第17話
思えば今日も、この街に来た瞬間から、何かが起こっている。いきなりローマ兵が出迎えることなど、ほかの街ではないだろう。(しかも、まったく無関係で、ローマ帝国観光地でもないのに)
何かが起こる。この街では。
だから引き寄せられる。何かを求めるものは。
秋葉原よ。僕に何かを与えたまえ。
秋葉原よ。僕にその『何か』を教えたまえ。
秋葉原よ。僕の想像を超える秋葉原よ。
秋葉原よ。常識に反逆した秋葉原よ。
秋葉原よ。停滞の対義語にして秩序の保護者よ。
秋葉原よ。僕の何かを、壊してくれ。
秋葉原よ。僕の心を、止まってしまったわが人生を、動かしてくれ。
秋葉原よ。僕の孤独を、僕の心にわだかまるものを、打ち破ってくれ。
秋葉原よ。破壊者にしてその御手ですべてを創造し、救う街よ。
秋葉原よ。汝の救いに引き込まれ、今再び苦悶する息子を救わんとするならば。
秋葉原よ。僕の心はすでにあなたの懐にある。
秋葉原よ。僕の身をあなたにゆだねよう。
突風が吹いた。僕の真正面の方角から。強い、強い風だ。
僕の体は押し戻されようとしている。後ろへ、過去に歩いた道へ。
僕は踏ん張った。後退してはならないから。
しかし停滞することもできないのだ。僕は一歩、前進しなければならない。
僕は三歩歩いた。
風は止んだ。
「すごく強い風でしたね。先輩」
はるか後方に、大宮はいた。僕の歩きが速すぎたのだろうか。オタクの悪い癖だ。考え事をしていると、よりひどくなる。
大宮の体では、先ほどの風に耐えられなかったのもあるかもしれない。
「すまないな。置いて行ってしまって」
「いえいえ。いつものことっすから」
あれ。いつものことだっけ。
僕は一応、大宮といるときは、あの子がいまどうしているか、いまどこにいるか、気にしていたはずなのだが。
大宮が僕の横までひょこひょこと駆けてきた。僕たちはまた、歩き始める。
前方に、一人の女性がいた。秋葉原といえども、別に男性だけの街ではない。近年ではむしろ、半々といったところだろう。だから、本来ならば、僕はこうして記述することも、いやむしろ意識することも、認識することも、あり得なかった話である。
だからここの記憶は、あいまいだ。
本当にそうだったのか、それともそう認識していただけなのか、信ぴょう性のあることは、確実なことは、申し上げることができない。僕はこれでも研究者の卵となるための教育を、というかすべての学校教育はいちおう研究者の卵を育てるためのものであるのだが、ずっと受けてきた。その傾向は、京成高校に入ってから、強化されている。だから僕は、正直に申し上げなければならない。事実ならば事実のままで。自分の意見ならばそうとわかるように。感想ならば、極力排して。
だからこれは、ひとえに僕の未熟さがもたらした記述だ。笑ってくれ。もはや変なプライドなどは、なくなってしまったのだから。
記述に、戻ろう。
周囲には、誰もいなかったように思える。ただ僕たちと、その女性だけが、だだっ広い通りを歩いていた。僕らとその女性は、ちょうど反対方向から歩いてきた。だから、やがてすれ違うはずだ。
その女性は、全身真っ黒な服装をしていた。いちおうワンピースというのだろうか。しかし僕は、メディアで見て影響された限りだと、ワンピースと言ったら真っ白で、ふわふわしていて、ロングで、清純な感じをしているのを思い起こす。ひまわりや菜の花の畑で、麦わら帽子をかぶって、さんさんと降り注ぐ暖かい太陽の日のもとで、真っ白なワンピースに身を包んだ女性が、風に吹かれて、麦わら帽子とスカートを押さえて、こちらに振り向いたり、対面していたりするという、あまりにもありきたりで、かつなかなかお目にかかることのない光景を、思い起こす。
だがその女性は、そういう像ではなかった。
暑いからなのか、かなり露出が多かった。腕は出ていた。スカート部分もミニで、大宮のショートパンツくらいの丈しかなかったように思える。ところどころにひらひらとした装飾があったように思えるが、なにしろ真っ黒であるものだから、詳しくはわからない。そして体にぴったりとフィットしていた。そのせいで、しっかりと引き締まっていて、綺麗なボディーラインが分かった。
露出した白い肌が、黒いワンピースと対比されて、余計に白く見えた。
身長は、高かったと思う。僕と同じくらいはあったのではないか? よくは覚えていない。この記述には、多少未来の視点も入っているから、当時は何も気にしていなかっただろう。
綺麗な手が伸びていた。足もスラっとして長かった。
豊かな黒髪が、肩よりも下の方まで、確実にあるとわかるくらい、長く伸びていた。ちょっと速く歩いているからか、髪はたなびいていた。
最後に、視線はこちらを向いていない。手のスマートフォンに目を落としている。だから体の重心がちょっと傾いてしまい、先ほど挙げたイメージのような写真映えする構図ではなかった。
お互いに、お互いに気が付かず、通り過ぎていく。そうなるはずだった。
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