アレンとセツナ
「にゃんだこりゃ、まったく意味がわからんにゃ」
ディナー用の礼服を着た猫が吐き捨てるように言った。かれからアレンの手紙を受け通った僕はペンライトで照らしながらその手紙を読んだ。
『キミも説明を聞きたいだろう……。わたしはなぜこうなってしまったのか……』
僕はポカンをしてしまった。アレンが、あのアレンがこんな手紙を書くとは。そうして手紙を読むうち、僕はアレンやかれから聞いたハナシをいつか書いてみたいと、書くことで理解したいと、そう思った。
アレンが妻のモードに隠れて、セツナと浮気したのは、その年の夏だった。セツナは美人であるし、スタイルも抜群だしで男好きのするタイプであったから仕方がないと思う部分もあるが、それでもやはり腹立たしいものがあるのもまた事実だ。
だから、今日という日は、絶対に有意義に使おうと心に決めていたのだ。
なのに、それだというのに……。
(こんなことになるなんてぇえ~!)
心の中で絶叫を上げながら、アレンはひたすら廊下を走っていた。。
アレンの顔には疲労感がありありとしていたものの、表情は決して暗くはなかった。むしろ、それは笑顔ですらあったかもしれない。そうでなければこうやって全速力を出すことはないだろうし……ましてや全力疾走して息切れすることもないだろう。……彼は今とても興奮していたのだ。そんなわけなので、彼の頭の中はとても忙しかったに違いない。何しろ今日の予定を立てるために昨晩ずっと頭を悩ませていたのだから。
だがそれだけ楽しみにしているということでもあったはずだ。何故なら今日一日だけは妻にも息子にも内緒なのだから―――
『いい? このこと絶対二人とも秘密だからね!』
先程自分の部屋にやってきたセツナの言葉を思い出しながら、アレンは自分の胸が大きく高鳴る音を聞いた。きっと今自分はこれ以上ないくらい顔を緩めて笑っているだろうと自分でもわかっていたほどだ。しかしそれも仕方のないことだったと言えるかも知れない。何故ならば今夜だけは完全にフリーになれる貴重な時間を手に入れたようなものだったからだ。そしてまたセツナは言った。あの言葉を……。思い出すだけで身体の奥底から湧き上がってくる歓喜があった。あぁもう最高だ!! と叫び出したい気分になるほどだったがそれを必死に抑えつける。まだダメだと自分に強く言い聞かせることでなんとか理性を保っていた。ここで暴走してしまったらすべてが台無しになってしまうのだから……。
それにしてもまさかあんな言葉を投げかけられるとは思ってもなかったものだから驚いたものだよなぁと思い返すたびに頬を赤らめてしまうアレンであったがその時、視界の中に一つの大きなドアが見えてきた。ようやく目的地に着いたようだと思った次の瞬間にはスピードを落とし、ゆっくりと歩いていたかと思うとそれはすぐに勢いを増していきやがて駆け足となって、最後にはドタドタと騒々しい音をたてるようになったのだがもちろん誰一人として咎める者はいなかったし、そもそもその部屋にいる者はセツナだ。注意する方がおかしいと言うものである。まぁそれがアレンにとってみれば大変嬉しいことだということは間違いなかったようではあるが……。
はやる気持ちを抑えつつ、目的の部屋の前まで辿り着いたところでアレンはその足を止めた。深呼吸をして、落ち着こうとするも鼓動が激しくなっていくばかりでなかなか上手くいかない……。とりあえず一度水でも飲んで心を静めた方がいいかもと考えたところで再び扉の方へと視線を向けると向こう側から突然開かれていったではないか!?……まるで自分が到着する前に待っていたかのように……いや違うのかこれは! ともかく開け放たれていくその扉を見て驚きと共に慌てて飛び退くようにして避けることで事なきを得たが……危うく衝突するところだった。冷や汗をかいて大きく安堵のため息をつく中でアレンは何気なく顔を上げて……そこで見た光景を前に固まってしまった。
そこに立っていた人物は見慣れた人ではあるけれどもここにいるはずの人物ではなかったはずなのに……なんで彼女が立っているんだろう? どうして彼女はこんなところにいるのだろうか……だってここは……僕の屋敷じゃないって言うのに……どうして彼女の姿を見ることができたんだろう? 頭の中で色々なことが浮かんできていたがその中でも一番大きかったものは疑問という言葉そのものであろうと思われた。つまりはそういうことである。
アレンの目の前にいた女性は確かにセツナであると言えたが……その様子はまったく普段のものとかけ離れていた。髪の色は銀色だし瞳の色も同様であったけれどいつものような柔らかな雰囲気をまとっているわけではなくどこか険しいというか険のある感じに見えるものであったし何より表情が違う。明らかに不機嫌そうな様子が伝わってくるのだ(もっとも元から美人であるが故に怒っていてさえも美しさを感じさせるようなものであることに変わりはなかったが)さらに服装もまた違った。それはどう見ても寝間着姿にしか見えなかったが……問題なのはそんな格好をしているのにもかかわらず外出用の化粧までしているという点にあった。さすがのアレンもこれに関しては少々驚いてしまったようであるが何よりも驚くべきことは別にあるはずだ。
「……ねぇ……ちょっと……いいかしら?」
しばらくの沈黙の後最初に口を開いたのはこれまたセツナだったが……声までもが違っているのだから不思議でしょうがないというものだった。はっきり言ってこんな状態のセツナはこれまで一度も目にしたことがなかった。一体全体どういうことなのか混乱しながらも一応返事をしたのだが……それでますます戸惑うことになった。
「え……はい……」
セツナの言葉のトーンが落ち込んでいたのもあるが……それでもまだ違和感があったからだろうと思われる。
「……本当にセツナさんですか?」
そんな馬鹿げた質問をしてしまうほど今の彼女からは妙な迫力を感じずにはいられなかったのだから当然のことだったと言えるだろう。
しかしそんなことを聞かされればセツナとしても腹立たしく思わないわけがなかったらしく即座に眉根を寄せたかと思うとその目は吊り上がり、さらには唇もきつく引き結ばれた状態へと変化していき……ついに我慢の限界を迎えたセツナから出てきた言葉はといえば―――
「…………ぶっ殺すわよ!!」
という一言だけだった。それだけの言葉しか発することができなかったセツナの姿は誰が見てもほとんど完璧なまでに怒っていることが明らかであり、その怒りの大きさもまた計り知れないものがあるということを物語っていた。だがそれを見た時に真っ先に思い当たったことがあった。
あぁそういえば今日は……
思い出してみれば簡単なことだった。なにも難しいことを考えずとも最初からわかっていたはずなのだから……。しかしそれがわかった時にはもうすでに遅すぎたということらしい……。
アレン、僕から見ると、自分を過少評価していた。かれは自分を含むすべてを蔑んでいた。
あるとき、かれは世界中から見捨てられた僕にやさしくしてくれた。僕の親友が亡くなって、その責任が僕にあると誹謗中傷されたときのことだ。
「キミは運がいいんだよ」
と、かれは言った。
「世間のヤツラがみんなクソ野郎だってことに、その若さで気づいたんだがら」
そしてこう付け加える。
「わたしもその一員だけどね」
著者紹介
ファン・メージャは南洋諸島出身の作家。代表作は『蛇の宴』『ハイウェイの清掃車』。
本作は実際に知り合いから聞いたハナシをもとに書かれたという。結末の曖昧さについて著者は
「にゃぜかは知っているが、当人がわたし以外に話さにゃかったという事実は尊重しにゃければにゃらにゃい。だから伏せたのニャ」
と、語っている。
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