誕生日なら祝いたい
朝起きて、近々の納品日を確認しようとスマホのスケジュールアプリを見たら、今週末に俺の誕生日が予定に入っていた。アプリをメールのアカウントと紐づけてあって、メールのアカウントに生年月日を登録してあるからだが、いらない機能だと思う。歳を取って喜ぶような年代ではないし。思わずぼやいた。
「あー、俺も完全にアラサーに両足突っ込むのか……」
こんなに不安定な体調と職業で、こんな歳になるとは思わなかった。じゃあブラック企業に勤め続けられていたかというと、絶対に無理だが。
夜、ヒマだったらしくて俺の横で寝ていた怨霊(黒い一反木綿のすがた)(命名:千歳)が、あくびしながら言った。
『あらさー、ってどういう意味だ? たまに動画で見るが』
千歳の感覚は、はっきり言って古い。新しくても昭和で止まっているようなので、いま当たり前に使われている言葉でも、知らないものは意外とあるようだ。俺は答えた。
「アラウンドサーティーの略。三十歳周辺の年代のこと」
『お前、いくつなんだ?』
「二十七。もうすぐ二十八」
『意外といってるな……』
「そう? まあいい年だけどさ」
令和の今だって二十八歳はいい年だが、昭和の感覚ならもっといい年なのかもしれない。すると、千歳は何かに思い当たった顔になった。
『ん? もうすぐ二十八ってことは、お前もうすぐ誕生日か?』
「うん、今週の土曜日」
『じゃあ、土曜日はケーキだな! でかいの買うぞ!』
千歳は、なぜかやたらはしゃいだ。
「でかいのはちょっと……」
『でかいと高いか? 買うの大変か?』
とたんに千歳は心配そうな顔になった。なんだか悪い気がして、俺はあわてて言った。
「いや、ケーキくらい臨時出費から出すけど、大きいケーキだと二人じゃ食べきれないと思うんだよね」
ケーキは高級な店になればなるほど高くなるが、安い店なら買えなくはないと思う。でも悪くなる前に食べきれる自信がない。千歳は普通に食べられるわけだが、人並み以上に食べられるのか、ちょっとわからないし。
『あ、そうか、それもそうだな』
千歳はうなずいた。
『でも、小さいケーキに二十八本もろうそく刺すの大変だぞ?』
千歳は大真面目な顔で心配を口にした。普通のホールケーキでも、二十八本のろうそくは重荷だと思うけど。
「……ケーキは食べるのが大事であって、ろうそくは別になくてもいいから」
ろうそくの火を吹き消して楽しい歳でもないし。
『そんなもんか?』
「そんなもんだよ」
『わかった。土曜は他にもなんかうまいもの作るぞ』
「いつものでいいよ、十分おいしいよ」
『誕生日にはいいもの食うもんだ! 金はそこまでかけないから! 下ごしらえが面倒なもの作るだけだ!』
千歳は誕生日という行事に何か思い入れでもあるんだろうか。たくさんの霊の集合体らしいから、集合している人数によっては毎日誕生日みたいなものだと思うが。
「じゃあ、お言葉に甘えて、土曜日はよろしく」
『任せておけ』
千歳は胸を張った。
土曜日、午後早くに駅前までケーキを買いに行くことになった。千歳(女子大生のすがた)は朝食が終わってすぐから台所で料理をしていたが、事前に駅前で買うことは言っておいたので、はしゃいでついてきた。
『今日は起きられてよかったな! ワシだけで買いに行くことになるかと思ったぞ』
「昨日の低気圧すごかったからな……丸一日何もできなかった」
寝込んでいて進まなかった仕事を思い返し、プレッシャーを感じたが、今日の午前に多少は作業できたし、千歳はケーキを買うのを妙に楽しみにしているしで、気持ちを切り替えることにした。
初めて行くケーキ屋だったが、駅前のひらけたところにあったので無事についた。安くておいしいことで有名なチェーン店なので、わりと混んでいる。千歳は一目散にショーケースに飛んでいった。
『ものすごくたくさんあるな! お前、どれがいいんだ? やっぱりいちごのか?』
「んー、特にこだわりはないな……。千歳は食べたいケーキある?」
『ワシが選んでいいのか? お前の誕生日なのに』
「俺はケーキなら何でもいいから、千歳の好きなの選びなよ。俺、千歳と同じのでいい」
『そ、そうか』
千歳はわくわくを抑えきれないようだった。
『どうするか……どれもおいしそうだ……たくさんありすぎる』
「迷うなら、ホールケーキじゃなくて、一切れずつのケーキいくつか買うのもいいと思うよ」
『そういうのもあるのか!』
「どれか好きなのある?」
『……ワシの、三切れくらい買ってもいいか?』
「買いな買いな」
かなり迷ったあげく、千歳は果物のたくさん乗ったショートケーキとチョコレートケーキとモンブランを選んだ。俺は果物のショートケーキにした。
『これ全部食べていいのか!?』
「お腹壊さないなら」
『じゃあ今夜全部食べるぞ!』
夜は牛すじのトマト煮込みと、ゆで卵がゴロゴロ入ったポテトサラダと、ほうれん草のクリームパスタが出た。
『牛すじは朝から煮たぞ!』
と千歳が得意げに言うとおり、牛すじはとろけるようで、他の料理もいつにもましておいしかった。
千歳(幼児のすがた)はケーキに舌鼓を打っていた。
『甘い! ものすごくうまい!』
「気に入る味でよかったね」
『毎日誕生日でいい!』
「毎日はちょっと胃がきついかな……」
千歳は、今の小さい体でよくケーキが三つも入るなと思う。さっきのメニューも食べているのに。
『甘いもんなんて、どれくらいぶりに食べただろうなあ』
「…………」
家にお菓子を置く習慣がないし、千歳は普段かなり節約して食材をやりくりしているし、確かに甘い物を食べる機会はない。千歳が祠で大人しくしていた時や、集合体の怨霊になる前の境遇は知らないが、下手すると何十年も食べていないんじゃないだろうか。
「……千歳」
『なんだ?』
「おやつくらいなら、食費から出していいから。スーパーのお菓子なら、高くないだろ?」
千歳は目を丸くした。
『いいのか?』
「おやつくらいの量ならね」
『チョコレートとか、ドーナツとか、買っていいのか?』
「好きなの買いな」
Amazonや楽天の安いお菓子詰め合わせも調べておいて、そのうち千歳に見せて、気にいるなら買ってやろうと思った。
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