第53話

 体育祭当日のことについて、僕はあまり多くを語らないことにしたい。陰キャにとって体育祭はあまりいい思い出ではない、というのもあるが、今回はまた事情が込み合っている。単に、忙しかったから語るべき思い出がない、ともいえる。

 またこの体育祭が、僕たちに何か影響を与えてくれたかというと、そうではない。物事は準備の方が大事だ、とは様々なところで言われているけれども、僕にとってはちょっと変わった意味で受け止めざるを得ないだろう。


 それでも全く言及しない、というのもあれだから、多少は語ってみるとしよう。

 それではまず、鷲頭について。

 あいつはいったい何を考えたのか、始終ほら貝を吹いていた。対抗して相手方が銅鑼を鳴らしていたから、二重の意味で戦国時代の合戦のようであった。

 次に六条さんについて語りたいのだが、残念ながら特にない。その日も、会って話すことはなかったのだ。

 代わりに、朝比奈について語ることにしよう。先に述べておくべきだったかもしれないが、激しい運動をするということで、六条さんはその豊かな黒髪をポニーテールに仕上げていた。ちょっとしたイメチェンになって、この姿もきれいだなと、素直に思った。

 自分が考えていることは、他人も考えているものだ。

 祭りで気分が高揚したのもあるだろう、六条さんにちょっかいをかける男子が少なくなかった。

 それを朝比奈は、文字通り血祭りに上げた。

 日の当たるところでは、恐ろしい形相で睨んだ。

 そして日の当たらないところで、闇に葬ったのだ。

 まるで暗殺者である。僕の時の経験をきっかけに、下手に血に慣れさせてしまったのが悪かったのかもしれない。どこか覚悟を決めさせてしまったのかもしれない。

 さすがに放置は悪いので、僕は朝比奈を追っかけて負傷者を救助する羽目になったのである。

 ほかに言及する人と言えば、大宮だろうか。中等部でなにか踊りをしていた。小さい体で頑張っていて、微笑ましかった。


 さて、市谷先輩については、多少文字を割かなければならないだろう。同じ組で心底よかったなと思ってしまうほどの、それはもう見事な活躍であった。一位以外にはならなかった。団体競技すらも。

 借り物競争に出走したときは、どうも『後輩を連れて走れ』とかそんな感じの指令が書かれていたらしく、僕は突然応援席から引っ張り出されて走る羽目になった。どう考えても足を引っ張ってしまっていたのだが、やはり勝ってしまう。先輩はそういう人だ。

 そうだ。どうしてもいいたい、というほどのことでもないのだが、ちょっと気になったことはある。

 開会式のことだ。

 市谷先輩は開会のスピーチをしていて、僕は遠くからそれを眺めていた。列の前の方では時折歓声を挙げたりしていて、まぁいつもの様子だな程度に考えていたのだが。僕の周辺はそうではなかった。私語をして、まるで話を聞いていなかった。時折揶揄う人までいた。

 その時ふと、そういえば僕は市谷先輩の側で観察していたばかりに、遠くから見た先輩を、または遠くから先輩を眺める人の反応を知らなかったのだなぁ、と思った。

 市谷先輩が視線を奪い、人を支配できる範囲には、どうも空間的限界があるのだと思った。


 体育祭の片付けも終わり、実行委員会で打ち上げでもしようかという話になった。僕はこういう集まりが苦手だったが、それなりに働いていて主要メンバー扱いだったので参加することになった。市谷先輩にあの断れない覇気で引っ張られたのもある。(実行委員会に所属していないはずの市谷先輩が普通にいるのは…まあ半分は僕のせいだ)

 僕よりも貢献者であるはずの六条さんは、辞退した。それにつられて朝比奈も断った。


 打ち上げ会場となったレストランで、先輩はよほど僕を目にかけてくれるようだ、僕は市谷先輩のテーブルに招かれた。雑談もそこそこに、こう切り出された。

「ところで津田くん、運が悪ければわたしが生徒会長でいられるのも、あと一ヶ月もないんだよ」

「え? それはどういう…。って、ああ! 任期満了ですか」

「そう! あまり告知されていないけれど、もうすぐ生徒会選挙なんだ~。わたしがちゃんと生徒会長の職務を遂行できていたか、審査されることになる。いや~、こればっかりは慣れないよね。いつも緊張しちゃう」

 続投するつもりなのは、決定事項のようである。まぁ、市谷先輩以外の適任者など思いつかないのだが。

「いつもあれだけしっかりとやっていたんです。堂々と胸を張って支持を集めるだけで十分ですよ」

「応援ありがとう~! 

 じゃ、応援ついでに、一つ頼まれごとをされてもいいかな?」

 こういう時は、たいてい断ることはできないのである。無駄なのだから、諦めて受け入れるしかない。

「なんなりと」

「やったー! いい後輩だねぇ、津田くんは!

 お願いしたいのはね、選挙活動のお手伝いなんだよ。どれだけ人手があっても足りないからね。いろいろと、頼りにさせてもらうよ!」

「…。分かりました。微力を尽くします」

「固い! 堅いよ後輩く~ん! もっと楽しく、パーっとはしゃいじゃおうよ!」

 酔っているのだろうか、この人は。自分からお堅い話を振ってきたのに、急にこれである。

 それにしても選挙の手伝いか。また面倒くさそうなことを…。

 こき使われるために働くようなものだ。これで、多分確実なのだが、市谷先輩が再任したら、今度一年間僕はただ働きをするのだろうか?

 やれやれ。

 選挙対策って、何をすればいいんだろうな。


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