第33話

 その中の一つに、そんなソファーの一つに、僕たちはたどり着いた。

 それは二つのソファーが対面して置かれている場所であった。しかし、その片方のソファーだけ使われていた。

 僕たちは通り過ぎるところだった。ただなんとなく、誰が座っているのであろうかと思った。

 そこに座っていたのは、あの六条…さん? であった。そしてあのカッターナイフ暴徒もいた。

 あれだけ人間を嫌う六条さんが、人を側においていた。会話をしている様子もある。あのカッターナイフ暴徒は、六条さんの友人なのだろうか。

 いやむしろ、最初からそう思っていた方がよかったのかもしれない。あそこまで六条さんについて熱くかかわり、その交友関係さえ気にかけ、行動(というか実力行使)してしまうのだ。すくなくとも友人以上の関係だろう。


 もう六条さんは、僕たちの勧誘を断っている。それなのに再び勧誘をしたら、気分を害してしまうだろう。それは僕にもわかっている。

 だがもう片方。カッターナイフ暴徒のことを考えると、ここは一声かけた方が面白いことになるのではと思った。ただの気まぐれ、いたずらごころである。


 僕は六条さんの向かいのソファーに、堂々と座った。大宮は僕が何をしようとしているのか測りかねたのか、立ったままでポカンと見ている。

「昨日はどうも。六条さん? でよろしかったでしょうか。あなたは僕の名前をご存じだったようですが、僕は他人への関心が薄いものですから、あなたのお名前を存じ上げておりませんでした。そうしましたら、そちらの方が、おそらくあなたのお名前らしき言葉を発しましたものですから、勝手に六条さんだと推測いたしました」

 六条さんはあっけにとられていた。カッターナイフ暴徒は、もはや体が固まっていた。

「えっと、その…。いかにもわたしは六条。六条 椿だけれども…。

 あなたまさか、わたしのことを知らなかったの? 知らないで、声をかけたの?」

「そうですよ。だから申し上げたのです、他人への関心が薄いって」

「それでも…。わたしはこれでも結構有名人なのよ? この学校にいて、知らない人はいないくらい。噂でもいいから、わたしの名前を、六条という珍しい苗字を、聞いたことはないの?」

「ありませんね。そういうのは疎いものですから」

 自分を自分で有名人呼ばわりだなんて。どれだけ自信家なのだろうと思ってしまう。

「…。その口ぶり、嘘ではないようね。驚いたわ。

 その、ごめんなさいね。わたしのうわさでも聞いて、アプローチを仕掛けてくる輩だと思っていたから。昨日は言い過ぎたわ」

「いえいえ。突然話しかけたのはこちらの方です。お気になさらず」

 あれだけ攻撃的な態度をとっておきながら、今度はやけに丁寧だ。自分から謝ってくれるだなんて。根はいい人なのだろうか。


「リョウ先輩、突然どうしたんすか? 敬語使う今の先輩、なんだか気味が悪いっす…。」

「大宮よ、せっかくの雰囲気を壊さないでくれ。

 あとついでに言うならば、僕は君と違って、初対面の人間に敬語を使える人間だ。初対面の僕に実力行使をした、どこぞの無礼者と違って」

 カッターナイフの暴徒は無言だった。

「無礼者とはなんすか! さっきからもう、なんかおかしいっすよ!」

「おかしい? 礼を尽くすことの、何がおかしいというんだ。大宮よ、君に僕の考えを押し付けたって、従わないことは知っている。また僕だって無理強いするような先輩ではない。だからおすすめだけはしておこう。

 礼と敬語は武器で、鎧だ。これだけで社会生活はぐんと楽になるし、物事が進みやすくなる。そして相手を近づけすぎない壁になり、自分を守る鎧になる。

 使って損はないぞ」

「…。命令されるとやる気なくすタイプっすよ、わたし」

「じゃあ敬語を禁止しよう」

「あーなんかめっちゃ敬語使いたくなったっす!」

 単純だなぁ。

 いや違う! わざと乗って、空気を壊しやがった!


「失礼。取り乱しました」

「いえ、その…。仲がいいのね、あなたたち…。」

 六条さんは僕たちを、物珍しそうに眺めた。さっきから人間への嫌悪を、驚きが上回っているらしい。

 ギリリと音がした。それはあのカッターナイフ暴徒の、歯軋りだったらしい。

 その音で我に返った六条さんは、急にカッターナイフ暴徒の方を振り向いた。

 しばらくそうしていたが、やがてカッターナイフ暴徒が静かに僕をにらむだけなのを見て、再び驚いた。

「どうしたの、朝比奈さん。あなたいつも、わたしに近づく人がいると、騒ぎ立てるじゃない?」

 カッターナイフ暴徒改め朝比奈は、それに答えない。僕をにらんで、動かない。

 六条さんのこの言葉を見る限り、朝比奈はかなり危ういことをしてきたのか? いい迷惑だ。それに六条さん、あなたも止めるべきでしょうに。

「騒ぎ立てる習性がそちらの方にあるとしたら、そのノルマは、すでに達成されていますよ」

「どういうこと?」

「論より証拠です」

 僕はゆっくりと、包帯をほどいた。

 右手には、一晩経ってより見苦しい姿になった、傷口があった。

 六条さんの血の気が引いた。朝比奈は聞き取れない声を漏らした。

 そして大宮は、僕の手の傷を見ると、突然、どこかへ走り去ってしまった。


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