15

 そんなユーシスへ向けソルが手を伸ばすと、どこからともなく現れた無数の蝙蝠が一直線に飛んで行った。あっという間にユーシスへと飛んだ蝙蝠は、その一匹がまるで一刀を受けるように彼の体へと切り傷を残していく。

 だがしかし、身を守るように腕を交差させ耐えたユーシスの体に残されたのは細かな傷だけでダメージは無いも同然。

 そして蝙蝠の刃を受けきったユーシスは目にも止まらぬ速さでソルとの間合いを詰め攻撃を仕掛けるが、それはい難なく防がれた。

 だがそこから繰り広げられた激しいせめぎ合い。その息もつかせぬ攻防は一瞬の隙すら命取りになってしまう程に均衡したものだった。ひとつたりとも漏らさず防いでは躱し、攻撃を仕掛けるもそれは同様に防ぎ躱される。これまでと打って変わりソルの表情は真剣味を帯び、行動一つ一つのキレが増していた。本気かどうかは定かではないが、明らかにこれまでの余裕は見当たらない。

 ユーシスの力任せで雑な拳はソルの腕に防がれ、骨の深部にまで響くような生々しく鈍い音を響かせた。ソルからの反撃は無く、先程の彼女を再現するかのようにユーシスは一発また一発と打撃の連打を浴びせてゆく。濁流の様に襲い掛かる握られた拳と凶器的な爪。

 だがその最中、一撃を躱し反撃を試みるソル。しかしその一振りを潜り抜けたユーシスはこれまでの分を返すような力で一蹴した。

 そしてまたもや壁へと蹴り飛ばされたソルだったが、まるでここまでのやり合いをなかったかのようにその傷は早々と治癒し無傷の状態へ。それから再度、振り出しへと戻った戦闘は無限ループでもするようにソルがユーシスとの距離を詰め再び火花を散らした。

 より戦いらしい戦いとなった事に満足しているのか、ソルの表情には段々と笑みが浮かび始める。そんな彼女とは相反し、ただ只管そうプログラムされたかのようにユーシスはソルを倒す為だけに動いていた。ハッキリとした意識はなく、ただ力の流れに体が動くだけ。それでもこれまでよりは確実に互角な攻防を繰り広げられていた。

 だがしかし戦いが進むにつれ、次第に戦況は時間を巻き戻し始める。交互に傾きを変えていた攻防のシーソーだったが、それは段々とユーシス側へと深く傾き出した。ユーシスの攻撃はソルのガードをすり抜け上回る回数が減り、反対にソルは単純な攻めの回数が増え着実にダメージを与えていく。

 そして気が付けば最初へ戻りユーシスの防戦一方。又もやソルが優位を取り戻した。まるでこれまではただの遊びだと言うようにいとも容易く一瞬にして。

 だが攻撃は最大の防御という言葉を体現するようなソルは突然、手を止めるとその隙を突き飛んで来た拳を躱しながら大きく退いた。二人の間に警戒の緩まる間合いが開くと、只管に受け続けたダメージの所為で片膝を着くユーシス。絶えず鳴り響いていた戦闘の音が止み、建物内には久しぶりに静寂が訪れた。

 そんな静けさをソルの声が泳ぐ。


「流石ウェアウルフってとこか。――だが単調だな。バカみてーに真っすぐと。ごり押しにも程があるぜ」


 ソルはそう言うとわざとらしく肩をすくめて見せた。


「まぁでも、とりあえずは悪くねぇ」


 しかし今のユーシスはソルの言葉など聞いておらず、体が動くようになると立ち上がり、ただ溢れる力に従う。

 自分へと向かってくるユーシスを見ながらソルが右手を僅かに上げると手の甲へどこからともなく飛んで来た一匹の蝙蝠が止まり両の翼で抱き付いた。そしてその体は溶けるように姿を変え始めるが、途中で一瞬にして蒸発し消えてしまう。


「いや、こいつで十分か」


 ソルは素手を握り締めた何の変哲もない拳へと視線を落とした。

 その時には既にユーシスはソルを間合いに捉え猛獣の牙のようにずらり並んだ爪を構えていた。そして力任せに振り下ろされる手。

 しかしその一撃より一歩先にソルの一突きがユーシスの顔面をとらえた。これまでのどの拳よりも重く力の籠った一撃。ユーシスの体はその瞬間、爆発にでも巻き込まれたかのように吹き飛び気を失ってしまう程の衝撃を背に受ける。崩れる破片と埃煙の中、座り込みながら意識を完全に失ったユーシスの姿はみるみるうちに人間へと戻っていった。

 そんなユーシスに差す影。目の前で立ち止まったソルはユーシスを見下ろした。


「ようやくスタート地点ってとこか。だがまだ足りねぇな。まだアンタは弱い」


           * * * * *


「おい! 早く来いって」


 数メートル向かいの建物から少女とも少年ともとれる子ども(とは言ってもユーシスより大きく青年と言ってもいいぐらい)は急かすように声を上げた。


「分かってるって! うっせーな!」


 一方で子どものユーシスは縁に立ち恐々と下を覗き込んだ。裏路地では怪しげな二人組が何かを交換しているが、そんな事は目に入らない程に地面とは距離が離れている。

 そして一瞬だが顔を強張らせたユーシスは、視線を上げると縁から十分な距離を取った。立ち止まり脳裏に浮かぶ先程の高さを振り払いながら顔を振り向かいの屋上に立つ子を見つめる。ただ一点に視線を向け続けた。

 それから走り出すとタイミング良く跳び、宙を駆ける。彼の双眸は只管に向かいの屋根上を見下ろしていた。どんどんと近づく屋根。

 だがしかし段々と屋根は下がっていき、ついには視線は対等になり見上げる。徐々に遠ざかる屋根。ユーシスは目を瞠りながら必死になって手を伸ばす。だが屋根は遠ざかるばかり。

 それはユーシスの心に諦めが顔を覗かせた時だった。力の緩み始めたユーシスの手はハイタッチでもされるように掴まれた。そして気が付けば体は宙ぶらりん。


「ったく。何やってんだよ」


 そう愚痴を零しながら掴んだ手はユーシスの体を引き上げた。

 すると突如、場面は廃れたボクシングジムへと一転。リングの上では先ほどの子が自分より体(恐らく年齢も)の大きな人を相手にしており、丁度、抉るようなアッパーカットがその体格差ごと相手を宙へと飛ばしていた。空中で反りながら落ちていった体は小さくバウンドし床に倒れると周囲にいた数人の観客から上がった愚痴と歓声がリングを包み込んだ。


「おい! ルズー! なーに負けてんだよ!」

「また負けてんじゃん。金返せっ!」

「いいぞー! もう負けナシだな!」

「おいおい。誰かあいつを止めろよ」

「次は誰だ?」


 するとリングのその子は顔を観客の一人へ。


「来いよ。ユーシス」


 言葉と共に挑発的に振られた指にユーシスは眉を顰めながらリングの中へ入った。


「ユーシス? おいおい。賭けになんねーだろ。やらなくたって結果は見えてるっての」

「うっせーな! 今度こそ俺が勝つ」

「毎回言ってらぁ」

「お前の今度は何十年後の話だ?」

「来世の話じゃねーのか?」


 違いない、そう言いながらリングの周囲は笑い声で埋め尽くされた。


「はい! じゃあ私、ユーシスに賭けるね」


 するとその笑い声の中、小さな手と声を上げたテラ。そしてポケットから硬貨を数枚取り出すと隣の男に差し出し、たった一人ユーシスへ賭けた。


「おいおい。ほんとにいいのか? 数少ないこずかいをこんなんに使っちまってよ」

「いいの。いいの」

「っつても他に賭ける奴もいねーからな。そんじゃもし仮に万が一、ユーシスが勝つような奇跡が起こっちまったら、さっきのかけ金ぜーんぶお前にやるよ」


 それ程までに誰も勝つと思ってないのか、誰一人として反対する者はいなかった。


「本当に? やった」


 そう言うとテラはリングのユーシスへと顔を向けた。


「頑張ってね。ユーシス」


 そんなテラを横目で見た後、ユーシスは正面を向いた。程よく汗をかいたその子は悠々とした笑みを浮かべている。


「だってよ。そろそろ期待に応えてやれよ。毎回アンタを信じてくれるのはテラしかいねーんだから」

「うっせぇな」

「ならさっさと掛かって来いよ」


 ユーシスは依然と眉間に皺を寄せながら走り出すと佇み一歩も動かないその子へ殴り掛かった。

 それは試合が開始から暫く経った頃。頬を殴られその衝撃に引かれるように床へと倒れたユーシスは直ぐには立ち上がれずにいた。それを見下ろすその顔と相反し残された無数の傷と痣が物語る試合内容。


「もういい」


 するとユーシスが立ち上がる前にその子は背を向け歩き始めた。


「おい! 待てよ!」


 まだ終わってない、そう言いたげなユーシスの声に足が止まると半身で振り返る。


「うるせーな。もう飽きたって言ってんだよ」

「勝手に終わらせてんじゃねーよ」

「アンタは弱い。だから決めるのはアタシだ。もういい」


 そう言うと再び背を向け歩き出した。


「また相手してやるよ」


 そしてリングを降りたその背中をユーシスは苛立ちを露わにした表情で見送るしかなかった。


          * * * * *

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