第16話
秋葉原は案外グルメな街だったりする。そりゃあ確かにね、電気街の中心ともなると、ボリュームと安さ重視の店が人気になるものだから、ラーメン・ナポリタン・ケバブ・ステーキ・どんぶりものだらけになってしまい、このレパートリーでグルメを名乗ってもよいのかという感じにはなるのだが、一応ここも千代田区の一部、山の手に近く、すぐ隣のお茶の水方面に行けば、神田明神の周辺に高級住宅街が広がっている。それに、外神田と言ってしまえば、秋葉原もちょっとはおしゃれな感じがする。だからなのか、JR秋葉原駅をはさんで電気街の反対側に行けば、結構飲食店の多様性も増えるし、そうでなくとも、ちゃんと通りにあるビルを確認したりとか、UDXビルにお邪魔したりとか、電化製品屋・家電量販店のビルの上層階にでも行けば、ちゃんとしたレストランがあったりするものである。
その様子は、かつての秋葉原を知るものからしたら、感慨深いところもある。
野菜市場、そして戦後の米軍の横流し品の闇市から始まり、そこから機械に重心が移って、主に電気機械を中心とした中古品の一大市場となっていき、最近では秋葉原カルチャーの発信地として観光名所化した。今では、ビジネス街への移行まで考えているとか。まだ電気機械の街だったころの、あの粗野な、しかしどこか安心できる感覚は少々薄まったが、変わらないものがある。
それは、来るとわくわくするところだ。
いつ来ても何かが違う。何かがある、この街には。ほかには絶対にないものがある。この街にないものなんて、核兵器ぐらいのものではないか? と思うこともある。(読者の中には、東京の表参道にあるようなおしゃれな店なんてないだろう! とお怒りになる方もおられるかもしれない。確かにその通りなのだが、たとえ流行から外れて、人に見せびらかせるようなものではなくとも、同種のものは何とか手に入るのだ。そこがこの街のいいところでもあり、ちょっと恐ろしいところでもあるのだ。たまにこの街だけで生活を完結できるのではないかと思ってしまい、その強力な魅力に吸い込まれてしまうときがある。悪魔に魅了された、セイレーンに誘惑された、古代の勇者のように。)
ほかの街では排斥されたものも、ほかの街ではゴミになっていたものも、この街ではその価値を認められる。この街では存在を許されるのだ。たとえ憲法に書かれたところで、実際にはすべてのものが皆その存在を保証されるということはないのだが、この街ではなぜか自然に、その存在が認められる。たとえ嫌悪していても、その対象の存在を否定することは、この街ではないのだ。
そしてこの混沌が、ごちゃまぜに何かが存在する状況が、『秩序のうちで』存在するのだ。何とも日本人らしいところではある。法の下に、自由の精神を保ち、かつ自制心をもって、自主的に規律を維持し、共同体に貢献する。自由と秩序が両立してしまうのである。一切の矛盾なしに。
これほど魅力にあふれた町が、ほかにあるだろうか! 世界広しといえど、僕はこれに類する秩序と自由をもった街を、見たことがない。イタリアのヴェネツィアのような都市ならば、それに類する気風があるのかもしれない。しかしそれらはその気風の代償として、変革を失っているように思う。ヴェネツィアに、フィレンツェに、ここまでの変革と、同時に受け継がれる精神の伝統が、そういう状況が、ありうるのだろうか。
ここだけなのだ。何かが変わるのは。
ここだけなのだ。何かがあるのは。
ここだけなのだ。何かが起こるのは。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます