、夕飯作るの忘れるところだった! すぐ作る!』

たしかにそれくらいの時間だ。けど、こんなに熱中してる千歳を見るのは初めてだし、今はなるべく千歳に世間のニュースを忘れてほしいので、もっと読んでいてほしい。

ちょうど手が空く所だったので、俺はこう申し出た。

「肉か何か焼いて、味噌汁と野菜炒め付けるくらいで良かったら俺作るよ。そんなに面白いなら、続き読みな」

千歳は目をまん丸くした。

『えっ、いいのか……じゃ、じゃあ続き読む! あ、冷蔵庫にあとは焼くだけの鶏肉あるから、それ焼いてくれ!』

「わかった」

俺は台所に行って、適当な野菜を適当に切って味噌汁にしたり炒めたりし、千歳は再び小説を読み出した。

夕飯の席で、千歳は食べながら狭山さんの小説について熱弁を振るった。

『すっごく面白いんだ! 主人公、殺さなきゃいけない相手の考えが読めるのに、相手の気持ちはわからないことが多いから、相手にうまく取り入ってちゃんと暗殺できるのか、すごくハラハラするんだ!』

「そんな話なんだ?」

女性に人気が出てる小説なのは知ってたけど、えらく殺伐とした話だな。

千歳は言葉を続けた。

『相手の方は主人公の企みなんて全然わかってないから、取り入ろうとしてる主人公がすごく気の利くいい女に見えて、好きになっちゃうんだ! 主人公、暗殺しないと自分が死ぬから暗殺してほしいけど、暗殺してほしくない!』

一応、恋愛ものなのか? 暗殺ネタだって知ってたら今の千歳に勧めなかったと思うけど、千歳はすごく楽しんでて、嫌なニュースは頭から吹っ飛んでるから、まあいいか。

「そういう感想、狭山さんに伝えたら喜ぶんじゃないかな」

『そっか! それもそうだな! お前ラインとか言うので狭山ってやつと連絡出来るんだろ、今度代わりに書いてくれ!』

「おっけー」

千歳は夕飯の後も狭山さんの小説を読み続け、夜通しで読みふけったらしい。

翌日の千歳は、朝から、全部読んじゃった、続きが気になる、本だと続きも読めるしこれまでの話の本でもいろいろ付け足されてるみたいだから買いたい、本屋に行くと騒いでいた。無料開放は漫画がよくやってるけど、小説でも効果すごいんだな。

まあ、千歳が元気になった上に新しい楽しみを見つけられてよかった。狭山さんにも、後で連絡しておこう。

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