第41話

 六条さんは太陽を見て、赤く輝いた太陽を見て、またちょっと歩みを止めた。

「六条さん、あんまり遅くなると、ご家族が心配しますよ」

 六条さんは僕の顔を見ずに答えた。

「いないもの、わたし」

 そのまま、歩いて行ってしまった。

 僕は何か、とんでもないことをしてしまったのではないか、聞いてしまったのではないか、いわゆる『地雷』を踏んでしまったのではないかと思い、あわてて謝ろうとすらした。それを見た六条さんはもっと慌てた。

「ごめんなさい! 違うの、そんな深刻な話じゃなくってね。言い方が悪かったわ。下手に気を引こうとしちゃった。

 両親ともに健在だから。ただ、仕事の関係で今は遠くに住んでいるの。だから家にはわたしひとり。帰りがいつになったって、気にする人がいないってだけ」

「なーんだ、びっくりしましたよ。

 それでも、仮にご両親が心配しなくても、今ここにいる僕が心配します。もうすぐ、すっかり暗くなってしまいます」

「うれしいことを言ってくれるのね。でもね、心配しなくてもいいの。わたし、放っておいても大丈夫だって、期待されているから一人暮らしができているのよ。あなたも知っているでしょう? わたし、すごい子なんだから。大丈夫。あなたも、期待してくれていいのよ」

「それでも、僕は心配します」

「優しいのね、あなたは。他人を遠ざけているようで、誰よりも他人にやさしい人。うらやましいわ。わたしに似ているんじゃなくって、わたしよりよっぽどいい人なんだから」

 褒めているようで、褒められている気がしなかった。陰に潜む自虐がチクリと刺さった。

「うん。そう。あなたには、ちゃんと帰る家があって、出迎えてくれる人がいるのよね。だからそんなに優しいんだわ。

 さっきだってそう。いつも誰かが出迎えてくれるから、お友達を出迎えることができるんでしょう。

 わたしにはできないわ。あなたみたいには」

 さっきの、鷲頭とのおふざけを思い起こしているようだ。

 六条さんの言葉から、彼女の家庭、そしてこれまでの人生が、ひしひしと伝わってきた。出迎えてくれないことについて、様々な言葉が出てこようとしたが、それを押しのけて出てきた言葉はよりによってこれだった。

「六条さん。あなたは、おかえり、と言ったことがありますか。あなたは、誰かを迎えたことが、ありますか」

 六条さんは止まった。そして振り返って、泣きそうな笑顔をした。

「正解。やっぱりあなた、すごいわね。

 その通り。うん。正解だわ」


 それからは、川を見ることはなかった。駅までは交通量を見ればだいたいの道が分かった。

 六条さんは、東京方面の電車へ、僕は千葉方面の電車へと乗った。



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