第49話

 委員たちの奮戦もあり、想定より早く我々は仕事を片付けてしまった。まだ日が沈んでいない。輝かしい光が、教室に注ぎ込んでいた。

 僕は久しぶりに帰宅部らしく帰宅できると歓喜にわいていたところ、廊下で六条さんに出くわした。互いに労をねぎらおうと思って、軽い気持ちで声をかけた。

 六条さんは、スッと顔を上げると、堅苦しい真顔でこう聞いてきた。

「市谷 葵とは、お知り合いなの?」

「お知り合いというか、市谷先輩にはいつも『こき使って頂いている』んですよ。かの偉大な先輩の、学校史に輝かしく刻まれるだろう業績を間近で見ることができ、さらにはそのほんのひとかけらだけでもお手伝いすることができるとなれば、後輩冥利に尽きること限りなし。まさにかのナポレオンの指揮の下、共和国の旗を掲げ、一週間に七つの勝利を挙げんとするかのごとく…。」

 いい気になってつい調子に乗った賛辞を送ってしまった。こういうのは本人に言うべきだろうか。

「ずいぶんと、褒めそやすじゃない」

「そりゃそうですよ。ここ最近側で見てきた感覚としては、驚愕と賞賛、どちらを先に行うべきかわからず、『ああ、もう少し手加減してくれたら!』と思わずにはいられません。歴史をかじったものであれば、同時代に起こったことを余すことなく記録した書物を出版せんと願うものの、彼女の功績、書き記せば天まで届かんとするほど。下書きに編集が追い付かず、いまや僕のペンよりも速くその伝説が広まり、書き終わる前に僕のもとへとうわさが巡ってくる始末。かくなるうえは筆をおき、ただ誠心誠意尽くすのみと決めていたところに、思いがけぬご厚意をいただき、そのあまねく恩恵にあずかるところとなれば、今一度報いるべきと考えていたところ…。」

 なにか、さっきからぶつぶつと言っている気がする。

「うるさい」


「うるさいうるさいうるさい! わたしの前で、あの女を褒めるな!」

 初めて聞いた。六条さんの、叫び声を。

「あなたの口から、そんなことを聞きたくなかった…。あなたまで、汚されたくなかった。あなたまで、あの女に頭を下げるだなんて…。

 あの女、市谷! どうしてあいつは、わたしから何もかも奪おうとするのかなぁ。

 あなた、あの女に何を言われたの? あれだけ芯のある人だったのに、どうしてコロッと膝まずくの? 薬? 呪い? 催眠術? いったいどんな卑劣な手口でたぶらかされたのよ? わたしが見ていないときに!

 そうよ、いつもそう。あの女は人をたぶらかして、自分だけ楽をしようとする! 

 鼻を伸ばした男子たちにちやほやされて、それで何が楽しいっていうの? それでいて功績だけかっさらうんだわ。それでも誰も文句を言わない! おかしいでしょ、こんなの。

 そんなに気持ちがいい? 周りに持ち上げられて、勝手に願望を押し付けられて、それに作り物の姿で応えることって。ああ、きっと気持ちいいんでしょうね、たまらないほど、心地いいんでしょうね! だからずっとそうなんだわ。

 ああ憎い! 憎くて憎くてたまらない!」

「六条さ…。」

「ねぇ津田さん…。わたしのこと、面白いって言ってくれたよね。心配してくれたよね。見てくれたよね。それなのに、どうして。

 そんなに市谷の方がいいの? あの女の方が?

 やめてよ…。あなたまで、あいつらみたいにならないでよ…。

 わかってるよ。わたしが嫌な奴だってことぐらい。自分でもわかってる。いつも誰かを見下している。あなたのことだって、最初はそうだった。だからその報いなのかもしれないけどさぁ。

 でも、でもせめて、あなただけでもいいじゃない。あなた一人くらい、わたしを見てくれてもいいじゃない。

 ねぇ、津田さん。わたしってそこまで嫌な奴だった? そこまでされるほどのことをした?

 ねぇ…。勝手に舞い上がっていた、わたしがやっぱり悪いの…?」

「六条さん、何を言っているのかさっぱり」

 ごめんなさい

 それだけ言って、六条さんは走って行ってしまった。



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