アルダン事件の回想

秋月国は帝国の国家内国家である事情で、軍事力は最低限だったが、それを補うために防諜機関は、生起するいかなる事態を見逃さない、精密さ、完璧さを誇っていた。

 キッカケは里津というものの陳述で、そこからイモずる式に逮捕者が続き、その中から自殺者もでた。現場の捜査官はかれらの知らない事件がピンピン生きていると感じた。当時の責任者である吉川藤友はのちの裁判でこう述べている。

『アルダンというものが帝国のスパイで、現地のものどもを使って帝国のために工作していると考えたのが第1です。

 次に帝国と皇国のダブルスパイ、第3に皇国のスパイという可能性。われわれは先入観なしで慎重に調べました。

 別の問題もありました。アルダンが皇国のスパイだとしたら、皇国の君主直属のものなのか政府直轄の諜報機関のものかです』

 捜査官によるアルダンの調書では、アルダンは皇国の君主直属の諜報機関に属するとなっている。この調書については、直接尋問にあたった調査官による談話がある。政府の方の諜報機関だと、国防法に抵触するのみで、この場合拘置期間は4カ月以内と定められているので、10月18日に逮捕されたアルダンは翌年2月17日までにすべてを終わらせ、解放しなければならない。しかるに、皇国の君主直属だとすると、保安法の規定する結社ななるので、拘留帰還を6ヶ月に延長できる。そこで、取り調べをキチンとするため、保安法違反容疑の線で拘留することに検事との合意が存在したという。そして、調書記載にあたってアルダンも了承した。なぜなら

「皇国の君主直属の諜報機関とされたら、裁判もなく即ズドンと1発やられるとおそれた」

からだという(アルダンは秋月国の法律条文に疎かった)。一見不可解な、外国人に対する保安法適用の理由はこれである。

 こうして、『事件』は『犯罪』としての性格を帯び、次第に固められていく。

 予審終結にあたって、アルダンの行為は

・保安法

・国防法

・機密維持法

・機密保護法

に違反したとして、公判に付されることになり、また最終判決も、この点で変わらなかった。秋月国は帝国領ではあるが、この種の防諜等に関しては独自のシステムがあった。つまりは『アルダン事件』は秋月国という特殊状況があって、はじめてありえたのである。

 『アルダン事件』は、いわゆる『大戦期』後に世界情勢の矛盾を反映し、激化する国家の死の闘争における交点から生まれたものである。いかにして生き残るかを苦悶する国家という生物体が、他者に対して身構えたとき、必然的に起こることなのだ。

 『アルダン事件』は秋月国において1つの犯罪事件として理解された。アルダン自身にとっては

『平和のための努力』

であり

『世界から戦争を絶滅したい』

という若き日からの理想主義の表明であり、しかもそれは観念ではなく現実の1部になることから、必然的に悲劇を内包したものだったといえる。『アルダン事件』は政治屋どもによって歪曲されたが、真実はそんな思惑を超えて、はるかに厳粛な、未来への1つのビジョンを含むことを示すだろう。


 事件が世間に公表されたのは、翌年6月、検事による諮問が終わり、証拠が固められたのちのことである。機密保護などの都合により、1部伏字にしたいわゆる削除版だった。その文面の1部は以下のとおり。

『司法省発表

 先年10月から捜査官の探知の基づき鋭意捜索中であったアルダンに係るいわゆる国際謀略事件はこのほど取り調べを終えた。

 本謀略団は、皇国本国から帝国内に独自の組織を作るべき旨の指示をうけたアルダンが豊崎正樹らを中心に組織化され、長年にわたって諜報活動をおこなっていた。

 関係者の略歴は以下。

(イ)アルダン

 オルドにて出生した帝国人である。高校在学中に、対皇国戦に志願従軍。その後大学にて国家学博士号を得る。その間皇国と接触し、スパイとなり各地に。本国からの指令により、諜報組織を作り、豊崎正樹らを協力者に獲得し、広範な諜報活動をおこなった。1時帰国後、新聞記者として秋月国の特派員となった。

中略

(ニ)豊崎正樹

 秋月国の大学にて法学部政治学科卒業、大学院で学んだ後、新聞社に入社。大学在学中から皇国と接触、内外の関係者と親交を重ね、かれらの活動を支援。その過程でアルダンの諜報団に加入し、その有力な1員として活発な活動をした。その後、新聞社を辞し、秋月国鉄道嘱託とばった。

後略』

 アルダンは事件発覚の3年後、刑死したが、公表されなかった。

 生きて刑務所から出たものも、秋月国及び帝国の監視下であった。

 この件については、帝国側でも意見が分かれたらしく、アルダンを監視してたという帝国大使館員は

「とても良いヤツだったよ」

と、むしろ信頼関係があったという喜劇も見られた。

 証拠が固められ、アルダン逮捕の許を司法大臣に求めたのが10月に入ってからのことだが、当時政権交代の影響もあって、大臣は内容も知らず、重大性に気づきもせず、許可をあたえた。

 アルダン検挙の方を受けたバンブー帝国大使とチヨ夫人は、事件が秋月国側が作ったものであると怒って、強硬な抗議をした。かれらはアルダンと親しく、夫人にいたっては愛人関係にあったという。

 吉川藤友は当時のことを次のように語っている。

『わたしたちは大いに当惑しました。取り調べの継続中だったからです。

 幸いなことに、1週間でアルダンは自白しました。彼女の自白後、わたしはアルダンに対して

「大使がキミに会いたがっている。キミはかれに会いますか?」

と、申しました。

 アルダンは最初

「自分はバンブーに会いたくない」

と、答えました。そして

「政治上の意見こそ違え、われわれは個人的には良き友人であった」

と、申しました。

 わたしは申しました。

「わたしがキミの立場なら、わたしは会うだろう。こういう状況に立った秋月のものは会って最後の決別の言葉を告げるだろう」

アルダン「それなら、わたしもバンブーに会うことにしよう」

 わたしはその件を司法大臣に伝えました。バンブー大使を始めとした帝国大使館のスタッフがアルダンに会いにやってきました。

 短い会見の最後にアルダンはバンブー大使にこう申しました。

「これがあなたに会う最後の機会でしょう」

 バンブー大使は仰天して、顔色を変えました。

 会見が終わって、他の部屋に移ったバンブー大使は、こう申しました。

「本件に関しては、われわれはもうなにも言うことはない。ただ取り調べを早く済ませ、その結果をわれわれに報告してほしい」

 そして、アルダンがかいた手記のコピーをつくり、それを司法大臣を通じて帝国大使館に送りました。

 バンブー大使はアルダンに騙されていたのです。

 バンブー大使は、この件で辞任したのち、本国に帰らず、ミドルマーチに滞在しました。夫人は皇国に亡命したというニュースを聞きました』

 バンブーとアルダンの関係については、会見から示唆されるように、個人的にも仕事上でも、もっと深い関係であったようである。バンブーは人生最大の幻滅を味あわされた(注:この1文は、隣人になった折に、わたしがバンブー氏自身に聞いた話を基にした記述である)。


 さて、帝国の諜報機関において、アルダンの評価は高く、当時その長であった郁乃いくの氏はこう証言している。

『とくにアルダンが新聞社の特派員や、上司への私信として本国に送る情報の有益さは保証済みであり、欺瞞などありえないと考えられていたので、わたしはそのとき安心した。アルダンの情報は、われわれにますます重要性を持ってきた。彼女は、秋月国と帝国の関係性は盤石なものではなく、皇国や共和国になびく可能性があることを、結論として示した』

 帝国との情報交換について、アルダンは皇国からの了解を受けていると、以下の証言をした。

『わたしは、帝国に1時帰国したときに皇国側の上官に、わたしの諜報活動を統制し、且つ得た情報の1部を少し分与することを了解してもらいました。どのような情報を分与するかわわたしに一任されていたのですが、そのさい分与はできる限り最小限にせよと約束されていたので、わたしは自分勝手にやったわけではありません』

 正確に言えば、アルダンが疑われていなかったわけではない。しかし『たとえ、アルダンが皇国のスパイであっても、われわれは帝国の利益を守るために。彼女の豊かな知識を役立てねばならぬ』『アルダンについて、帝国側からの攻撃については郁乃が責任をもつが、それは、アルダンの皇国、秋月国についての報告のうちに、機密材料が含まれることを条件としてである』『アルダンを厳重な監視下におくこと、かれの情報は正常なルートを通さず、特別な検討を経なければならない、という留保で、賛成』(以上帝国側資料からの引用)ということであった。

 事件後、本国から保科秀之が派遣された。かれの母は秋月国出身だったので、秋月国の事情に明るく、本件にうってつけであった。その調査によって、バンブー大使は『まったく軽率』とはいえ、アルダンを助力し、しかも親しい要人であることが明瞭となった。バンブー大使は『好ましかざる者』認定されてしまった。以下郁乃氏の回想。

『上官とのあまり愉快ではない話し合いで、わたしはアルダンの件で弁明しなければならなかった。上官がどう決着をつけるかわからなかった。帝と上官との間でかわされた秘密の談話で、帝はこの件に対することに対してわれわれが避難される理由がないことを認められた。しかし、バンブー大使が、極秘の政治情勢を漏らすほどに、信頼や友情に対して許してはならぬと申された。帝がこの件で客観的見解をもっていたことは幸運であった。バンブー大使は召喚された。保科はさらに調査を進めたが、なにも発見されず、それ以上の処置はとされなかった』

 調査後、バンブーは大使の地位を失った。本国に帰ることなく、ミドルマーチに移り住んだのである。


 アルダン事件に対する皇国側の反応は、その数日後の皇国の報道機関がアルダン検挙を報じたにとどまる。

「到底なにかいえた筋合いではなかろう」

とは、当時捜査に関わった人物の証言である。


 アルダンは検挙されたのち、取り調べに応じるまで、激しい興奮状態であったという。吉川藤友はなぜアルダンが自白したかについて」4つの原因を述べている。

1:検挙と同時に多数の証拠が発見されたこと

2:関係者全員の検挙

3:アルダン以外の関係者全員の自白

4:任務が達成したことによる安堵感

 4については、アルダンが

「最近秋月国民たちとの連絡が切れたように思う。その理由を知りたい。われわれが秋月国でしようとした諜報活動はちょうど立派に完成したところだ。秋月国がどのような行動をとるかわれわれは知った。あとは帝国本土で活動したい」

という話をしていたということだ。

 アルダンは吉川藤友に

「できるだけはやく取り調べを終えて、決着をつけてほしい」

と、申し出ていた。おそらく当時皇国の外務次官であり、知人であったクリークがなんらかの手を打ってくれると信じていたようだった。それは結局、空しい希望に終わった。


 この事件はこうして秋月国内でのスパイ疑獄として終わるとおもわれたが、事件発生から数年後に1時的に再燃することになる。それについて秋月国大使館付の帝国武人であったヤエノはこう述べていた。

『3年も待ったあげくに、本国は事件のほんの少しだけ発表した。それは1夜にしてジャーナリズムのセンセーションとなった。新聞は大使館によってのみ可能である詳細の発表を待っていた。突如として、本国はその発表を拒否したことを、大使館はしったが、容易には信じがたいことであった』

 これは、当時帝国でスパイ疑惑にあった人物の容疑が、アルダンに関わっていということだったことによる。帝国の無線通信曰く

『本国は告発を立証する証拠を持たない。報告は秋月国側の情報にもとづくもので、その旨を公表せねばならない。主張を立証する証拠が存在するにしても、それはわれわれの手中にないのである』

 件の人物の弁護士はこう言ったという。

「まずわれわれは大使館がこの報告にたいして責任を負うかどうか知りたいと思う。それによってかれらを告発するかどうか決めたい」

 ヤエノはそれにたいして、

「わたしは責任を負います。もちろん証拠も公表されます」

と、返答した。

 一連の動きによって、秋月国内でのアルダン事件の評価も

「豊崎正樹氏とその同志たちは、公僕の横暴の犠牲者である」

「これは陰謀ではなく、そうしようとして、そうしたのである」

という、同情的なものが消え、評価を回避する空気に代わっていった。

 つまるところ、帝国内部の内輪もめに関わりたくないということである。

 そして、それは帝国というメカニズムが伝統的なものから、自由な民主主義と病的な城壁国家に揺れ動いていく過程の1コマであることが、観察されるのである。


 さて、アルダン事件のことを語ってばかりで、わたし自身についてなにも言っていないと思われる方もいるだろうが、それというのも、そのころのわたしは別のスパイをおっていたのである。

 それは帝国大学の大スキャンダルという形で現れた。当時の帝国大学は、何十年もの間、特権階級の砦だった。金持ちエリートたちが大学パブリックスクールから官庁パブリックオフィスへと進んでいく踏み石だった。だが、この時期に、新しい信条を身に着けた新しい種族がこの浮世離れした学園から巣立ち始めた。皇国のスーパースパイたちである。いままでスパイと言えば、カネのために国を売る卑しい連中だったのが、信念のために裏切るエリートが登場したのだ。

「上のヤツラはそんなに腐敗してんのか。ヤツラが帝国をダメにしてる」

と、非難が巻き起こり、スパイ事件が階級闘争にまで発展した。

 かれらは『5人組』と呼ばれた。

 かれらの中心となったのは、サニーとという猫で、大学で歴史と経済学を学んだ。

 父は高名な冒険家の海軍中佐で、当時は外交官として活躍していた。ただし、かれはいわゆるゲイで、すれちがいが原因で離婚したのちも恋人たちに息子をまかせた。この境遇はサニーに重要な影響を与えた。つまり、性の面ではかれはプレボーイとして知られ、また海外、とくに皇国に興味をもった。

 サニーと仲間たちは政治家の秘書や大使館員となって、そこから得た情報を、皇国に流していた。しかし、結局かれらは皇国に亡命することになる。こうして事件は終わったように思われた。

 わたしにある人物の調査が命じられたのは、この事件で帝国中が大騒ぎであったときのことだった。

「なぜこの人物を調査するのです?」

 わたしの質問に、上司のミルナーはこう答えた。

「例の5人組の件でね」

「サニーとかいうヤツの亡命で終わったのでは?」

「実はかれといっしょに亡命したのは2人なんだ。あと2人自由ってことだ」

「ということは、この人物がその自由なほうの1人ですか?」

と、わたしが訊くと、ミルナーはうなずいた。

 その写真の人物の名前はプラントといった。

 他のメンバーが外交官や通信員、秘書といったスパイでも不思議ではなかったが、かれは帝室に信任厚い美術史家であった。父は普通の教師だったが、母方の親戚に帝がいるという氏素性であった。

 帝国大学に在学中に、5人組の1人であるバージェスとを結び、今は帝室に絵画鑑定員として仕える。

 写真とともに与えられた書類にはそう書かれていた。

(編注:プラントとバージェスのは、ほかの資料を読む限りでは、同姓での精神的、肉体的接触のことと思われる)

「なあに、シッポを出すまで監視して、それを報告してくれればいい」

 あとは同僚が捕まえて取り調べるのを見て、証言をまとめて、調査報告書を作成。

「頼んだよ」

「わかりました」

と、そんなわけでわたしはプラントを監視することになった。やることは尾行と盗聴。

 すると、いちおうスパイリンクのメンバーのわりに、プラントはスキだらけで、アッサリスパイ行為の証拠がそろってしまった。ついでに私生活での男女両方に対するプレイボーイぶりも余禄としてついてきた。

 こうして、プラントはあっさりと逮捕され、尋問にかけられた。

 プラントは訊かれてもいない自分の年収まで言いそうな勢いで自白していた。

 ほとんどプラントの独演会となっている取調室に見知らぬ男がいる。かれは隅に目だだぬようにイスに座っていて、取り調べが終わると調査報告書の写しをもらって何処かへ去った。興味を持ったらしいプラントが

「どなたです?」

と、訊くとかれは

「連合警察の、保科秀之といいます」

と、穏やかに返す。

 その座敷童のような男がきてすぐ、調査は終了し、プラントは釈放された。

「どういうことです?」

と、難詰するわたしに、ミルナーは、辛そうにこう返した。

「もうこの件はわれわれの手を離れたのだよ。……きみはアルダン事件のことを知っているかね」

「ええ、まさか……」

「そう、アルダンの情報と引き換えに上が皇国と交渉したのだよ、連合警察が仲介してね」

 それだけ言うと、ミルナーは深い息を吐いた。それ以来この回想を書くまでわたしは意図して忘れ、資料もホコリをかぶっていた。


編注:アルダン事件の15年ほどのち、帝国宰相ラベール夫人によって、プラントがスパイであることが公表された。かれは地位と名誉を奪われ、その5年後没した。

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