番外編:悪夢の話

ラジオ深夜便が、メンテナンスとかいうのを珍しくやっていたのが悪かった。珍しく夜中に何のラジオも聞けなかったのが悪かった。ヒマすぎて寝たのが悪かった。

夢を見た。


祟っている相手に、「来るな」と言われる夢だった。

「お前なんて追い払うべきだったんだ、何で俺は祟られるままにしておかなきゃいけないんだ」

と冷たい目で言われる夢だった。金谷とかいう若い拝み屋が呼ばれて、また水とか塩とかかけられる夢だった。

別に、水かけられようが塩かけられようが、変な文句唱えられようが、痛くもかゆくもない。でも、どうしてか、ものすごく悲しかった。

起きて、すぐ夢だってわかった。祟ってる相手は、自分を拒否するどころか、朝飯を二人分作って出すことまでしてきた。

あれは夢だ。夢だってわかってる。だってこの祟ってる相手は変でおかしくて、祟りに来た自分を拒否したことなんて全然ないじゃないか。話しかけたら、普通の相手に話すみたいに返してくるじゃないか。

今まであいつにいろいろやってきたけど、だいたい受け入れてきたじゃないか。あいつが承知しかねることがあっても、割と控えめにしか言わなかったじゃないか。飯は分けてくるし、時には礼まで言ってくるし、名前つけてくるし、金も分けてくるし、チョコミントとかのおいしいものいろいろ教えてくるし、たまに買ってくれるし。いつも使ってる財布だって、買えるところ聞いたらちゃんと場所を教えてきて、買えるところまで案内までしてきたじゃないか。何作って出しても、おいしいって食べるじゃないか。他にも、他にもたくさんいろんなことをするじゃないか。

話してて、嫌がられることなんて、全然なかったじゃないか。来るななんて、言われたことなかったじゃないか。

あれはただの夢じゃないか。あんなこと言わない、あの変でおかしい奴のほうが現実じゃないか。現実のあいつは、自分だけ食べれば用が済むくせに、二人分飯作って出してくる奴じゃないか。

それなのに、それがわかってるのに、なんでこんなにつらくて悲しいんだ。


祟ってる奴には、なんだか心配されたけど、こんなこと、本人にうまく話せない。

……星野さんなら話を聞いてくれるかな。そしたら、なんでこんなにつらくて悲しいかわかるかな。星野さんと約束はしてないけど、星野さん週初めは買い物するようにしてるって言ってたから、スーパーで待ってれば会えるかな。


財布とエコバッグだけ持って、飛び出すように部屋を出てしまった。当然スーパーはまだ開いてなくて、入口から少し離れたところで、ずっと立って待っていた。店の中で準備中の店員がちょくちょく見てきたけど、無視した。ここなら駐車場に入る車が見えて、星野さんが来たらすぐわかるし。

すごくたくさん待った。こんなことなら、タブレットも持ってきて調べて、今日の献立を決めてればよかったと思っていた時、見覚えのある黄色が目の端をかすめた。星野さんの車の色だった。黄色い小さい車は、道路を曲がって駐車場の入口に入ろうとしていた。そして、遠くからものすごい音が聞こえた。


大きいトラックが、道路の車をいくつもはね飛ばして走ってきていた。このまま行くと、道路の途中で曲がりかけてほとんど止まっている星野さんの車まで一直線だった。

『星野さん!!』

星野さんの車にぶつかったらいけないと思った。一番空中を飛びやすい格好に変わって、トラックが星野さんの車に突っ込んでくる途中の空間に飛び込んだ。できるだけ大きな体になって、トラックにぶつかって、逆にはね飛ばした。トラックはくるくる回り、スーパーの裏に突っ込んで、いろんな破片を撒き散らして止まった。

『星野さん、大丈……』

黄色い車の運転席をのぞき込もうとして、気づいた。星野さんは自分の、若い女の格好しか知らない。こんな真っ黒で、人の形をしていなくて、しかもものすごく大きい格好なんて見せても、わかるわけがない。

星野さんは、目をまん丸くしてこっちを見ていた。顔が真っ青だった。

「な……何!? 何なの!? え、千歳ちゃんの声が……」

『ほ、星野さん……』

星野さんはハンドルから手を離して、後ずさるような動きをした。

「何、何なのあなた、こ、来ないで……」

……来ないでって言われた。

星野さんにも来るなって言われた。星野さんに話聞いてほしかったのに、星野さんと話したかったのに、これからもたくさん話せると思ってたのに、来るなって言われた。

何で?

びっくりする格好だってわかる、受け入れにくい姿だっていうのもわかる、わかってる、でもそんなこと言わないでほしい、そんな目で見ないでほしい、そんなに怖いものを見る目で見ないで……。


星野さんに怖がられて当然だってわかるのに、わかってるのに、なんでこんなにつらくて悲しいのかわからない。全然わからない。

適当な大きさに戻って、落っことしていた財布入りのエコバッグを拾って、逃げるように駆け出した。

走っている最中、涙が出た。ぬぐってもぬぐっても出た。たくさん出て止まらなかった。

たくさん走って、でも涙が止まらなくて、どうにかしなきゃいけないと立ち止まった。立ち止まって、走っても特に行く場所なんて思いつかないことに気づいた。

でも、祟ってる相手のいる部屋にはまだ戻りたくない。この気持ちをどうしていいかわからない。どうにかしたかったのに星野さんに来るなって言われた。きっともう話してくれない。もうどうしていいかわからない。


途方に暮れて周りを見渡して、気づいた。街中でもなんでもない、住宅地の隅っこ。少し歩けば、山も畑もある。

ここは、あそこと近い。自分がいた、あの祠が、すぐそこだ。

他に行く場所も思いつかなくて、祠の前まで歩いた。木でできた小さい屋根の下、石造りの小さい塔のような彫り物。石の方が本体だと思うけど、木の屋根が傷ついて欠けただけで痛かったし、祠から出て動けるようにもなったのを、なんとなく思い出した。

歩く気力が出なくて、祠を背にして座り込んだ。そのまま動きたくなかった。泣き止むことができた気がしたのに、やっぱり涙が出てきた。ずっと泣いていた。もうどれくらい時間が立ったのかわからない。いつの間にか暗くなってきていた。

ずっとうつむいて、地面しか見えない視界に、誰かの靴先が写った。

「やはりここが帰り着く場所か、怨霊め」

顔を上げると、知らない爺さんがいた。背も体格もそこそこでかい。

「我は朝霧本家当主、朝霧香駿。先祖の不始末を今こそ成敗しに来た」

朝霧? 本家? 何も知らない名前だけど、なんだかいい感じがしない。体の奥底の良くない気持ちを、ガリガリ引っかかれて、引き起こされるような思いがする。

「朝の騒ぎはお前の仕業だな」

『……朝の騒ぎ?』

「トラックを暴走させて、人間を何人も傷付けただろう」

知らない。確かにトラックにはぶつかったけど。なんだかこいつ、すごく気に入らない。

「覚悟しろ、朝霧の忌み子。すべての霊と共に消してやる」

……ものすごくひどい気分なのに、その上、知らないことを自分のせいにされるの腹が立つ。なんで消してやるとか言われなくちゃいけないんだ。あと忌み子って言われるの、なんだかすごく嫌だ。ものすごく嫌だ。

『……お前、うるさい』

頭の中でぶつっと何かが切れる気がした。こいつ、嫌いだ。はっきり嫌いだ。名前もやることも、なぜか、ものすごく気に入らない。

『あっち行け、今、いろんな物、ぐちゃぐちゃにしてやりたい気分なんだ……』

体の輪郭を緩める。ほとばしる衝動のまま、体の輪郭をどこまでも大きくしていった。

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