16
一面見渡す限りの暗闇。音は無く、手を包み込む温もり。
ユーシスは導かれるようにそっと瞼を上げた。夢見心地の所為か不思議と体は軽く、寝落ちしてしまった後のように何をしていたか分からない。それが目を覚ましたユーシスが天井を眺めながら最初に感じた事だった。
「ユーシス。おはよう」
手の温もりのように優しく温かなテラの声。ユーシスは顔を傾け下を見るようにその声の方へ双眸を向けた。自分の寝る布団際に座るテラは莞爾として笑い両手で彼の手を握り締めている。その姿をぼーっと眺めながらユーシスの脳裏では段々と記憶が蘇り始めた。
夜条院家。ジャック。そしてソル。あの戦闘も。しかしそれは狼へと姿を変えるまでで、そこからは誰かが大脳皮質へと送られた情報を消してしまたようにぶっつりと途切れてしまっていた。
だが不思議とユーシスは落ち着いていた。自分でも理由は分からないが、穏やかな気分に包み込まれていたのだ。
「ここは……」
そう口にしながら辺りを軽く見渡すと、直ぐにこの場所が夜条院家であると理解した。
「そうか」
と同時に自分の現状を凡そ把握したユーシス。
「そう。緋月さんがね。治してくれたんだよ。帰ってきた時は本当に酷くて……」
テラは言葉を途切れさせると眉を顰め唇を噛み締めた。だがその表情は直ぐに微笑みに掻き消された。
「でも無事で良かった」
表情まで安堵に満ちたテラはほっとしながらも満面の笑みを浮かべた。
「それと、慧さんから訊いたんだけど、吸血鬼を追って行ったって」
その言葉にユーシスの脳裏にはソルの顔が思い浮かんでいた。
「あぁ」
「それってさ……」
「アイツだ」
二人の間で僅かに流れる沈黙。
「元気だった……よね?」
若干ながら遠慮の混じったテラの声。だがそれに対するユーシスの答えは無かった。
「――私は今でも心配してるし、想いはあの頃と変わらないよ」
「……」
「ソルは」
「止めてくれ」
「でもずっと一緒だったし。そんな事しないってユーシスも分かってるでしょ? ソルは優しかったよ。ずっと私達の事を想ってくれてた」
「アイツは俺達を裏切ったそれが全てだ」
だがユーシスの遮るような言葉にテラは黙り込んだ。
するとその少し重量のある沈黙を取り払うように障子が開いた。
「調子はどうだい?」
中へ入ってきた慧はユーシスへ視線を向けながらそう尋ねた。
「悪くない」
「それは良かった。それじゃあ行こうか。御爺様が待ってる」
そして慧に連れられ二人は初めてこの屋敷へ来た時、最初に通された部屋へと向かった。中では重國と緋月が既に座っており、空いた座布団が三つ。
「まぁ、座ってくれ」
その内の重國と向き合った二つへユーシスとテラは腰を下ろした。
「まさかこんなにも早く片が付くとはの。どうやら結果的に上手くお主という存在が有用じゃったらしいな」
「これで満足だろ?」
「そうじゃな。お主は実際、吸血鬼と一戦交えたようじゃからの。――いいじゃろう。吸血鬼の残党を狩る為、この夜条院家が共に戦おう」
重國は閉じた扇子で胸を差した。
「して。どう狩るつもりじゃ? 少数とは言え、相手はあの吸血鬼。容易ではあるまい」
「さぁな」
「なるほどの。策はまだこれからと言う訳か。――まぁよい。その時がくれば手は貸そう」
「あのスマホは持っててくれていいよ。それで連絡を取り合おうか」
慧の言葉にユーシスは一瞬、何のことか分からなかったが直ぐにのジャックの件の際に渡されたスマホを思い出した。
そんなユーシスの正面で立ち上がる重國。
「それじゃあ儂は人と会う約束があるのでな。まぁ、いつでも来るがよい。夜条院家はいつでもお主らを歓迎するぞ」
そう言いながら重國は部屋を後にした。
「これからどうする予定なの?」
障子の閉まる音が鹿威しのように響くと緋月がそう尋ね、ユーシスは視線を彼女へと向ける。
「この街を出る」
「そう。まぁ忙しそうだものね。直ぐにでも出発するのかしら?」
「そのつもりだ」
「なら残念だけど、もうお別れね」
「緋月さん。お世話になりました。ありがとうございました」
微笑みを浮かべながらも残念そうな緋月に対し、テラはお礼を言いながら頭を下げた。
「私も凄く楽しかったわよ。妹が一人増えたみたいでね」
「少しの間だったけど、私も楽しかったです」
「御爺様も仰ってたけどいつでも来てね」
「はい。必ずまた来ます」
「君も寂しかったりする?」
すると慧はユーシスを見ながら僅かにからかうように尋ねた。
「全く」
そう吐き捨てるように言うとユーシスは部屋を出ようと歩き出した。
「それじゃあお別れの言葉もなしかなぁ。じゃあねー」
ユーシスの返事を予想していたのか特に口調を変える事無く慧は彼の背中に手を振った。
「ちょっとユーシス」
そしてそんなユーシスの後を追う為、立ち上がったテラは部屋を出る前に二人へ別れの挨拶と一礼をし先に廊下へと出た背中へと追いつく。
それからホテルと向かった二人は荷物をまとめや否やチェックアウトを済ませた。目的を果たし数十分後には既に街を出る為、足を進める二人。
「次はどーするの?」
「さぁな。とりあえずアイツのとこ行くか」
そう言うとユーシスは路地裏へと入って行った。後に続いたテラは路地裏の中腹辺りで立ち止まる。彼女の目の前でユーシスはレバータンブラー錠の鍵を手に持っていた。
「ビディさんのとこって色々な本が沢山あるから毎回行くの楽しみなんだよね。特に好きなのがアンベリー・トルーレって作者の本。沢山あるしビディさんも好きなのかな?」
「俺に訊くな」
「それもそうか。ビディさんに訊いてみよっと」
テラの独り言を耳にしながらユーシスは壁へ向け鍵を近づけた。先端が壁に触れるとそのまま鍵はコンクリートへと呑み込まれ、錠を開けるように差し込まれると時計回りに捻られる。カチャリ、心地好い音が響くと水面のように波紋を広げながら(ユーシスが手を離した)鍵は壁へと完全に呑み込まれてしまった。
すると壁はドア状に切り取られゆっくりと開き始める。向こう側は見えず光が二つの世界を遮っていた。
まずはユーシス、続いてテラは何の躊躇もなくその光へと――ドアの向こうへと足を踏み入れた。
光の向こう側に広がっていたのは、つい先程までいたはずのウェルゼンにある裏路地とは一転した室内。ビディの家だった。
だがしかし、消えてゆく光を背後にしながらテラは息を呑みユーシスは目を瞠った。元々、整理整頓された部屋ではなかったがそれは荒らされたと一目で分かる程の惨状。
「おや」
パタンと本の閉じる音と聞き覚えのある声。
「これはこれはお久しぶりです」
「誰かと思えばお前かよ」
「やっほー。まさかこんなとこで会うなんてねー。元気してた?」
二人の視線先に居たのは、本を片手に立つオリギゥムとテーブルに片足を乗せ座るアンフィスに傾けた椅子に座り本を片手に持ったメルだった。
―――――『月光花の燈火』へと続く。
サングィス―昼星の煌めき― 佐武ろく @satake_roku
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