第31話

 地面に、ポスターが散らばっている。

 知らない女子に、壁に押さえつけられ、身動きもとれず、身に覚えのない咎で責められる。どこのホラー映画だよ! となるほどの恐怖を感じていた。

 もしくは腐敗した警官のいる地域というのは、こういうものまのだろうか。なるほど。すごく怖い。海外にはいかないようにしよう。

 とはいえ、いちおう弁明くらいはしようか。黙っていたら罪を認めたことになるというのが、この優しくない世界の決まりだ。

「命知らずも何も、僕はその『六条』を知りませんよ?」

 上手く言えただろうか。緊張で自分の声がわからない。ちゃんと伝わっただろうか。

「とぼけるな!」

 耳元の壁にカッターナイフらしき刃物を突き立てられる。勢い余って切りつけられるところだった。

 …。

 伝わってないじゃあないか!

 ん? ああ、もしかしてさっきの少女のことか、六条というのは。今日接触した人が少なくて助かった。名前も聞いていなかったし、そろそろ主語なしで説明するのも大変なのだ。いやはや、ありがたい。

「ああ、なるほど。確かに僕たちはその、六条…さん? に部活動の勧誘をしましたよ。それがこれほどまでに怒りを買うことなのですか?」

 だとしたら、この学校には迷惑防止条例でもあることになる。いや、普通の迷惑防止条例だって宣伝やビラ配りまでは規制しないと思うけど…。

「そうやってお前らはいつもいつも…ッ。あいつの気持ちも知らないで、ズカズカと入り込んで来やがる! 気色悪い。近づくんじゃねぇ!」

『お前ら』? 突然振るわれた暴力といい、言いがかりといい、さすがに腹が立ってきた。それに、『お前ら』だと?

「僕をその、あなたの気分を害するような、名も知らない人たちと一緒にするのはやめてくれませんかねぇ? 不愉快ですよ。僕はほら、見ての通りの陰キャなものですから。いつもみんなと違う風に生きてきたのですよ。いつも仲間外れなんですよ。それが、言いがかりをつけるときだけは同一視ですと? ふざけないでください。勝手にくくるんじゃあないですよ、勝手に」

「貴様…貴様…ッ!」

 あーもう、話聞いてないな、この名前も知らない暴徒は。僕はね、会話をするのが苦手だけど、会話ができない人、話が通じない人はもっと苦手だ。嫌いだ。

 いい加減イライラする。さっさとこの場を離れたい。

 でもこの人、無駄に力強いなぁ。

 はぁ、面倒だ。

 どうしたものか。

 横目でちらっと突き付けられたカッターナイフを見る。刃が、切れる方が、僕を向いていなかった。

 そういえば変だ。カッターナイフはカッターナイフでしかない。そのお仕事は、厚紙を切る程度のことだ。人を切るものではない。

 そして使うときは、刃をあまり出し過ぎてはいけない。折れてしまう。というか、切れ味のために折れやすくしてあるというのに。なぜこの人は全部出しているのだ。グニャグニャしていて、いつ折れるかと危なっかしいし、第一格好良くない。弱弱しくて、なんだか間抜けだ。

 何を考えているんだ一体。この人は、何をしているんだ?

 バカなことをしている、と言ってしまえばそれまでなのだが…。まったく理解できない。あまりにも突飛すぎて、思わず冷静になってしまった。

 こんな頭のおかしい人間の頭など、それこそ分かるわけがないのだが、わからないとこの状況の切り抜けようがないのだがなぁ。

 はぁ、面倒だ。

 間抜けで、どこか本気でやっているようには見えなくて、だけれども恐ろしい形相で向かってくる。何を考えているのかわからない。

 こんな相手に対して、考えても無駄かもしれない。適当にやった方が、より早く打開できる…かも…?


 僕はカッターナイフを力強く握りしめた。血が滴る。

「あっ…。」

 相手さんは血に驚いて手を引っ込めようとした。だが、僕はもう片方の、左手で相手の腕をグイっとつかみ、離さない。

 そのままゆっくりと、右手を相手の手から腕へ、腕から首へ、滑らかに這わせる。なるべく、血が付くように。びっしょりと。

「何を驚いているのですか? これがあなたのしたかったことでしょう?」

「ち、違っ…。」

「なにも違いません。刃を肌に当てれば、血が滴る。至極当然、道理の通りです。

 それをわかってやっていたのでしょう? おそらく、僕の前にも、誰かさんに。

 もし石を池に投げたら、その水しぶきがあなたにかかるでしょう。

 もし木を蹴り飛ばしたら、頭の上から枝が落ちてくるはずです。

 もしあなたが誰かに悪意を向けたら、その人もあなたに悪意を向けるのでしょう。

 では、あなたが誰かに刃を向けたならば、その血しぶきは誰にかかるのでしょうか?

 刃を向けられた人なのでしょうか?

 それが自然の道理、公理原則なのでしょうか?」

 相手さんはガタガタ震え始め、漏らす声は言葉になっていない。

 僕は右手を、相手さんの頬へと当てた。

「答えないのでしたら先に提示しちゃいましょう。

 これが答えです。

 答えは、あなたのほほにかかる、です。

 そしてその血は肌にしみ込み、洗っても洗っても落ちません。

 あなたの中に深くしみ込むのです」

「ヒッ…。」

 相手さんは突然動き出し、僕を振り切って逃げて行ってしまった。

 ふぅ、なんとか早めに終わらせられたな。

 なんだか体が熱い。

 普通の学校生活ではなかなかお目にかかれない状況なものだから、僕もちょっと興奮してしまった。ノリノリで演技してしまった。

 血のかかったポスターは処分するしかない。僕の手のけがは、なんとかごまかして保健室で治療してもらうか。

 歩きながら、今起こったことを整理する。適当にやったものだから、何をしていたのか、自分でも正確には覚えていない。なにか失礼なことはしていなかっただろうか?

 いつものように考え事をし始めると、なんだか落ち着いてきた。

 夕方の冷たい風が、僕の体を冷やしてくれる。

 それと同時に、ぽわぽわと上の空だった感覚が治り、感覚が戻ってきて…。


 痛っーーーーーーー‼


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