第48話

 以上が金曜日の英雄譚だ。僕は生まれて初めて、人を動かす人間、というものを見た気がした。市谷先輩の前では、この面倒くさがり屋も働かざるを得ない。そして、僕のペンは彼女の功績を書き記し、僕の舌は彼女を称えるために存在するのではないか。そう思ってしまう。

 まさに英雄であった。存在するだけで世界を前進させてしまう。ただそこにいるだけで、人々の注意を奪ってしまう。誰もが彼女に期待していた。それが何であったのかは、正直いってわからない。なぜなら彼女は常に我々の想像を超えた事業を成し遂げてしまうので、後になってみれば自分が持っていた想像などなんということでもないものとして忘れてしまうからである。

 あえて言うなら、救いであったのかもしれない。


 そう、いまこの体育祭実行委員会において、市谷先輩は僕たちを救おうとしてくれていた。ただちょっと、僕がこぼしてしまったため息を市谷先輩は見逃さなかったのである。


 だが、僕はここで救いといってしまうことで、市谷先輩が無条件でその手を貸してくれたかのような誤解を招くことを、恐れている。なぜなら、以下のようなやり取りがあったからだ。

「かくかくしかじかというわけで、もしよかったらなんですけれども、市谷先輩のお力を借りたいと思っています」

 普段なら、ここですぐうなずいてくれる。僕以外の人間の頼み事に対しての市谷先輩は、いつもそうだった。だが、

「それは、生徒会長としてのわたし、市谷葵に言っているのかね?」

 笑顔を崩さず、そんなへんてこな質問をしてきた。

 変わった質問だ。市谷先輩は市谷先輩なんだから、生徒会長でもあるに決まっているじゃあないか。

「それはええ、まぁ」

「じゃあ承服しかねる」

「ええ!」

「津田くん、これは体育祭実行委員会の問題であって、部外者のわたしが関わるべき問題ではないんだ。いくら委員会が生徒会の下部組織だとしても、いちいち生徒会長が首を突っ込んであれこれと指示をしてしまったら、わざわざ別の組織にした意味がなくなってしまう。そのうち、『そこまで言うなら初めから生徒会がやってくれ』って言いだすかもしれない。いちいちわたしにお伺いを立てることで、命令系統が混乱してしまうかもしれない。生徒会側からすれば、せっかく切り離した仕事を過剰に抱え込まないといけなくなるかもしれない」

「はぁ、なるほど」

「縦割り行政はとかく批判されがちだけどね。組織は、互いの領域を犯してはいけないんだ。一度相手に仕事を頼んだら、最後まで信用して任せないといけないんだ。わたしがやるべきことは、ただ黙って待つことだけなんだ。本来ならね。

 それを破ろうとしているんだ。それなりの理屈、筋を通さないといけない。

 さぁ、見せてくれ。わたしが、まさにこのわたしが出張らないといけない理由というものを」

 六条先輩は、僕をまっすぐと見据えていた。先輩のこのような目を見るのは、初めてだった。全身に寒気が走り、こわばった。

「げ、現在の実行委員会はオーバーワークとなっており、人員の補充と再配置、または仕事の削減が必要でありまして…。」

「それはわたしでなくてもできるのではないか?」

「―ッ、実行委員会の指導層は数々の事件によって機能不全となり、その指導能力を発揮できておらず、現状のままでは組織の崩壊は必須のものであり、これは学校全体の利益を損なうものであります…。」

「ほうほう。それで?」

「か、かかる情勢を鑑みますと、強力な指導力を持つ一個人による、人格的統治のみが打開策であると、愚考した次第であります!」

 緊張のあまり、ターニャ・デグレチャフ少佐みたいになってしまった。

 市谷先輩は腕を組み、目を閉じる。そして、

「うん。よろしい!」

「ありがとうございます!」

 認められたようだった。


 こうしてやっと、市谷先輩の協力を取り付け、今に至るのである。




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