第29話

 彼女に声をかけた時、露骨に嫌な顔をされた。たとえ本心では思っていても、相手に対するネガティブな感情は隠せ、というのが、社会人の常識である。そして女子は成長が速いのか、このくらいの年齢になればその常識を身に着けているものと聞かされていた。その例外になるのは、よっぽど嫌な相手くらいのものだ。宣戦布告に近い。

 しかし彼女は、いきなり不快感をあらわにしたのである。それも初対面の人間に対して。最初からもう嫌われているとは、到底思えない。初対面の人間に対しては、誰? と考えるので精いっぱいのはずだ。そして普通の人間ならば、初対面に人間に対するとき専用のあの声、顔、態度を示し、とりあえずは友好の意を示すものだ。世界中のあらゆる部族の風習を見ても明らかだ。初めて会う、領域外からの客人はもてなす。モンゴルの遊牧民などは、とりあえず酒を共に頂くらしい。日本人とて例外ではなかったはずだ。

 それでも、彼女は、いきなり嫌悪感を示した。

 これは並大抵のことではない。そこまで他人とかかわりたくないか。むしろ親近感がわく。まさに帰宅部に適しているではないか!

 最初に示された嫌悪感は、これが部活動の勧誘だとわかると、多少は緩んだらしい。なるほど、道でポケットティッシュを配られたり、新規開店のパン屋さんのチラシを渡されたりしたときは、きっとこのような顔をするのだろう。

 そして次に、僕が大宮と一緒にいることを認識すると、ある程度は警戒を解いてもらえた。とはいっても、あのポスターを手に取ってくれる程度のことまでだが。ここまで男子が苦手なのか。

 彼女は読み上げて一言、

「気に入らない」

 といった。

「気に入らないわ、こんなの。なによこれ。偉そうに。自分の知識をひけらかしたいの? 本当にむかつく」


「そこまで言わなくても! 僕が必死に考えた美辞麗句なのに!」

「ここでそれ言っちゃうんすか先輩! バカなんすか!」


「『メディア』だとか、『インターネット』だとか、『交流』とか。そういう、いかにも知識人が好きそうな言葉を選んで使っているのが、背伸びしているみたいでイライラするのよ。なに? 覚えたての言葉を披露したいの? 赤ちゃんでもそんなことしないわよ。論述の練習なら他をあたって。

 あと『孤独』ね。安っぽい言葉だこと。小説の読み過ぎかしら。憂鬱な文学者っていう人間像にあこがれて、薄っぺらい皮だけのキャラクターを演じている、そういううぬぼれやな人間、本当に大嫌いなの。中二病をまだ患っているの? 全然精神が成長していないわね。そのくせこういう人間って、他人より上の精神的地位にいると勘違いするのよね。ああもう、考えるだけで嫌になるわ。

 第一、この装飾は何? とても現代のポスターとは思えないわ。教科書から飛び出してきたみたい。このへんてこな文章を載せている時点でもう駄目だけど、装飾のせいで余計にダサいわ。ポスターっていうのは無駄な文字を省くのよ。

 その装飾からもわかっちゃうことだけど。この部活って、結局オタクらしいことをしたいだけなのよね? それをこうやってごまかそうとするの、卑怯だわ。大っ嫌い」


「ぐはぁ!」

「先輩―!!!」

 ここまでの酷評はさすがに応える。ついでに、全国の数少ない小説読者、知識人、ならびにわが同胞の趣味まで否定された気がする。


「それで? このわたしに身の程知らずな勧誘をしてくるだなんて、何を考えているの? わたしの何が目当てなの?」

「何がって言われたら…。あえて言うなら入部届への署名が目当てかな? というか、『あなたの何かが目当て』という前提に立つとどうもうまくいかないです。僕の望みは、帰宅部の設立なんですから」

「じゃああなたはバカかバカのどちらかだわ」

「どっちでも僕がバカになるじゃあないですか!」

 なんという選択。これでは袋小路だ。どっちに転んでも凶だなんて、占う必要すらないじゃあないか。

 僕はショックで倒れてしまった。大宮がツンツンとつついてちょっかいをかけてくる。

「先輩、今回の敗因はなんだかわかるっすか?」

「はい。僕が陰キャだからです」

「よくわかっているじゃないっすか~先輩~。まだその頭だけでも使えるっぽいっすね~」

「え、何? 人体実験にでも使うのか? 僕の頭を?」

 僕たちがいつもの調子でやっていると、

「ああ、あなた。京成高校随一のロリコンと名高い、津田涼蔭ね。へぇ、本物は初めて見たわ。なるほどね。これが本物のロリコン」

 と言われた。

 …。

「え、大宮。僕の悪名、ここまで広まっているのか?」

「そうっすよ先輩。もう手遅れなんすよ」

 なんということだ。もうどうしようもないじゃないか。気が付いたときには手遅れだなんて。日本の自然災害でさえ、多少は兆候を見て手の打ちどころがあるというのに。


「はぁ。もういいわ。これだけ話に付き合ってあげただけでも感謝しなさい。まぁ、このわたしに話しかけたという勇気だけは評価してあげるわ」

 そういって、どこかへ行ってしまった。


 う~む。勧誘失敗か~。また有望な生徒を探さないといけない。

「残念でしたね~先輩。この様子だと、ずっとわたしと先輩だけっすよ、この部活。どうします? もういっそ、部活設立なんて、諦めちゃわないっすか?」

「そう考えると…。ええい、ダメだ! ここで諦めたら何か重要なものを失う気がする。もうちょっとだけ、頑張ってみるぞ!」

「失うのは多分、貴重な時間だと思うっす!」

 そういうと、大宮はすっかり機嫌を直してくれたのか、笑顔を見せた。



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